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50話

「久しいな」


そう言ってご老人は、店の中に入って来た。

勿論私のことは見えていないので、素通りである。

白いお髭で、藍色の着物のよく似合う、重厚なという表現がよく似合う老人だ。

おじいちゃん、とは到底呼べない硬さを老人は纏っていた。


「アレに変わりないか」


青磁は無言だ。

老人は青磁に構わず続ける。

青磁が相槌ひとつつかない中、訥々と。


夏目には代々書を読み解く、その作者の念を感じる力がある


そうはいっても、アレは・・・


夏目は書を読み解きすぎた。アレは禁書に触れてしまった結果だ


あの子は読み解くだけでなく、言葉に力を持ってしまった


あの子の言葉は、呪となろう


無為に感情を与えてはいけない


あの子は、異端だ


外見だって、あのように。外来の…あの女の血が強く出て難儀なことよ


もはや、夏目の血はわれわれでもって絶やさねばならないのだろう


青磁は始終無言で聞いていた。

ただじっと俯き、握った拳を眺めていた。


「さあ、難儀なことだが重要な念があるものだけ選別しよう。養子のお前に才のないのも詮無き事よ」


老人は幾冊の本と紙の束をさっと手に取り、青磁になかば押し付けるように手渡した。

青磁は老人よりも上背もあり体格も良いのに、ふらりと蹌踉るようにそれを受け取る。

ぴりりと何かのきっかけで押し殺している感情が爆発してしまいそうな無気力さを纏わせているな、と思った。

そのことに気づいているのか否か、老人は青磁の腕を軽く叩くと、早々に戸に向かってしまう。


「お前は力もないのに、余計な書物ばかり集めよる。これをアレに持って行きなさい。余計な情は不要」


振り向きもせず後ろ姿がそう告げて、戸は音を立てて閉まった。

私は、ただ見ていた。

ただ不穏な言葉が恐ろしくて、青磁が何か思いを押し殺している様子をただただ見ていた。

息を殺す必要もないのに、息を殺して。

絵本をぎゅっと両手に抱きしめる。

現実味がなさ過ぎていて、頭が思う通りに動かない。

聞いた言葉をうまく脳が処理できていないでいるんだ。


待って。まって。老人はいったい’何’の話をしていた?

老人が去っても、青磁は俯いたままだった。

見えていないと分かっていながらも、青磁に問いたくてたまらなかった。


ポーン、と一音。


静寂に落としたように、ひとつ音を鳴らして、後は波のように紡がれる。

綺麗な綺麗な旋律。

弾かれたように先に顔を上げたのは、青磁が先だっただろうか。それとも私?

青磁は、老人に手渡された紙の束と水差しに挿した百合の花を手に持って、のそっと動いた。


私は、なんだか動悸が落ち着かなくて、それでいてどこかで納得している冷静な自分がいた。

きっと、全部に意味があることなのだと。

彼が話したこと、見せることにはきっと意味があるのだと。

そう、きっと私は彼に会いに。ここにーー。

あの時のように、あの夜の私のように、青磁が本を本棚から一冊本を抜き取る。

ゆっくりとスライドしていく本棚。

その先に見えるのは下へ下へと続く隠し階段。

ゆっくりと降りていく青磁。

私も、後に続いた。

どっどっと耳元で血の流れる音がする。

あの日見たものが、夢であるならば、今もまた夢であるかもしれない。

だけれど、そうだと思えないほどの生々しいまでの、私の想像だけでは補えないくらいの〝現実味〝がそこにあった。


音が糸のように途切れる。


白い。

白く細い指だ。

鍵盤から、そっと離れる。余韻をなぞるように。

揺れる足は、ピアノの椅子の高さが合わされて無いためか、ふらりふらりと所在無さ気だ。

蜂蜜色の髪が、細い顎に伸びている。

振り向いた顔に合わせて、さらりと音を立てるようだ。

長い前髪の向こうにあるのは、ガラス玉みたいな、青灰色。

私が知るよりもずっとずっと幼い彼は、私が知るよりずっとずっと無機質な表情で。

動いていなければ本当に、ビスクドールのようだった。


「夏目さん…」


思わずつぶやいて、だけどその近寄りがたい雰囲気に足が竦む。

ちっちゃな夏目さんがそこにいた。

簡素な白の着物が相まって、天使のような風貌だった。

夏目さんは、口を一文字に結んで、ただ青磁を眺めていた。

見ていた、というより〝眺めて〟いた。


青磁も青磁で無言で、百合の花をピアノの上に置きながら、老人から受け取った紙の束を夏目さんに差し出す。

青灰色の瞳は、ちらりと百合の花を一瞥した後すぐに紙の束に落とされた。

髪と同色の長い睫毛。子供らしいふわりとした頬。

ただ、着物から出た手足はやけに白く細い。

細い腕が髪の束を受け取る。

青磁は、何かを言いたそうに口をむずむずさせながらも何も言わなかった。

夏目さんが無言で指をさす、ピアノの上に束になった本。

青磁はそれを手にとって一度夏目さんを見た後、階段を上っていった。


私は、青磁についていくこともせず、この部屋に留まっていた。

というより、足が竦んで動けないでいた。

夏目さんが、紙の束に目を落とす。だけどすぐにパサリとピアノの上に置いてしまうと、ふらりふらりと揺れていた足に勢いをつけてひょいと椅子から降りた。

私に背を向けて百合の花を眺めている。

細い指がそれにそっと触れる様は、本当に怖いくらい美しかった。


「さきほどから、ずっといるね。貴女は、だれ」


高くも少し掠れた声にそう言われて、一瞬自分の事とは気がつかなかった。


「念かな?いや、生身の人間?霊ともちょっと違う。なんだろう、意識だけここに来てしまった?」


冷たい目が射抜くようにこちらを見る。


「ぼくに、何か用かな?」


瞳の色は同じなのに、冷たくって、凍えてしまいそうだ。



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