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48話

ーーカタチに残るモノより、溶けてなくなった方がいいのだろう。

ーーだけど、覚えていてほしいと言うのは傲慢かな。



金平糖を渡された時に言われた言葉。夏目さんの言葉は折に触れて思い出す。

まるで、言葉に命があるみたいに謎めていていて息づいている。


目眩は一瞬で、立ち眩みのようなそれだった。

抑えていた手をそっと避け、瞼をそっと開く。


「え」


声が自然と出た。

私が立っていた場所が、夏目さんの古本屋さんの前だったから。


「あれ、でも」


なにか分からないけれど、違和感を感じた。

なんだろう。でもわからない。

まるで、景色がセピア色みたいに見える。ちょうど曇りの日のような。

だけど、それとは違う。なにか違和感が漂っていた。

息を飲んで片手に抱いていた手作り絵本をぎゅっと胸に抱き、その引き戸を開けた。

そこはまるで、私が知っている古本屋とは別の場所だった。

書物が犇いている様は変わらない。いつもの匂いとは別種の真新しさと墨の匂い。

真新しいのに、古い。そんな世界が広がっていた。

どこを見渡しても夏目さんも、いつもの指定席だって見つけることができない。


「どこ、ここ」


もう一度戸の外に出て外観を確認しようとしたところで、後ろの戸がガラリと音を立てて開いた。

ビクリと振り返ると大柄着流しを着た。黒い髪に黒い瞳の彼。

その男は私に一瞥もくれることなく、ずんずんと店内に入っていった。

広い机の上に山積みになった書簡。

一つを無雑作に掴んで、ぶつぶつと何やらつぶやきながらせわしなく歩き回っている。

時折唸り声をあげて頭をかき回す。


はあ。と大きなため息。


「俺には、とうてい才はない」


と独りごちて、がっくり項垂れている。

そんな姿を見て、思わず声を掛けた。


「あのお…」


「あの子のほうが、余程…。だというのに彼奴らときたら。いつまであの子を飼い殺しにしておくつもりだ」


「えっと、あの…すみません」


「かといって、俺に何を言える権限もない」


はあ…と男はまた大きくため息を漏らした。

ええ?無視されてる?

いや、でもこの感じは無視というよりも、まるで見えていないような。

男の目の前に立ち、手を振ってみる。

さあっと血の気が引く。

私、見えてない?

まるで、ここに存在してないみたいだ。

幽霊になったような。

じわりと湧き上がった不安に涙目になりながら、私は引き戸を開けて外に飛び出した。

走って、自分の家の道筋を急ぐ。

その景色もまるで自分のよく知った風景ではないことからも、想像はできていた。

けれど、呟かずにはいられなかった。


「どこ、ここ」


私の家など、どこにも見当たらない。

街並みはまるで、ずっと昔みたい。

目にする人の服装は、簡素な浴衣のようなものだったり、そっけないシャツだったり。あれは、モンペというものだろう。

教科書やテレビで見たような世界。

寝巻き代わりのジャージ姿の私はやけに浮いているが、誰も自分など見えていないかのように忙しなく通り過ぎて行く。


「おにい」


おにいちゃん。

呼んだって、いないことなんてわかっていたけれど。

遣る瀬無くて呼んでしまう。

なんで、私こんなところに。

ここ、どこなの?

だって、私、部屋にいたもの。

ねえ、ちょっと夏目さん!

あなたが言うように金平糖は溶けてなくなりました。

そしたら、私変なところに来てしまいました!

あなたの悪戯?

それとも夢?


夏目さんのせいなら、もしそうなら、酷いじゃないですか。

肝心の貴方が居ないなんて。

夏目さん!

ばか!

すかぽんたん!

でてこいや!


「なつめさん!」


思わず名前を呼んで、それでも変わらない状況に唇を噛みししめて下を向く。

なぜか持ってきてしまった絵本を両手にぎゅっと握りしめて。

心細いったらありゃしない。

ばか。誰でもいいから、なんか言って。



「おねえちゃん、どうしたの?」


不意に聞こえた幼い声に顔を上げる。

声の先に、坊主頭の少年。もとは白かっただろう汚れたランニングシャツのような服を着た男の子が立っていた。


「え、見えるの?」


その少年に声をかけたその時、「坊や」と女性の声がした。

少年は弾かれたように声の女性の元に駆け寄る。

私は、その女性を見て完全に固まってしまった。


カラン・コロンと下駄が鳴る。


白百合の君。


彼女だ。

え、まって。そしたら、え?

そしたら、ここって、え?え?

坊主頭の少年を見る。


「お母さん」



彼は彼女を母と言う。

不意に漣で出会った老紳士を思い出していた。

彼女の息子だと話した、あの老紳士を。

えっと、もしかして、だから坊主少年は、老紳士?

老紳士少年?


テンパりすぎて、なんだか彼女に見つかってはいけないような気がしてすぐ側の茂みに隠れた。


「誰とお話ししていたの?」


白百合の君が老紳士少年に尋ねる。

彼は、後ろを振り返り「ほら、あのお姉ちゃん」と指を指すが、そこに誰もおらず首を傾けている。


「あれ?居たのにな。幽霊だったのでしょうか」


「あらまあ、怖いことを」


なんてことだ!なんてことだ!

かつて幽霊だと思っていた彼女に、今度は私が幽霊扱いされている!

なんてことだ!

状況も忘れてついうっかり愕然としてしまった。


「父はいつ帰ってきますか?」


少年が母を見上げて、そう尋ねる。

白百合の君は彼の頭をそっと撫でて、悲しそうな微笑を浮かべた。


「いつかしらねえ」


ああ、そうか。彼の父は、彼女の旦那は、戦争でーー。

親子が見つめ合う様子を端から眺めながら、なんだか遣る瀬無い気持ちになった。

ずっと待っていたんだ。彼女は。

これからも、ずっと待っているんだ。


「ねえ、おかあさん、夏目屋に行きましょう」


しんみりとした空気を打ち消すように、少年が母の小袖を引いてそう強請る。


「あそこは、不思議な場所だから、なにか奇跡が起こるかもしれません」


「ふふ。そうね。あそこは、不思議な場所だから」



親子は頷きあって、歩いて行った。

夏目屋。夏目さんの古本屋さん?

不思議と過去を見させられていることに薄々気がついてきた。

店の中にいた無骨な様子で店を彷徨いていた男を思い出す。

白百合の君がいるならば、もしかしてきっと彼はーー。

茂みの中にいつまでもいるわけにもいかないので、私はノロノロと立ち上がってそっと親子を追うように古本屋さんにもう一度向かった。


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