5話
結局、言った手前、また調べに来ると言って図書館を後にした。
出来れば、もう椎名君が委員の日は避けたい。怪我したくないし、心のね。
夏目さんも大概変人だけど、椎名君も負けず劣らず…うん個性的。
それから、教室に鞄を取りに戻った。
「あれ、葵。」
教室には戸川 四季子というクラスメートが一人残っていた。
ブックカバーに覆われた本を窓際の席に座って読んでいたようだ。
「珍しいね、葵が放課後残ってるの」
何時もは、早く夏目さんの所に行きたくて、そそくさ帰る私。
だからって、そんな珍獣発見的に驚かなくても。
「今日は図書館に行っていたの」
「何か調べもの?」
「あー…花ことば」
「…あんた、チョーおとめ。そんな趣味あったけ?」
言わないで欲しい。いくら四季子にはぴたりとハマる言い方であったとしても。
まさに今の私にはNGワード。禁句というもの。
「花ことば調べて何が悪い!四季こそ何してるの?」
「何怒ってんの?落ち着きなよ、悪いなんて言ってないって。私は…」
若干逆切れ気味の私に引いた後、四季子は窓の外を見た。
丁度グランドでは野球部が片付を行っていた。
ははーん。なるほど彼待ち。それで本を読みつつ教室で待っていたと。
いいねぇ青春。ま、私には無縁ですよ。何てったっておとめですから。
「命短し恋せよ乙女」
「なーに急に」
若干赤くなりながら四季子が言う。
甘じょっぱい反応をありがとう。
「別にぃ。ねえ、それ何読んでるの?」
「あ、これ?恋愛小説。」
ぴらりとブックカバーを捲って見せてくれた表紙は、何とも言い難い煌びやかな表紙。
何というのか、ハーレクインとかそういう本だろうか。
「さすがに、この表紙で堂々と読むのは恥ずかしくって」
「四季、あなたこそ立派なおとめだ。おめでとう」
「な、さっきの仕返しぃ?いいでしょ別に。なんていうかさ、現実ではありえない、焦がれるような恋?ドキドキするんだよね。それで泣けるのよ、このお話。公爵家のダーシーが、町娘のシルシアに恋をして、彼女にアプローチをするのだけど、彼女は身分の違いを理由に受け入れられないの。お坊ちゃんの一時の遊びだろうって。だけど彼は本気なのよ。シルシアに毎日花を贈るのよ、純白の花を。“私の気持ちは変わらないという証明。私の愛の印です”って。毎日送られる花、それでも彼女は素直になれない。ある日、いつもの時間に彼は花を届けに来なかったの。彼女はやっぱりって、思いながらも悲しくなった。気付かぬ内に彼を愛していたのね。」
気持ちの証明。愛の印。純白の花。
“真白のユリ、約束の証はもう必要ありません”
不意に昨日の女性の言葉が蘇る。彼女はそう言っていた。
「二人はどうなるの?」
すっかり四季子の話を、夏目さんと白百合の女性に置き換えてしまった私は、急かすように先を促した。
「シルシアが街に出ると辺りが騒がしい。如何したのか聞いてみると馬車が横転したって。…それが…ダーシーの乗った馬車で…ッ。ダーシーは、ダーシーは、その日シルシアに花を届ける途中で」
「そっそれじゃぁ、ダーシーは!」
「全部下敷き…花も彼も」
そんな!!ダーシーが。
四季子は涙声で続ける。
「あまりのことに、シルシアは愕然とするのよ。いっそのこと彼のもとに私もって。そしたら雪が降ってきて彼が彼女の前に現れるのよ。霊となった彼が。」
なんと!
「そして彼は言うの。“遅くなって申し訳ない。これが私の愛の証。純白の雪の花が降った時だけで構わない、私を思い出して欲しい。毎年雪の花を受け取って欲しい”て。彼は微笑んで彼女に背を向け消えてしまうの。彼女は雪に溶けて消えゆく背中を見ながら思うの。今すぐ追いかけて一緒に行きたい。だけど彼は言ったわ。毎年雪の花を受け取って欲しいって。つまり言外に彼女には生きていて欲しいってこと。だからシルシアは彼の背中を見つめ切なくも涙するのよ。たくさんの彼の愛という名の雪に降られながら」
ダ―シ―っっ!
シルシア―っっ!!
※※※
それから、四季子と抱き合いながら号泣して、迎えに来た四季子の彼にドン引きされてしまった。
そして、一人身の私は、一人寂しく帰路に着いているしだいです。
「あー、一人身の寒さが肌に沁みる」
それにしても…。途中から、夏目さんと白百合の女性で想像していたせいで変な気分だ。
何か、言いようのない不安がじわじわ心の中を侵食するような。
毎年贈られる白百合。約束の証。
まさか、夏目さんも身分差の恋で?いや夏目さんはただのしがない古本屋だし。
第一、隠れ坊ちゃんにしても今時身分差なんてことがある筈…。
…今時?そういえば夏目さんは、もう十年来外見的変化がない。ような気がする。
不思議で、人間味のない夏目さんという人物。
もしかして、彼は既に…。
不吉な予感に背筋がぞわりとした。
や、やめよう。こんなこと考えるだけ無駄というもの。
第一彼には触れられるし、茶だって飲むし、干し柿だって食べていたではないか。
次第に薄暗くなっていく夜道を足早に歩くも、嫌な予感が夜闇のように侵食する。
考えるな。考えては駄目だ。
「笹野さん」
「ギャーでたー!!」
私は鞄を頭に覆いながらしゃがみ込んだ。
「なに、その、反応。普通に傷つく」
あ、この声。独特な淡白な物言い。恐る恐る見上げると思った通りの人が立っていた。
「し、椎名君!」
思わず、跳びかかる様に彼のブレザーの袖を掴んだ。
もうこのさえ鉄仮面でも何でもいい。幽霊でなければ。
「こ、ここここ」
「鶏?」
「怖かったよ〜。じぃな゛くん〜」
がたぶる震えながら、彼に取りすがったら。若干腰を引かれてしまった。
そんな、邪険にしないで欲しいこんな時ぐらい…。
「家、何処」
相変わらずの淡白な口調に、少し冷静になる。
や、ヤバい。私、鉄仮面様のブレザー握ってる。しかもオモッキリ。
これって幽霊より怖いことじゃ…。
「やぁ、ごめんよ」
外国人爽やか大学生、吹き替え日本語並みの余所余所しさと不自然さでもって慌てて手を離す。
「家、どこ?」
「家?家はですね、並木茶屋通りを左に入った並木商店街の近くの団地でして、いやぁ、中々古き良き店や家の建ち並ぶ…」
「そこまで、聞いてないけど」
一刀両断。流石は椎名 夜彦。何さ、そっちが聞いたんじゃん。
「………」
「………」
また、ですよ。この沈黙。
嗚呼、如何しろというのか、私に。
「あ、いけないコンナニ暗い。早く帰らないと。じゃあ、またね椎名君」
例にたがわず、棒読み口調が悲しいが、本当に暗くなってきているし、
こんな処で二人黙り込んだところで拉致あかない。
すちゃっと、手をあげて歩き出そうとした処で、がしりとその手を掴まれた。
「な、何か」
なんだ、また「駄目」とか言うんじゃないだろうね。勘弁してください。
私を帰してください。
「送る」
「は」
「暗いし」
其のまま、ずいずい歩きだされる。
「え、あの、腕を」
持ったままなのですが。
「掴んでいればいい、怖いなら」
「え、う、うん」
わけも分からず、頷いちゃったよ。
寧ろ掴んでいるのはあなたです。
椎名君と話すと本当調子狂うなぁ。でも、もう幽霊のことなんてどこかに行ってしまっている。
それに、こうして夜道を送ってくれる彼は存外恐れるほど怖い人ではないのかもしれない。
変わらない表情も、淡白な言葉も、それが彼なのだと認めてしまえば何のことはない。
※※※
「あ、ここ私の家」
あれから、この店の肉は100g何円だとか、なんとか間を持たせるためにどうでもいいことを話まくった。
挙句の果てに、金木犀って芳香剤の香りだよね〜。
そうそう知ってる?金木犀の花ことばって(以下略)
で、ほら垣根に小梅ちゃん佇んで見えてこない〜?と夏目さん直伝妄想話までしてしまう始末。
椎名君は淡白に返してくるから、よりサブい。
私、かなりスベッてる。
「あの、本当ありがとうございました。わざわざ」
お礼はきちんと言うべし。
誠心誠意を心がけて頭を下げる。
「…いや、愉快だった」
椎名君は、ちょっとだけ笑った様に見えた。薄闇の下でとても曖昧だったけれど。
立ち去る彼が、もと来た道を行くので、彼の家とはきっと違う帰路だったに違いない。
うん。きっと彼はとても優しい。鉄仮面や言葉がそれを邪魔しているだけで。
「遅い」
家に入るなり兄がひよこエプロンで凄んで来た。
「ごめん。少し調べものしていて」
「今日はお前がリクエストするから、オムライスだというのに、帰って来やしない」
「ええ!本当ー?」
「ああ、あまりに遅いから、デミグラスソースも完璧に作った」
「やったー。さすが皇帝!よっ日本一」
「何が、皇帝か。おだてても何も出ん」
とか言いながら、兄は手早くオムレツを作った。
何でも、卵はバターの風味とふわふわとろとろ感が命だそうで、食べる直前に作らないと駄目らしい。
流石は完璧主義。
しかも今日は通常の包むオムライスじゃなくて、それより卵を多めに使うリッチオムライス。
綺麗に盛られたチキンライスにポンと落として、さて至福の時。
「私、やる―!」
私の言葉に、兄は苦笑しながらナイフを渡してくれる。オムレツの真ん中に、そろ〜り切れ目を入れて、
ゆっくりと両サイドへ流すようにチキンライスを包み込む。
やっふぃ。とろとろ〜。ついでに兄の分もやらせてもらった。
くうぅ。この瞬間たまんないぜ。父、母が帰ってきたら、彼らのも是非させてもらいたい。
そうこう考えているうちに兄がデミグラスソースをかけてオムライスは完成体となっていた。
味は勿論、最高に最上。
「卵の狂喜乱舞や〜」
「どちらかというとお前が狂喜乱舞しているぞ」
とくと見るがいい、美味の舞!
久しい洋食に、テンションMAXな私。
「落ち着いて食え!!」と兄の叱責が飛び交う中今日も夜が更けてゆく。