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44話

寝る前にお布団の中でお母さんが優しい声で読んでくれる温かい絵本。

幼稚園で先生がつどいの時間に披露するワクワクするような読み聞かせ。

全部全部、私の中に残っていて、ふとした折に思い出す。

幼少期に読んでもらった絵本はストーリーもそうだけれど、それと一緒に様々なものを五感で吸収して記憶の奥深くに根付いている。

本屋で絵本のコーナーを通ると、優しさに似たしっとりした気持ちに包まれる。

きっと幼いあの頃、今じゃ到底味わえない尊いものをたくさん吸収していて。子どもは本への感情移入よりも先に、暖かな読み手の声に、そしてそこに含まれる優しさに、あやされ包まれるのだろう。

刷り込みのように安堵を与えられ、まどろむ様に柔く、まろく心の奥底で息を潜めている。

私は、夏目さんの膝の上で聞いた王子様の絵本がなによりもそう。

声のトーン、暖かくて大好きな腕の中。

そう。

まるで、絶対的な檻のような二者関係がそこには存在するのかもしれない。

けれど今、私が彼に思う気持ちは絶対的な安堵だけではない。

子どものころに腕に抱かれても芽生えなかった気持ちが確かにそこにある。

欲望。

言ってしまえばこれだ。

子どもの頃のように、ただ純粋に彼の青灰色の瞳の中に映ればそれだけで幸せなんてそんな風には思えなくなってしまった。

夏目さんの唯一になりたい。

彼の腕に絡む赤い爪の手。

私の知らない夏目さん。

苦しくてたまらない。

嫉妬で焼き切れそうになる。

こんな気持ちを抱えるくらいなら、子どものころのままずっといれたら良かったのかもしれない。

微笑まれるだけで、抱きしめられるだけで幸せなあのころに戻れたらいいのに。

そんな風に思う自分に少し絶望した。

椎名君の焦がれるような瞳を思い出したから。


―――目を背ければ、それだけ苦しい・・・・・・あの人の事を考えている貴女が好きだ。


目を背ければ、それだけ苦しい。



「なつめさん」


抱きしめられたまま、ゆっくりとそんなことを考えていた。

彼の胸に頬を押し付けるみたいに寄せて、呼びかけた。

夏目さんは返事の変わりに、ゆるりとまわした腕に力を込める。

まるで、離れがたいのは私じゃなくて彼みたい。

私はクスリと喉の奥で笑った。

おかしな投影。それとも願望だろうか。

きっと私の思い違いなのに、本当みたいに思えてくるから不思議だ。


「私の気持ちは、困りますか?」


夏目さんの胸から顔を上げて、彼の顔を見つめる。

気付かなければいいのに。

気付いてしまったんだ。

気持ちを押し付けるだけでは、駄目なの。

怖くてもその先が見えなくても、受け止めてもらわなければ、受け止めなければ何も始まらない。

夏目さんは、蜂蜜色の睫毛を音がなるくらいぱしぱしと瞬かせた。


「君のどんな気持ち?」


青灰色のガラスのような瞳が戸惑う私を映しこんでいる。

答えを知っているのに、まるで焦らすような質問だと思う。


「わかりません、か?」


私は目を伏せてぶっきらぼうにそう言った。

この状況で尚、“好き”という言葉を素直に紡げない。

自分自身がもどかしくなってくる。

なんて往生際が悪いんだろう私は。

視線を反らしていても夏目さんが私をじっと見ているのが分かる。

恥ずかしさを押し殺して、ちらりと見上げると、真顔の夏目さんが目に飛び込んできた。

なんで、そんな真顔なの。

顔立ちが整っているだけに、本当に人形みたいだ。

薄い唇が、ゆっくりと動く。


「分からなくはないけど」


私の耳にかかった髪を耳裏にかけて、そこに顔を寄せるようにして「けど」と囁かれた。


「その尋ね方はずるいよね」


「―っ」


「君の言葉で聞きたい」


ハクハクと言葉が出ない。

真っ赤だ。

真っ赤。

何がって、全身が。


「ず、ずるい」


何だかわからないけど、何でそんなに色気駄々漏れなんですか。

ちょっと言葉攻めな感じがして、涙が出そう。

その余裕な感じもなんかもう全部ずるい。

というか、わからなくもないって云われた次点で何かが吹き荒れそうなほどなんですが!


「葵ちゃんのほうが、ずっとずるいよねぇ」


何時もの間延びした喋り方なのに、背中が冷えるような冷気を感じる。

そう言われていると、私がずるい人のように思えて来るから理不尽だ。

何だかもう限界が来て、彼から離れようとしたら、それを許さないとばかりに抱きこまれた。


「言って」


青灰色が強く私を見つめる。

何時にない有無を言わせない強さが言葉に宿っていて、ついに私は堪忍した。


「なつめさんが、すきです」


紙面で描き起こしたなら、全部平仮名だろうというぐらい、稚拙な告白だった。

でもそれが、精一杯だった。

言い方は幼くても、幼い無邪気さだけでない、いろんな欲望を含めた好きを伝えた。

何だかいっぱいいっぱいで涙が零れた。

そしたら長い指が私の涙を掬って、涙の膜で覆われた視界でも彼が微かに笑ったのが分かった。

そして、吐息のように言葉を返してくれた。


「うん。僕も」


うん。僕も。


その答えが、私の“好き”の返事であるということが暫くして分かった。

彼らしくもない私の告白のような、どこか幼い言い方だとか。

僕もだけじゃなく、ちゃんとその先の言葉まで言って欲しいとか。

そんなのは頭の端にも引っ掛からないくらい、彼の微笑が本当にきれいで、ますます泣けてしまった。


この幸福の前に、今は考えないようにしようと思った。

赤い爪の女性こととか。

抱きしめられたときに彼の胸からは、トクリとも心臓の打つ音が聞こえなかったことを。


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