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35話

気を抜けば滲みそうになる涙を袖で拭うべく顔を上げると、視界の先に、今一番会いたくない人がいた。


どうか。

どうかこれ以上私の心に入ってこないで。

私の心を乱さないで。


そんな願いも虚しく、立ち入り禁止のため張られたテープを軽々と跨いで椎名君は確実に私に近づいてくる。

一歩一歩階段を上って、その視線は真っ直ぐ私を据えて。


お願いだから。

こないで。


恐怖に近い感情に急き立てられた私は、立ち上がって椎名君とは逆方向に階段を上った。

しかし、行き着くところは屋上。

しかも、扉に手を掛けたところで、その扉は無情にも鍵がかかっていた。

それでも意味なくノブをガチャガチャさせる私。

普通の状態では無かった。

逃げる意味など、本来無いことに気付かないくらい私は動揺していたのだ。


背後からドアに、トンと手をつかれる。

私の身体を挟み込むように。

まるで、檻のように。

言わずもがなそれは、椎名君の腕で。

私は、恐ろしく思いながらも、やっと諦めて振り返った。


そして、辛そうに歪められた彼の表情に、固まってしまった。

何時も無表情な椎名君が、こんな風に表情を露わにしている。

辛そうな顔。

私のせい。

椎名君を苦しめているのは、間違いなく私なんだ。


そう、気付いた瞬間また、泣き出しそうになった。

顔を歪めた私をレンズ越しの瞳が映して、またいっそう苦しげに眇められる。



どうしてだろう。

どうして、こんなにイタイの。

どうして、私たちは傷付き合う。


恋は、私が思うよりずっと苦い。


「ごめん」


椎名君が言う。

辛そうに言う。

そして、そっと私に顔を近づけた。

焦れるようにゆっくりと。痛ましいまでに悲しい瞳で。

近づく先の意味を私は知っている。

けれど私は、固まったまま動けないでいた。

こんな時でさえ、蘇ったのは夏目さんの顔だったからだ。

辛そうに私を抱きしめて、ごめんと言って私に口付けたあの現実のような夢の映像と見事にデジャブした。


「・・・」

「・・・」


あと、ほんの少しで触れるか触れないかのところで、椎名君の顔が私から逸れる。

そして、項垂れるように私の肩口にその顔を埋めた。


「くるしい」


椎名君がくぐもるように呟いて、ようやく私はハッと現実に戻った。


「その顔・・・あの人のこと考えてる」


何も言えない。

椎名君の言う意味はよく分からないけれど、考えていたのは確かに夏目さんだったから。


「知ってた。叶わないことくらい。言うつもりだって、無かった」


だけど、と私の肩を切ないまでに強く掴むと、椎名君は顔を上げた。

不謹慎にも、凄く人間らしくて格好いい顔だと、思ってしまった。

無表情何かよりずっと良い。


「好きなんだ」


ドキリと心臓が鳴る。

こんなに真剣に言われて、もう逃げる術など無い。


「・・・・・・うん」


だけど、口から出たのはやっとそれだけ。

たったそれだけ。

今、私いったいどんな顔をしてる?

きっと、凄く真っ赤。

そんな私を見てか、椎名君の表情も少しだけやわらぐ。

スッと掴まれた肩が離されて椎名君は私から距離を取った。


「ごめん。好きになって」


ごめんと好きが繋がると、こんなにも悲しいことを初めて知る。

それでも、私は、言わないといけない。

誠意をもって告げられた彼の真剣に、私も真剣に向き合わないといけない。


「好き、になってくれて、ありがとう・・・だけど、」


ありがちな言葉に続く言葉を、椎名君がゆっくりと首を振って止める。


「知ってる。言わないで」


自分も、もう言わないから。そう言って薄く笑む椎名君。


ずるいよ。

そんな風に笑わないで。

そんな、綺麗に笑わないで。


“ごめん”を取り上げられた私は不覚にも、その消え入りそうな微笑に見入ってしまった。




※※※



椎名君と並んで、ゆっくりと教室へと向かっている。

なぜか不思議と落ち着いた私の心。何だろうね。

気まずさに避けまくってたのが今更ながら、恥ずかしい。

というか教室に戻るのが、かなり気まずい・・・。

でも午後の授業始まるから、嫌とも言っていられない。

我ながら、あの取り乱し方といったら無かった。四季子にも謝らないと。

そんなことを考えて歩いていたら、椎名君の足が教室とは別の方向に向かっていることに気付いて慌てて声をかける。


「ちょ、椎名君!教室こっち」


「知ってる。遠回りして行こう?ちょっとだけ」


ちょっとだけ。と小首を傾げて・・・なにこの可愛い生きもの。

無表情が逆にフェレットじみた可愛さを醸し出している。

じっと見つめられて抗えるはずありません。



暫く歩いた末、たどり着いたのは何故か図書室だった。

遠回り・・・とうか、寧ろ寄り道・・・。


「こっち」と椎名君がさらに奥に誘う。

カウンターの奥の小さな部屋。

こんな所、あったんだ。

椎名君が言うには、此処は図書委員の人が使う図書管理室だそうだ。

「待ってて」と言われて、暫くボーッとしていると、珈琲片手に椎名君が戻って来た。


「どこから、珈琲を・・・」


「国語準備室」


私の疑問に端的に応える椎名君。

いや。知ってたよ?図書室の続きに国語教師の準備室が備わってるの。

だってノート提出の時、来たからね。

だけど。

だけどさ。

私たち何気に授業サボってるわけなのに・・・。

椎名君・・・大胆・・・。


「・・・誰も、いなかった?」


「いたよ?」


えっ?

誰だよ。サボる生徒に黙ってるようなとんちき教師。


「・・・・・・だれ?」


「中山田先生。競馬に夢中で気づかれなかった」


担任か!

寧ろ納得だよ!

そして、博打中とか・・・。

駄目すぎる・・・。駄目な大人すぎる・・・。


呆れすぎて、遠い目をした私に椎名君が、そっと珈琲を渡してくれる。

ありがとうと受け取って、彼が反対の手にまだ何か持っているのに気付く。


それは単行本で、その見知った題名に私は思わず声を出した。


「井伏鱒二の山椒魚」


知ってる。

何時だったか、読書週間があったから夏目さんの所で借りたんだ。

何か短くて読みやすいものないですかって聞いたら、これを貸してくれた。


懐かしく眺めていると、ポツリと椎名君の声。


「その顔・・・」


呟かれても困る。

私の顔がなんだというんだ・・・。

そういえば、さっきもその顔がどうの言ってなかった?

思わず自分の顔を確かめるように触ってしまう。

うん。普通だ・・・。たぶん。


「その顔。あの人のこと、考えてる時だけ」


「あの人って」


じっと私を見る椎名くん。

いやいや。私テレパス無理です。


「夏目さん」


夏目さん?

確信めいた、静かな口調で。

椎名君が言った。


「山椒魚は、あの人。なんとなく・・・予感してた」


納得したように、切ない笑みで椎名君が私を見る。

いや、私は意味分かりませんよ。

確かに「山椒魚」は夏目さんから借りたけど、椎名君がそれを知るよしも無いはずなのに。

意味分からん・・・。


「笹野さんは、蛙」


椎名君ワールドは、なおも続く。

しかも私がカエルってどういうことですか?

カエル顔ですか私?

“その顔”ってカエル顔ってことですか?

・・・地味にショックですけど。


「それも、自ら捕らえられた蛙」


勝ち目なんて、端から無い。と椎名君は笑った。

腑に落ちない私は、両手で顔を挟みながらハテナを飛ばしていた。


「終わったかー?」


そして、いきなり開く扉と乱入してきた声。

入ってきたのは、咥えたばこの無精髭。

中センがニヤニヤしながら私たちを見てくる。


な、なんだこの人。


「おい青少年。こんなとこで事に及ぶなよ」


「及ぶか!」


私の叫び声が、虚しくも図書室に響いた。

だれかこの人どうにかして・・・。


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