33話
ヒジキを3人で限界までもりもり食べた。
食べている途中兄が、
「ヒジキって何か、虫の足っぽいよな」
とかふざけたことを抜かすものだから一発殴っておいた。
食欲減退するようなこというな!
それでなくとも多量だというのに!
女子高生の想像力なめんな馬鹿者。
椎名君は兄の言動や兄妹の見苦しき乱闘にもめげず、始終無表情にヒジキを口に運んでいた。
さすがに途中心配になって、美味しい?て聞いたときだけは箸を止めてコクリと頷いてくれた。
よ、よかった。なんかヒジキ消費マシーンみたいでちょっと怖かったのは内緒だ。
※※※
玄関先で兄と二人椎名君を見送った後、ふと私は思い出してしまった。
私は思い立ったように二階に駆け上がった。
目当てのものを手に取ると急いで階段を駆け下り、さっき椎名君が閉じた扉に手を掛けた。
「おい、葵?」
「すぐ戻る!」
兄の不審気な声を後ろ手に聞きながら、私はまだ遠くないピンと伸びたその背中を追った。
「椎名君!」
「?」
ゆっくりと振り返った椎名君が息を切らす私に首を傾げる。
私は手に持っていたそれを差し出した。
「これ」
ずっと借りっぱなしだった椎名君の小説。
夏目さんに見せても良いかと尋ねた後も結局、今日の今日まで私が持っていた。
快く頷いてくれた彼には申し訳ないけれど、それもしばらく果たせそうにないと思ったのだ。
「ずっと借りっぱなしも悪いし、椎名君、夏目さんに見せてもいいって言ってくれたんだけどさ、その」
歯切れ悪く、言葉を逃がす。
私は、逃げていたかった。
夏目さんと私が今まで築いてきた関係が崩れるだとか。
感情の変化が怖いとか。
夏目さんとの壁がもどかしいとか。
全部真実で、そんなの言い訳だ。
只怖い。
夏目さんに嫌われたかもしれないことがとても怖い。
また、あの手が私に触れることを戸惑ったら・・・。
そう思うと、私はあの人に会いに行くのさえ怖くなってしまったのだ。
夏目さんのことを考えると、胸がぎゅってなる。
触れたい。触れて欲しい。
だけど。
触れる寸前躊躇した掌とか、戸惑うように揺れた瞳が、何度も何度も蘇っては私を追い詰める。
認めたくない。
彼の拒絶を思い知らされたくはない。
自覚したばかりの淡い恋をまだ守っていたい。
「ごめん。夏目さんと、しばらく会えそうにないんだ」
溜息のような重い言葉を吐き出した。
私は彼から逃げる。
違う。
彼は私を追いはしないのだから、これは恥ずかしい私の現実逃避だ。
拒絶されたらきっと、今の私では平気なふりなど出来はしない。
夏目さんの前でこれ以上醜態を晒すくらいなら、しばらく会わない方が良いと思う。
凄く会いたくて、凄く辛いけど、会ってまた傷つきたくない。
今はまだ、思い知らされたくない。
せめて、平気なふりが出来るまで距離を、置こうと・・・。
椎名君はしばらく黙って私を見た後、そっと手を伸ばした。
けれどその手はノートを受け取ることなく、そっと私の手に触れた。
「いい」
「え」
「特別は、貴女だけ」
何度も彼から発せられた“特別”が、今になって妙に現実味を帯びて私の動揺を誘った。
告白めいた台詞だと、今更ながら思う。
「笹野さんが持っていて。好きにしていい」
そう続けて、椎名君があっさりと手を離し、ゆっくりと立ち去る気配を見せるのを私は焦って止めた。
「待って」
何か、何か大切なことを私はもしかしてずっと見落として来たのだろうか。
「特別って、どうして」
「好き」
「あ」
「笹野さんが好きだ」
真っ直ぐはっきりと、椎名君は言った。
と言うよりも、私が言わしてしまったのかも知れない。
立ち去ろうとした彼を引き留めたのは間違いなく私なのだから。
「あ」の状態で固まってしまった私の耳元に椎名君は、そっと顔を近づけた。
「無防備過ぎる」
低く耳元で呟かれてやっと、ばっと耳を庇い数歩後退した。
「な、な」
言葉にならない。
今、目の前で熱を帯びた強い視線を送るのはいったい誰なんだ。
仮面が。
彼の鉄仮面が意図も簡単には剥がれ落ちて、“男”の顔がそこにあった。
「揺らいでいるなら」
端的な言葉が、何時に無いもどかしい苛立ちを含ませて私に追い打ちをかける。
「奪うよ」
ああ、恋とは。
恋とは恐ろしい。
さっきまで、ヒジキをほのぼの食べていたというのに。
きっと椎名君は言うつもりなど無かったのに。
最後まで言わせてしまったのは私だ。
受け入れることも出来ないくせに。
だけど。
衝動にも似た熱でどうしてこうも心を揺さぶられるのだろう。