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32話

誰もいなくなった公園にギギギとブランコの錆びた鉄の音だけが響いていたのに、不意にその寒々しい静寂を砂を踏む音が打ち消した。

その音はまっすぐ私に向かい、そして目前で停止する。

視界に移る靴から、ゆっくりと視線を上げると、予想もしていない人がそこに立っていた。


「なん、で」


「通りかかって」


白い息をはきながら、椎名君が無表情に言う。

私はすぐに下を向いて涙を隠した。

泣き顔が許されるのは、二次元と美人と相場は決まっているじゃないか。

私の泣き顔なんて人様に見せれるものじゃない。


すると、空気の動く気配。

ふわりと視界をふさぐ熱。


「泣いて」


椎名君は私を抱きしめてそう言った。


「こんなとき、泣かないでって言うものじゃない?」


驚いたのと気恥ずかしいのとで、鼻声ながらそんな憎まれ口が飛び出した。


「我慢、だめ」


椎名君は端的な、けれどひどく優しい言葉を私肩先でとつとつと囁いた。


「見ないから」


泣いて、と椎名君が繰り返す。

そんな風に、いたわるように囁かれて。

もう、我慢できなかった。


「うっ・・うっ・・うぇぇん」


ああもう、遠慮もなく泣きましたとも。

子供みたいに声を上げて、がむしゃらに。

ただがむしゃらに。



※※※


声が枯れるまで泣いた。

えぐえぐと、えずきながら泣いた。

全力で泣くって意外と大変。

すごくぐったりなる。


精根尽き果てるまで泣いてしまった私。

もう、出る水分ありませんって感じです。

さらにはこれ以上の恥もありません。


すっかり涙が収まったころ、ゆっくりと椎名君の腕が解かれる。

うん。シャツを汚してたらごめん。

ていうか。確実に汚してる。

なんか本当にごめん。

声を出す元気も無く、ぐったりと俯きながら、心の中で謝罪を繰り返していると、極々近い距離で顔をのぞき込まれた。


やめて欲しい。

ひどい顔に決まっている。

もう二次元、美人どうののレベルじゃ無いよ。

ガチ泣きだもんね。

私は隠すように腕を顔の前に持って行こうとしたけれど、どういうわけかその手を椎名君にやんわりと阻まれた。


な、何故だ。

羞恥攻めか!


私は椎名君を恨めがましく睨むが、目の前の感情の伺えない彼は微動だにしない。

ただその湖面のように凪いだ瞳に私を映していた。


その深い瞳に絶えきれず、私はぎゅっと目を瞑る。

すると、見計らったかのように瞼の上から暖かな何かに触れられ、私はぎょっと目を見開いた。


「な、」


「からい」


目の前の鉄面皮が無感情にそう言う。

ちらりとのぞいた赤い舌が妙に艶めかしくて、いたたまれないのに視線を逸らせない。

舐めた。この人舐めた。

予測不能な椎名君の言動に私の感情はついにショートしてしまったらしく、

「あ、ああ。涙だからね」などと普通に応えてしまう始末。


「からいとつらい・・・同じ字」


椎名君は私をじっと見た後ポツリと言った。


「全部出た?」


「う?」


「つらいの全部出た?」


そう言って首を傾げる椎名君。


「・・・」

「・・・」


お互いしばしの無言。


あ・・・。

ああ、そっか。

そうだね。


声を上げて泣いて、「つらい」の出ていけ。

からい」涙と一緒に出ていけ。


さっきの瞼へのキスが、そんなおまじないのようにも思えてきた。


「ふふ」


何でか知らないけど込み上げるように、ふふっと笑ってしまっていた。


『あーほら痛かったねぇ。痛いの痛いのとんでけ~』

『あらあら。ないたカラスがもう笑った』


記憶に埋もれていた言葉が蘇る。

父も母も兄も笑っていた。

うん。大丈夫。

覚えてる。こんなにも暖かい。

大丈夫。


私が急に笑ったからか、目の前の椎名君がちょっとだけ目を見開いて、

それから、ちょっとだけ表情かおをほころばせた。


椎名君の無表情が崩れる瞬間が好きだ。

そんなことを、言葉も無く思った。


椎名君は無表情で言葉も少ない。

だけど。だからこそ、少ない言葉の一つ一つに重みがあって、少しの表情の変化に敏感になる。

最初の頃は無言を居心地悪く感じていたけれど、今では不思議とそれがない。

寧ろ、なんだか・・・心地いい。



※※※


「自分は、笹野さんに・・・救われたから」


椎名君は私の横のブランコに移動しながら、ゆっくりと囁くように話した。

ポツリポツリと途切れながらも文章になる彼の言葉に私は静かに耳を傾けた。

彼は言う。私に救われたのだと。

そして。


「指が、」


そう言って、伏し目がちに私の指を見つめた。


「本を撫でる、指に惹かれた」


「本を、撫でる・・・私そんなことしてた?」


無言で頷く椎名君。

・・・全くの無意識です。はい。


「ぎゅって」


「へ」


「ぎゅってしたとき」


無表情に椎名君が続ける。無表情で「ぎゅっ」を連発する彼が何故だか可愛らしく見えてしまう。

前は彼のギャップに恐怖していたはずなのに・・・。

椎名君が可愛く見える時が来るとは・・・。

私が脳内でギャップ萌の恐怖と戦っている傍らで椎名君は続ける。


「髪を、撫でてくれた」


ああ、あの時だと思い出す。

椎名君を裏庭に呼び出して在らぬ誤解を受けたあの時。

ひんやりと外気に冷やされた髪の感触を思い出して「うん」と私は頷く。


「なにより、救われた」



椎名君はまっすぐ私を見る。



「欲していた以上のものをくれた」


言葉が詰まる。

救われたと言う椎名君の言葉に私もまた、救われる。

お互い何も重要な部分を口に出すことなく。

不幸の比べ合いなど無しに。

ただ抱きしめ、抱きしめられ。

魂を励ます。魂で寄り添う。


私は、不思議な感動に心を震わせながら、泣き尽くした不細工な顔で、それでも精一杯の笑顔を浮かべた。

椎名君はくろすぐり色の深い瞳を一つ瞬かせる。

物質的な距離は変わっていないのに、その瞬き一つでまた一歩近づいた気がした。


「今は、指よりも」


椎名君は、その先は言わなかった。

私も聞き返しはしなかった。


お互い何も言わずに空を見上げた。

キイキイとブランコを揺らして。

空中を泳いでいるみたいだと思った。


※※※


「遅い」


家の玄関の扉を開けると兄が仁王立ちしていた。ひよこエプロンで。

もうとっくにヒジキの煮物はできあがっていたらしい。


「ごめん」


此処は素直に謝る。

兄は、ふーとため息をついた。


「で、」


触れたくないが、触れられずにはいられないといった様子で、兄が私の背後を指さす。


「お前の背後にいる無表情は人間か?お前、背後霊拾ってきたんじゃねぇだろうな」


失礼な兄だ。

た、確かに一言も言葉を発さず、無表情の彼はちょっと・・・結構怖いが。


「同じクラスの椎名君。偶然会って、送ってもらったのです」


「こんばんは」


私が紹介すると無表情でそう言ってぺこりとする椎名君。


「・・・」

「・・・」


じっと見つめる兄。見返す椎名君。

え?

な、長くない?

なんでこんなに見つめ合ってるの?

ええー。何この二人。

だから何で無言で見つめあってんのー!


焦る私をよそにしばし見つめ合っていた二人。

だが不意にフッと兄が笑う。

何処か達観したニヒルな笑い方だが兄よ、使い所間違っているぞ。


「椎名か・・・。まあ良いだろ。お前晩飯食っていけ」


「え、なぜそんな展開に?」


まあ良いって、何が良いんだ兄よ。

いったい何を理解したんだ。

無言で見つめ合っていたようでいて、実はテレパスしてたのか?


「ごちそうになります」


椎名君もめっちゃ乗り気ーー。


そそくさと、携帯を取り出し、家政婦の田中さんに夕食はいらないと告げる椎名君。


「ははは。実はヒジキを水にもどしすぎてな。ありえんほど多量だ」


ちょ、兄!最後めっちゃ真顔!多量のところ笑えてないから!

ぜったい消費目的で誘ったでしょ!好意でも何でも無いでしょ!


「ひじき・・・好き」


「そうかそうか。たんと食えよ」


ええええええ。なんだこの展開。



「葵」


椎名君へ先に居間に上がるよう促した後、玄関の外で未だ戸惑う私を振り返る兄。


「泣いたのか」


疑問ではなく、そう問いかけてくる。

その瞳はとても優しい。


「っ」


「うおっ」


思わず、兄の腰にしがみついた。

やっぱり腰が若干引けている兄にプッと笑う。


「お兄?」


「ん?」


「おにいが、おにいで良かった」


「ははは。何を今更。こんなグレイトな兄はそうそう居まい」


照れ隠しなのか何なのか、兄がぐしゃぐしゃと私の頭を撫でる。


「なあ葵。俺は今の生活をそんな悪いもんとは思ってないぞ」


料理だって今の時代できた方が男はモテる。そう言って笑う兄。


「お前はどう思うか知らんが、俺たちは中々良い子たちだし」


「うん」


突っ込みたくはあるが、ここは素直に頷いておいた。


「子はかすがいと言うし、俺たちが笑って、楽しく過ごしてれば大丈夫だ」


「うん」


「な?だから泣くな。・・・ほら、ヒジキが家で待ってるぞ」


あれだけ泣いたのに、一つ零れ落ちた涙を兄が手の甲で拭ってくる。

かなわないなと思う。

私には迎え入れてくれる手がこんなにあるのだ。

それは、涙が出るほど嬉しいじゃないか。



兄と二人居間に上がると、ちょこんと正座して座っている椎名君と、・・・黒々しい恐ろしく大量に盛られたヒジキが私たちを待っていた。



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