表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/54

27話

有志さんと並んで月を眺めていた。

ああ、こうしてこの人と夜を共有することは無いかもしれない。

そう思うと、恐ろしいほどの寂しさが胸に押し寄せた。

彼はもう自分の進むべき道を定めてしまったのだ。

自分の手で、手繰り寄せるように彼は進んでいく。

ああ、なんと目映いのだろう。

彼は、私の前を通り過ぎていくのだ。

去っていく。

時間は刻一刻と色を変えて目の前を通り過ぎていく。

まるで取り残されたように感じてしまうのは、私がそれを羨んでいるからだろうか。

変わりたい。彼が、彼の音楽が私を急き立てるから。

私も自分のレールの先を見たい。動き出したいのだと。

だけど、と同時に思う。


それは、とても恐ろしい。

怖いのだ。踏み出すことで何か失いそうで。

私の日常全てに溢れる幸せが、少しずつ色褪せてしまうことを私は望まない。

変わらないでいたい。変わらないでいて欲しい。どうか、どうかこのままで。

変わらない、確かなものに縋りたい。


ああ、夏目さん。

貴方は、何時まで変わらず私の側にいてくれますか。



※※※


手に持っていたジュースを一気にあおいだら、何故か気分が一層浮足立った。

ふわふわ、というか何だかクラクラの境地だ。

足元も心許無く、地面が揺れる。

思わず、フラリと隣に佇む有志さんに寄りかかってしまった。

彼の肩がビクリと震えたが、すまん。何だか頭がふらふらということを聞かないんだ。


「っおい!それ、何を飲んだ?」


「え~?マローさんが、渡してくれたんですよ~」


ジュース…だよねえ?。クラクラした頭で答えると、直ぐそばで舌打ちが聞こえる。

あは。不機嫌になってる。やっぱり触れるのは嫌なんだな。

女性嫌い克服も後一歩ですよ~。


「あ~。最後ぐらい無礼講です。いいじゃないですか。最後なんだから…」


「…最後、最後ね…。君は余程私と永遠に別れたいらしい」


もたれかかった頭をぐりぐりさせてやれば、少しの沈黙の後、ため息混りにそんな言葉が返ってくる。

思いのほか、遣る瀬無いようなその響きに、ぼやけた頭が冷静になる。


「……だって、有志さんと私は住む場所が違うから」


それは、土地的な意味だけではなく、彼はこれからきっと音楽家としてきっとずっと高見を目指すような人だから。



「はっ…そんなことは、自分の意志と努力でどうにでもなるだろう」


馬鹿にしたように笑って有志さんはそううそぶいた。

有志さんの肩から頭を持ち上げ彼の顔を見る。

言葉に反して表情は真剣だった。

その言葉は、前に聞いた言葉に良く似ているように思う。

ピアノに関しての努力は惜しまない。いくらでも少しのことでも怠らないと。

プルトップでさえ開ける事を戸惑うその指先を思い出して、思わず頬が緩んだ。

きっと、彼はそれを実行できる人なのだ。



「それなら…最後じゃ、ない?」


「ああ、最後になどさせるものか」



私と有志さんはとても近い距離でお互いを見ながら笑った。

もう目を逸らされることも無くて、それが何だかとても嬉しかった。

不意に彼の手が私の手にに触れた。

外気に晒されたその指は冷たく、触れられたことに驚くより先にピアニストの指を守らなくてはと、咄嗟にその手を包みこむように握った。


「つめたい」


「君は温かいな」


確かにこの寒さなのに私の手は有志さんとは対照的に温かかった。

ん?というか…。寧ろ体中があついような…。


そんな事を考えていると。


「ああもうっじれったいナ!ユーシ!早く、ちゅ~!イマ!ちゅ~!」


「それは無理でしょう。ユーシの女性経験は小学生以下ですよ。」


「おうおう。若けえなあ」


「……」


ぎゃいぎゃいと騒がしく、入ってくる声。

ぎぎぎ、と有志さんとそちらを向けば、齧りつくように此方を見ているマローさんと、あきれ口調のライオスさん、ほのぼのと小松親分、そして殺人者のような凶悪な面持ちで佇む兄がいた。

ひいい。

何時からそこに。


ずんずんと兄が凶悪顔のまま近づいてきて、私の肩を掴むとベリッと有志さんから引き離した。

ふらふら状態だった私は引き剥がされるままに兄の胸に背中から凭れかかってしまう。


「……おい。葵に酒を飲ませたな」

兄は私をしっかりと支え、不穏な声を響かせた。


「ちっ…おいマロー!!」


「え~?ボクしらな~イ」


有志さんのとマローさんの声を聞きながら、私は急激に訪れた眠気にそのまま瞼を下した。

ふわふわ熱くてどうしようもなくだるかった。


それからの事は酷く曖昧で、どれが現実でどれが夢だったか定かではない。


※※※



ゆらゆらと。

心地よい暖かさと振動。

ああ、このたゆたうような心地よさは兄の背中なのだろう。


「…おにい?」


「…なんだ」


「お兄はずっと側にいるよね?ずっと葵の側にいるよね」


「ああ、葵は何も心配しなくていい」


「誰も何も変わらないよね」



あれ、私は小さい頃の夢を見ているのだろうか?

それとも、これは現実だろうか。

覚醒しきらない頭ではそんなことさえ分からない。


「夏目さんも、変わらないで葵の側にずっといるかな」


「……」


だってそうでしょう?

夏目さんはずっと昔から少しも変わらず夏目さんなんだから。

蜂蜜色のきらきらの髪に、とっても綺麗な青灰色の瞳で、甚平を着て、いらっしゃいと私を迎えてくれるでしょう?

それが、何年先でも変わることは無いでしょう?



それが、どれほど不自然なことでも。



私の問いかけに兄はもう何も言ってはくれなくて、ただ暖かい背中に頬を擦り寄せた。

いやだいやだと駄々を捏ねるみたいに。



そうか。


そうか。


私は怖い。

だから。

私は変わることを恐れる。


それは変わらない夏目さんを置いていく事だから。


苦しくなる胸が水滴となって兄の背中に染みを作った。



夏目さんとの間に立ちふさがる歪みが私を怯えさせる。

それは、有志さんの言う意志と努力だけでは、きっと越えられない歪み。




※※※


ゴトンと何かが立てる音に私の意識はふいに覚醒した。

暗いが、見覚えのある天井。間違いようもなく私の部屋だ。

なぜ、何時の間に戻ったのかと起き上がり、ベットから足を下ろすと足に何か硬質なものが触れた。

がらりと鳴るそれを拾い上げる。


「あ、」


拾い上げてそれが何かを知る。

大事に大事に瓶に詰めた金平糖。


――カタチに残るモノより、溶けてなくなった方がいいのだろう

――だけど、覚えていて欲しい。と言うのは傲慢かな…


夏目さんの言葉は、何時も唐突で脈絡がない。

だけど、それらは私の心深く居座って、事あるごとに私を翻弄する。

魔法のように私を縛る。

その言葉で、瞳で。

意味深で意地悪で、飄々とした掴みどころのない人。

私は何時もあなたの言葉を汲み取ることが出来ないのです。

知りたいと、夏目さんを知りたいと思う。

だって、私は知ってしまったんだ。

心を許されるということを。

椎名君と有志さんに関わらなければ、知りようもなかった。

お互いの領域を許し合う心地よさ。


不思議だからこその聖域だった。触れてはならない触れられない場所だった。

だけど、知りたいと思ってしまった。

誰よりも、何よりも私を縛る人。

はぐらかさずに教えて。

ねぇ。夏目さん、あなたがとても知りたい。




気付いたら私は家を飛び出していた。

外はまだ月が高く、深夜である事が分かる。

自分は何をしているんだろうか。

近所とは言え、こんな夜にどうかしている。

吐く息が白い。

暗闇の中、翻る裾だけがきらきらと踊っていた。


当然、古本屋は外から見ても真っ暗で、人の居る気配は無い。

半ば希望を持たずに引き戸に手を掛ける。

それは思いがけず簡単に開き、不用心ですよ夏目さんなどと頭の端で思う。

そっと踏み入った店内は、静謐というより何処か寒々しかった。

聳え立つ本棚は余所余所しく威圧感を増して、夜の森にでも迷い込んだようだ。

当然この時間に夏目さんが定位置で本を読んでいるはずも無い。

自分は一体何をしているのだろうと思う。もし会ったとして、私は彼に何を言いたいのだろう。

一歩一歩本棚の隙間を意味も無く歩きながら、自分の行動の無意味さに泣きたくなってきた。

もう帰ろうか、とそう思った時。


ポーンと一音。


ピアノ?

それは確かに、ピアノの音だった。

微かに聞こえるその音を頼りに、店の丁度端にある本棚まで行く。

この本棚の向こうから聞こえるけど、どう考えてもここは店の端で本棚の向こうは壁のはず。

首を傾げながら、もっと音を確かめようと本棚に手を掛け顔を寄せた時、ガタンと何かが嵌った音がした。


「え、え、え、うそ」


嘘みたいなことだけど、それはまさに私の目の前で起こった。

ゆっくりとスライドしていく本棚。

その先に見えるのは下へ下へと続く隠し階段。


何か、とんでもないもの見つけちゃいました…。












評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ