23話
「おめでとー葵!!」
椎名君とお昼ごはんを滞りなく済ませ、教室の扉を開けた瞬間言われた一言。
「は!?何事?何が起きた?」
私、誕生日過ぎてますけど。
不審顔で周りを見渡すと、生温かな微笑が返ってくる。
これはいったい…。
私の横に立っていた椎名君に視線を遣ると、彼も少し首を傾げて私をジッと見返した。
どうやら彼にもこの周りのテンションに心当たりは無いらしい。
「んもーう。さっそく見つめあっちゃって。ラブラブなんだから」
にこにこ笑いながら四季子が寄って来る。
「は!?」
ちょっ!?
ええええ。
このこのって、肘で小突くなぁあああ。
「なっ。らぶっ!?」
「葵がさ、振られた腹癒せに椎名君殴るんじゃないかって、心配した私たちはクラス代表で岡崎を裏庭へ送り込みましたー。現場の岡崎さーん」
「振られたって前提から違っ」
何でそんな話になってるんだ!!
「はいはーい。現場の岡崎でーす」
焦って否定する私を遮り、クラスのお調子者岡崎が呑気な声を出した。
「な~んと。椎名夜彦君と笹野葵さんは、あっつ~い抱擁を交わしておりまーす。」
岡崎が大げさなジェスチャーで言うと、クラス中がヒューヒューやらなんやら盛り上がる。
お・か・ざ・き~。殺!!
岡崎を睨むと、悪びれもせずヘラリとした笑顔が返ってきた。
こいつ!
「椎名君は~。何か敷居高いって感じで~寡黙二枚目って感じで正直悔しいけどー。まぁ、純朴和風系葵なら似合わんこともないよー」
そうそう!イケメンってか二枚目とかハンサムって感じだよねー。
わかるー。だよねー。
女子は女子で、勝手に盛り上がってる。
何だそれ。
恐る恐る椎名君を見れば、色んな男子になんやかんやと絡まれていた。
依然として無表情な椎名君。
ああああ。このこのってやられてるし。
椎名君は決して絡まれキャラでは無かったのに!
一目置かれた委員長キャラだったのに……。図書委員だけど。
ごめん。椎名君。
決して私だけが悪い訳では無いけど、どうしようもなく申し訳ない。
発端は私だし…。
誤解が解けることはなく、始業のベルが鳴った。
ざわめく教室内に入って来た中センは、騒ぎの中心でワタ付く私を見てニヤリと笑った。
くうう。何か不本意だー。
※※※
「ごめんね。椎名君」
放課後、押し出されるようにクラスメイトたちに促され、椎名君と帰路についている。
何と無く、椎名君は騒がれるのが好きじゃない気がするし、何だか申し訳なくて謝る。
「なんで」
「え」
「笹野さんは、悪くない」
思ったより柔らかな口調に顔を上げると、しっかりと椎名君と目があった。
その目線だとか、口調だとか、いつもより柔らかく届くのは私の気のせい?
「そっか」
「ん」
ジッと見つめられていると、昼間抱きしめられたこととか、首にかかる柔らかな髪とか、まざまざと甦って。
思わず赤くなった顔をごまかすように俯けた。
寒さに乗じて手を温める振りをして顔を隠す。
何、この湧き上がる恥ずかしさ。
「それに」
「あ」
椎名君の手が私の手に伸びて、しっかりと捕まえた。
行き成りで予想外の行動に、逸らした顔を再び彼に向けてしまう。
「存外、愉快だ」
何時かのようなセリフで、何時かよりもずっと柔らかに笑う椎名君。
私は、何も言うことができなくて、ただ唖然と椎名君を見ていた。
あの時とは決定的に何かが変わった。
それは何によって?
彼を変えたのは何?
私を動揺させるのは何?
私の頭の中はパニックを起こして、たくさんの疑問が渦巻いた。
触れた手の熱さに、私はどんどん平静さを失っていく。
動揺した顔を見られたくないのに、合わせた視線を自分から逸らすことが出来ない。
「おや?葵ちゃん?」
聞き馴染んだ、良く知る声が私を思考の渦から救い出した。
そうか。ここはもう、並木茶屋通りだった。
この人に出会っても、何らおかしくはない。
「な、つめさ、ん」
ぱっと視線を声の方に向けると予想通りの姿。
だけど。
その瞳が。
美しい青灰色の瞳が。
暗い無機質なガラス見たいに冷たくて、私は声を詰まらせた。
「君は…椎名、夜彦君、かな?」
夏目さんが笑み湛えて優雅な動作で近づく。
だけど、その瞳がとても冷たくて。
私は、怖いというより悲しくなった。
以前も夏目さんの瞳が、ガラスみたいに冷たくなることはあった。
けれど、それとは違って今は笑顔を作るから。
不安定な薄いガラスが今にも壊れてしまいそうな、言いようの無い不安。
そう、ちょっとした刺激で意図も簡単に崩れ去ってしまいそうな、そんな心許無さ。
そんな顔しないで。
そんな眼で笑わないで。
未だに椎名君に繋がれた手にギュッと力が籠る。
はっとして、椎名君を見れば何処か緊張した面持ちで夏目さんを見ていた。
ピリッとした空気を肌で感じる。
やばい、やばい、やばい。
どうする?
否、どうにかしないと。
「そうです!そうなんです。彼、椎名君。クラスメイト、寡黙!!」
私は、どうにかこの空気を脱しようと、何故か片言で言った。
最後にバディーっっとばかりに繋がった手を振り上げる。
そして、素早く夏目さんの手を、空いたもう片方の手で捕まえる。
「彼、夏目さん。近所の古本屋さん、年齢不詳!!」
勢いに任せた意味不明な紹介を終えて、同様に夏目さんの手も振り上げた。
「……」
「……」
「……」
私は、長身の彼らの手を必死に上げながら、ダラダラと汗を流した。
冷や汗という名の。
何をしてるんだ私。不審過ぎる。
ああ。両側からの視線が痛い…。
「…ふ…あはははっ」
急に、夏目さんの方から快活な笑いが響いた。
繋がれていない方の掌を額に当てるようにして、そっれはもう爆笑してらっしゃる。
私は、ハハハ…。と乾いた笑いを漏らした。
そっと振り上げたままの二人の手を下ろして離す。
兄さん……。人間やばい時は幾らでも捨て身になれるのですね。
けれど、私何か失った気持で一杯です。
大人になるってこういうことなのでしょうか。
「ははっ…。年齢不詳は酷いな。葵ちゃん」
「…だって。そうじゃないですか」
やっと笑いが収まったのか、そう言って私の頭を撫でる夏目さん。
先ほど纏っていた空気は何処にもなく、心の中でホッと息を着く。
「あ!あの、夏目さん椎名君の書いた話読みたいって言ってましたよね」
仕切り直しとばかりに尋ねると、うん?そうだね。と返って来る。
よし。
今度は、先ほどから黙ったままの椎名君を振り返る。
「あのね。椎名君の作品すごく良かったから、是非夏目さんにも読んで欲しいんだけど、どうかな?」
「……」
椎名君はこくりと頷いた。しかし、無表情ながらいつもに増して表情が堅い、気がする。
やはり、気が進まないのだろうか。
「…やっぱり嫌?嫌なら…」
「クラスメイト」
「え?」
急に言葉を遮られて、キョトンとしてしまう。
無表情の様で、何処かしらムッとした椎名君。
「特別」
ああ、うん。
その一言でやっと納得。
彼は、さっきの私の紹介フレーズが気に食わなかったらしい。
そういうところに拘る椎名君は少し可愛らしい。
「うん。そうだね。ごめん。椎名君はともだち」
「…」
にっこり笑ってそう告げたら、椎名君はぴくりと固まった。
そして、小さく私に頷くと、夏目さんにゆっくりお辞儀して去って行った。
去っていく彼の背中に何故か哀愁を感じる…。
仲良くなったと思ったけど、まだまだ謎だ。椎名君。
うーんと首を捻っていたら、横から声が落とされた。
「牽制するまでも無く、か。無意識とはまた酷な…」
意味深で不可思議な夏目さんの言葉に更に首を傾げたら、苦笑して両肩をひょいとあげられる。
結局、教えてはくれないということか。
少し眉を顰めて見上げると、ちょっと溜息つかれてしまった。
「やれやれ。困ったものだね」