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22話

4限終了のチャイムと同時に私は椎名君の前に立ち塞がった。

朝からこの時を待っていたのだ。


「椎名君。今から、裏庭にいい?」


私がそう言ったとき、例のごとく教室内はどよめいた。

「よびだし」「昨日ふられた腹いせに」「あ、葵、暴力は・・・」

とか、聞こえるのですが。

何かめちゃくちゃ聞き捨てならない台詞出たけど。

私、振られたことになってんのかい!

いや、気にしてはいけない。心を静めるのよ葵!

椎名君は私をじっと見た後、ゆっくり頷く。


「し、椎名君逃げて」「何て強者だ」「あ、葵、暴力では何も生まれないわ」

て、其れはあんまりだ。

ぎりぎりの忍耐力を頼りに、早々に椎名君を連れ立って騒がしい教室を後にした。


※※※


「椎名君,昨日は言えなかったのだけど」


私はお弁当のことも忘れて、早々に話を切り出した。

今日も裏庭は人寂しく冷え冷えとしている。

しかし、緊張のためかそんなことは気にならなかった。

昨日、家に帰って決めたのだ。

椎名君と話をつけよう、と。

変な考えだが、私は椎名君と本気で向き合う決心をしたんだ。

只ならぬ私の様子に、椎名君も重箱を傍らに置いて、聞く体制をとってくれた。


夏目さんは、気負う必要はないと言ったけれど。

こんなに真剣に誰かに伝えようとしたことがないから。

今、こんなにも緊張している。

誰かのために言葉を紡ぐ。

それが相手の役に立たなくても。

ただ、届けと。そう願って。


「椎名君の小説はね。昨日も言ったけど、すごいと思ったよ。主人公の思いがグワ−って心の中に入ってきて、夢中になって読んだよ」


昨日は言えなかったと切り出しておきながら、昨日も言ったと小説の讃美をする私はいったい何者だ。

昨晩言いたいことをリハーサルしたはずなのに。

本人を目の前にして、思考とは裏腹に上手くいかない。

椎名君は急かすこともなくじっと黙って私の言葉に耳を傾けてくれている。

揺るがない彼の表情に安堵した。

私が言いたいことを言えていないのを、彼は分かってくれているようだ。


落ち着け私。

――君が答えを与える必要はない。葵ちゃんは君が思うままに。

私は、そっと夏目さんの言葉を思い出し、心の中で深呼吸した。


「椎名君の小説主人公は何故、自分の夢を馬鹿みたいなことって言ってしまえるの?私には、まるで最初から夢を諦めてるみたいに思ったよ」


――月に行きたいだなんて馬鹿みたいだと思うかい?

  馬鹿みたいで、叶わない。だから言えるんだよ。


椎名君。貴方の月は本当に届かないものなのだろうか。

そうやって諦めて届かないふりをしているのではないの?


「主人公は月に行くことを馬鹿みたいに叶わないことだって言っていたけど、好きなことってどんなに大変なことでも努力しようって思わない?」


あの日の有史さんの背中が脳裏に蘇る。

馬鹿みたいで叶わないなら努力する。

どんなに大変でも自分のやりたいことだからと。

彼はそう言っていたのだ。

私には持ち得ない悩みだからこそ、私には眩しくとても美しく思えた。


「私はまだそう言えるものは無いけど。好きな場所はあるよ。好きが動かす気持ちってとっても強くて大切だと思う」


ざわり、と風が吹いて私の視界を髪がゆらめいた。

目に何か入ったのか椎名君は目を細め、無駄の無い眼鏡をそっと外して眉間を押さえた。

暫く待っても彼はそのままで動かない。

ゴミが入ったという様子でも無さそうだ。

何か思案しているのかもしれない。

私は、意を決して言葉を続けることにした。

彼の視線が此方に無くても私はもう言うことをためらわない。

瞼をそっと閉じる。


「あと主人公は家業を継ぐことに、決められた道を進むことにとても否定的だったけど私は、羨ましいって思うよ」


「うらやま、しい?」


訝し気な椎名君の声が繰り返した。


「うん。だって其れは、親が与えてくれたチャンスだと思うんだよね。その人の強みになると思う」


とても無責任なことを言っている自覚はある。

でも、私には選ぶ資格はない。だってそれは椎名君が決めることだから。

だけど、これこれだけは。

ちゃんと伝えたいと思ったんだ。

私はゆっくりと瞼を開く。

レンズの隔たりの無い深い椎名君の瞳にやっと出会って。

いつもの無表情だけど、いつもより幼げに見える彼の顔にほっとした。


「だけど。だからね」


うまくは言えないけど。


「あの主人公の彼は」


椎名君は。


「何も、あきらめる必要なんてないよ。どちらか一つなんて、そんな風に自分を追い詰める必要なんてないよ」


私を真剣に見つめていた椎名君の目が見開かれる。


「だって、私たちはまだ若いし、視野は広く持たないと」


これは、受け売りだけどね。

私は、言い切った清々しさに思いっきり笑って見せた。

椎名君は驚いたような表情をしている。

珍しいな。何て考えてたら、次第に眉間に皺がよって。

そして、くしゃりと笑った。

泣き出しそうな子供が笑ったみたいな無垢な笑顔。

―!!

不意打ちを食らって私は息を呑んだ。

しかし、その瞬間目の前がぶれて視界が真っ暗になる。

いや。私は、椎名君の腕の中に抱き込まれていたのだ。


「ししし、椎名君?」


「・・・」


動揺のまま呼びかけると、ぎゅうっとさらに腕に力を込められた。

ええええ。

ど、どうしたら良いんだ。

心臓がバクバク鳴っている。

だけどこれは私の?それとも・・・?


「知って?」


うつむいた椎名君の髪が首にかかると同時に問われた。

一瞬何を問われたのか分からなかった。


「え?」


「華道」


すぐ思い当たる。


「・・・うん」


気まずく答えた。

彼は、私が彼の家柄を知っているのではないかと思案したようだ。

椎名君は小説の主人公にではなく、自分自身に向けられた言葉だと悟ってしまったのだ。

そうなると、何かしら彼の置かれている環境を私は既に知っている可能性が高い。

そういうところだろうか。

折角のオブラードがこうもやすやすと剥がされるとは。

何だか悲しい。


「私、わかりやすい?」


私は素直に尋ねた。


「“私たちはまだ若い”って」


ああ。そうか。

小説の主人公はそう若い年でもなかったっけ。

全く、最後の最後で私は詰めが甘い。


「雑誌で知ったの。憶測ばかりで勝手言ってごめん」


私の謝罪に椎名君は首を緩く振った。

彼の髪が首に当たってこそばゆい。

僅かに身じろぎすると離れると思ったのか、椎名君はまたぎゅっと腕の力を強めて、もっと首を振った。


まるで子供みたいな仕草。

あの鉄仮面の行動とは思えない。

私は苦笑して、彷徨っていた手を彼の後ろ髪に添える。

左右に揺れる頭部を宥めるようにゆっくりと撫でた。

私が一番落ち着く行為。

椎名君にも効くかな。

撫で続けると、やんわり彼の腕の緊張が弱まる。

どうやら椎名君にも有効らしい。

私は彼の艶やかな髪を撫でながら、寒々しい裏庭の光景をボンヤリと眺めた。

椎名君の髪は外気のせいかひんやりとしていた。

私の首に僅かに弾く彼の水滴もまた、酷く冷たい。

何故か胸だけがギュッと熱く、切なく爆ぜた。


「椎名君。どちらが正しいなんてないよ」


私は彼のことをどれだけも把握していない。

ほとんど知らないと言ってもいい。

でも、これだけは分かる。

彼はきっとずっと苦しかったのだろう。

早く大人になることを求められて。

私はそっと彼と同じように椎名君を抱きしめた。

もう最初のような動揺は無く、ただ励ますようにぽんぽんとハグする。

私にしては大胆な行動だが、今の椎名君はまるで幼い子供のようなので、私の腕はなんの戸惑いもなく彼を抱きしめた。


「大丈夫だよ。椎名君が選んだ答えなら私応援する」


綺麗事かもしれないけれど。

なんの手助も出来ないかもしれないけど。

辛いならこうして、何度でも抱きしめよう。



※※※



ずっと首を寄せるように抱きついていた椎名君は、本当にゆっくりと顔を上げた。

首を掠める髪の感触がくすぐったい。


「・・・好き」


「は」


耳元で囁くように言われた言葉に耳を疑った。

いや、まて私。

きっと聞き間違いだ。

でもこの至近距離で?

まさか、まさか!


「好き、なんだ」


「ええええええ」


私は椎名君の肩を鷲掴みにし、勢いよく距離をとった。

目の前に現れた彼の表情は何処かキョトンとしていた。

私の行き成りの行動に驚いたって顔している。

いや。こっちのが驚いてるからね!

貴方の突飛な発言には!

だってすすす。


「す、すきって―!」


「書くことが」


「・・・」


「・・・」


  あ。

書くことが好きと。

さ、さいですか。

乾いた視線が、ベンチに取り残されたお弁当を捉える。


「・・・・・・おべんと、たべようか」


私の問いかけに椎名君はゆっくりと頷いた。



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