18話
懐かしい夢を見た気がした。
肝心な事が抜けおちた妙に気になる内容だったはずなのに、朝食を食べ終わる頃にはもう忘れてしまっていた。
ま、夢なんてそんなものだ。
※※※
「椎名君!」
「笹野さん……おは、よう?」
「うん。もうお昼だけどね」
椎名君は、今朝もその姿を現さなかった。
今日も休みなのか、と少々落ち込んでいたら、彼は昼休みにひょぃとやって来たのだ。
待ち詫びていた姿だけに、開きかけたお弁当は其の儘に彼の傍に駆け寄った。
「……」
「あ、小せ…あっと」
彼の書いた小説のことをすぐにでも話したかったけど、何故か教室中の視線を集めてるっぽいし、言いふらされていい話でもないだろう。
「えっと、椎名君お昼まだでしょ?一緒に食べない?えっと、ふ、二人きりになれるところ、とか…」
最後の台詞がまずかったのだろう、まさにドヨっと教室内がどよめいた。
あばば。これじゃ告白じゃん。これから、告白しますよ!的な。
おとめ!再来!
変にカミカミなのがさらに誤解を助長させたようだ。
ちがうぞ。みんな!日頃の私を思い出して!ワタシ、そんなキャラチガウ!
「えっと、そうじゃなくていや、二人きりになりたいのはそうだけど…」
「……」
誰に言うでもなくシドロモドロしていると、椎名君は然して気にする様子もなく、ゆっくりと無言で頷いた。
椎名君が教室の扉近くで待ってくれている間、急いでお弁当を包みなおし鞄に突っ込む。
一緒に食べるはずだった友達数数人に断りを入れて教室を出た。
何故か生暖かい笑顔で「頑張れ」とか言われたのは、気にしない。
いやだわ、この年頃の人たちは何でもかんでも色恋沙汰に結び付けようとして!
アイアムクリーン。
ウィーアーフレンズ!
※※※
モクモク
モクモク
「……」
「……」
椎名君と連れだってやってきたのが、裏庭。
もともと饒舌ではない椎名君だから、私が黙ってしまうと本当に無言だ。
何で喋らないかって。
寒いんです。今11月中旬です。
確かに二人きりになるには絶好のスポットでしょう。
何てったって人っ子一人いないからね!この寒さじゃあね!
寒さのせいで上手く動かない指先を叱責しながら卵焼きを口に運ぶ。
横に座る椎名君を見る。
彼は、寒さも感じないのでしょうか。鉄仮面最強…。
というより、鉄仮面改めロボコップと呼ぶべきでしょうか。
平然と背筋を伸ばし、綺麗な動作で箸を口に運ぶ椎名君を唖然と眺めながら、自然と彼の箸が向かうお弁当箱へと視線を運ぶ。
「って重箱!?」
思わず、声に出してしまった。
何故、今まで気付かなかったのか。何処の料亭の仕出し弁当かという豪華絢爛な3段重箱が彼の膝にずっしりと乗っているのだ。
「す、すごいね。気合入ってるね…椎名君のお母さん」
私は自然と自分の膝に乗ったマイ弁当を眺める。
昨日の残りのブリ大根とか煮物とか、おいしいけど如何せん花がない…茶色い。
「…」
「…?」
がっくりと肩を落とす私を、首を傾げながら見る椎名君。
そして、ポツリと言う。
「…田中さんが」
「ええ!?」
た、田中さん?今、お弁当の話してたのに田中さん?
それっきり黙ってしまう椎名君。
ご、ごめん読めない。読み取れない。
あ、もしや!
「私、笹野」
「…うん」
「……」
「……」
私は自分の顔を指差したままフリーズした。
ち、違ったー!!
確かに、呼び間違いとかしないよね。椎名君はね!私は昔友達を“おかあさん”って呼んじゃった事はあるけどね。他意もなく。
あの時の居た堪れなさと言ったら…。
椎名君はぱちぱち数回瞬きして、スと私のお弁当を指差した。
「笹野さんが?」
「え?これ?うんん。兄が」
椎名君はコクリと頷いて自分の重箱を見下ろす。
「これ、は田中さんが」
ああ読めた。椎名君のお弁当はお母さんではなく、どうやら田中さんなる方のお手製らしい。
はて、しかし田中さんとは誰ぞ?
「た、田中さんとは?」
「家政婦」
さらりと無感情に言ってのける椎名君。
私は再びフリーズしてしまった。ヤバィ身分の壁が此処に。
椎名君は何故か再び私の茶色いお弁当をじっと見つめている。
いや、そんな見つめないでください。
兄には悪いけど、田中さんの煌びやかなお重と比べられるとホント庶民丸出しなんで。
「それ」
「はは、茶色いなんて言わせないぞ」
事実だけど。事実だからこそ。
くそぅ。こんなことなら缶詰さくらんぼでも添えときゃ良かった。
今日に限って炊き込みご飯なのがまたいかん。プリーズ彩。
「愛があるね」
「…ぐは。…げほごほ」
色々な意味で咽てしまった。真顔で愛とか言っちゃう椎名君にも原因はあるが、兄のひよこエプロン姿が脳裏に掠めたせいもある。
激しく咽る私に椎名君は無言で背中をさすってくれた。
うう。ありがと…。
「あ、愛…。そ、うかな?」
「うん」
素直に頷かれると更に恥ずかしくなる。
他の女の子みたいに可愛くないし、お洒落でもないお弁当。
中学生のころは本当に恥ずかしく思っていた。
だけど、冷凍食品とか既製品を一切使っていないこととか。
朝早く寒い台所で、卵焼きを焼いてくれている兄の背中とか。
朝の弱い私に、文句も言わず手渡してくれるお弁当の温かな重みとか。
考えると、文句なんて言えるはずもなく…。
ほんのりと何とも言えない温かさが込上げる。
椎名君は私が自分のお弁当を卑下していることを分かって、そう言ってくれたのだろう。
言葉少ななのに、ストレートに物を言う。
短すぎて分からないこともある。
だけど、回りくどいよりずっと、ダイレクトに入ってくるものもある。
椎名君はすごいな。
私も、そんな風に伝えられたらいいのに。
「椎名君は、いろんな事が見えるんだね」
何時の間にか食べ終わったらしい重箱を丁寧に重ねながら、彼は私を見る。
その、無表情の中にあるレンズの奥の瞳は吸い込まれそうなぐらい深かった。
椎名君の小説を見て、まず思ったこと。
冷たい無表情で端的な言葉の彼だけど、こんなにも熱く、伝えたい言葉たちが有るのだと。
そして、それを表現する術を彼は知っている。
だけど。
「だけど、とても誤解されやすいね。本当に、辛い時、一人で立とうとするね」
勘違いかもしれない。椎名君のことをちゃんと知っている訳ではない。
だけど、普段、ピシッと背筋の伸びた背中とか、クラスの人に一目置かれていることとか。
私も勝手に近寄り難いなんて思っていた一人ではあるんだけど。
話して、近付いて思ったんだ。
何も感じない人間なんていない。
「辛い事があるの?」
彼の小説“月影”の主人公の葛藤、苦悩を読んでいると、これは彼自身のことなのではないのかと。
「特別」だと言って渡してくれた小説には、本当に特別な彼の言葉に出来ない言葉たちがたくさん詰まっていて。
彼は、私に近付いてくれたのだと思った。
夏目さん中心で、深い人間関係を学校という場で求めなかった私でも心が動かされた。
だから、立ち入ろうと思った。
近付きたいと思ったのだ。
椎名君は無言だった。
無言でじっと私を見る。
まるで真意を確かめるように。
私もその目をじっと見返した。
「主人公は、どっちを選んだら幸せなのだと思う?」
スイと視線を私から裏庭の木々に移して椎名君が問う。
其れはきっと椎名君の書いた小説の主人公のことだろう。
叶うことのない夢を追うか。
家を継いで定められた道を行くか。
無理やり断ち切られたかのような物語の終わりは、彼にも答えが見いだせなかったからなのだろう。
けれど、それを私が、どう答えることが出来る?
事実それが彼の悩んでいることならば、安易に答えてはいけない気がした。
私はどちらとも答えることが出来ず、椎名君の横顔を見詰める。
「定められた道だと思うと」
冷たい風が吹いて、落ち葉がガサリと音を立てる。
こんな風に言葉を連ねる彼を初めて見る。
だけど短い言葉より、それは何処か冷めていていっそ寒々しい。
追い風に舞う髪の隙間から、椎名君の険しい顔が見える。
「すべてがくすむ」
ああ、私はやはり何も言えないのだ。
此方に戻ることのない視線に、私は悲しくなった。




