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11話

「葵の上は六条御息所の生霊に祟られ…」


ああ、葵の上死んじゃった。

古典の時間、葵の上という名に親近感を覚え珍しく一生懸命授業を聞いていたら、あっけなく祟られて死んでしまった。無念。

大体、光源氏が悪いんじゃん。ふらふら色んな女にうつつを抜かしおって。

六条御息所も光源氏を祟ればいいものを…。女の嫉妬は恐ろしい。

後ろから二番目という絶好の席で一人葵の上の冥福を祈りながら、クラスの様子を窺う。

皆午後からの授業とあって、見事なまでに黒板が見えやすい。つまり皆、机に伏せ状態。

ああ、平和だな。などと古典の先生には全く有り難くない光景にしみじみしていると、ここから斜め前の方向にピンと伸びた背中を発見した。

あれは、椎名君。 

帰り道を送ってもらったからといって特別何か変化があったわけもなく、まあ朝挨拶を交わす程度だ。

だけど今までの苦手意識が無くなったおかげで、以前より自然に接することが出来る。

ぼんやり彼を眺めていると何かを察知したかのように椎名君が肩越しに振り返った。


「……」

「……」


しばし、無言で見詰め合った後、何故かコクリと頷かれてしまった。そのまま何事も無かったように前を向く椎名君。

…謎だ。

ごめん椎名君。流石にまだ以心伝心は無理みたい。

呆然としていたところでチャイムが鳴り、余程呆けた顔をしていたのかノートの収集を先生に頼まれた。くぬぅ…。



「はい、後ろから古典のノートまわして〜」


HR後、皆に「ご愁傷さま葵の上」などと軽口を叩かれつつノート回収を行った。

まさか椎名君の無言の頷きは、こういう意味合だったのか!とハッとした。

無念、葵の上的な…。

いやいや私は葵の上でもなければ死んでもいないぞ、椎名君…。



震える腕を叱咤しながら図書室までの道を行く。

この学校の国語教諭は図書室の奥に準備室を構えている。

どうでもいいが多少遠いのは勘弁してほしい。

乙女にあるまじき行為ではあるが、如何せん両手が塞がっているので足で図書室のドアを失礼し入室する。

すると、今日もまた椎名君が図書当番であったらしく、貸出カウンターに佇む繊細な背中が見えた。

おや、何をしているんだろう。

そろそろと近づいて伺い見ると、どうやらカウンターに飾られた花を微調整していたらしい。少し神経質な指先がスイートピーを整えている。

その様子を以外に思いながら取りあえず手に持ったノートをカウンターに置き、話しかけた。


「お疲れ、椎名君。」


指先がぴくりと震えた後、緩慢に振り返る椎名君。どうやら相当真剣だったらしい。

いや、悪いことしちゃったかな。めんご。


「…笹野さん。それは提出物?」


しかし、振り返った彼の顔に動揺はなく、積み上げられ置かれたノートをツイと指さす。


「うん。大変だった〜。もう階段とかしんどい…」


ここに至るまで如何に苦労して運んだかを切々と話し出す若干ウザイ私に一つ頷いて、椎名君は無言でノートの束を抱え、奥の準備室へ去っていった。

相変わらず、つれない…。


このまま帰るのも悪いので、椎名君を待っていることにした。

手持無沙汰に図書室を眺める。本で一杯の空間。だけど夏目さんの所とは違う。

夏目さんの古本屋さんはもっと神聖で暖かくて、何処か閉鎖的。

ふと、彼の無機質な瞳が蘇る。あの人はいったい何を心に抱えているのだろうか。

恐らく、聞いたところで彼はまた飄々と誤魔化してしまうのだろう。

今までは、それで構わないと思っていた。

寧ろ知らない事があの特別な空間を崩さない方法であると信じていた。

小さい頃、綿飴だと信じていた雲はただの水の塊、そんな絶望を恐れていたのだ。

だけど、垣間見てしまった。彼の悲しさ。こんなにも胸が押し潰される。

何故自分は何も知らないのだろう。

夏目さんにとっての私って一体何だろう。

空虚をさまよう思考に身を委ねていると、椎名君が戻ってきていた。


「あ、椎名君ありがとう」


目だけで頷いて見せた彼に、何だか立ち去りたくないな、という感情が芽生えた。

ついこの間まで彼の事を怖がっていたくせに、今はもう少し彼の傍にいたいなどと思う。

鉄仮面で言葉の足りなすぎる椎名君。いつも飄々としていて掴みどころのない夏目さん。

正反対な彼らだけど、何か通ずる不思議な二人。

ふと、視線に先ほど彼が整えたスイートピーが鮮やかに映り込んだ。

そういえば、いつか椎名君が花図鑑に興味を示したことを思い出す。


「ね、椎名君は花が好きなの?」


彼の表情は僅かにも変わらないが、何か思案するようにスーイートピーを暫し眺めた。


「好き、と言うのとは違う」


自分でもよく分からない、と彼は呟いた。

軽い質問に対して彼の返答は真剣であった。

そう、か。彼も抱えているのだ。夏目さんのように心の中に何処か冷えた感情を。

不意に衝動が沸き起こる。

もっと知りたい。見せてほしい。

パンドラの箱を開けた時いったい何が残っているのか。

この感情をどう表現すればいいのだろうか。



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