9話:レールの先に見る才能
才能とは何か。
強制的に敷かれたレールは果たして才能となり得るのか。
自身が好む事柄に才能が付いてくるとは限らない。
寧ろ、その様なことは稀だ。
では、強制的にでも敷かれたレールをたどる方が賢明というもの、なのか。
このレールを辿れば、栄光という名の産物は確実に手に入るのだろう。
しかし、どうしてだろう。
そのような物に自分は少しも魅力を感じない。
※※※
カランカラン
「いらっしぇ…おお、葵ちゃん!心配したぜ!大丈夫だったのかぃ」
ブレンドのことを思い出した私は、再び“珈琲喫茶漣”を訪れた。
「いや、すいませんでした、小松親分。急を要する出来事がありまして…。無事、解決しましたので大丈夫です」
「おぉ、何か知らねぇが、解決したってぇなら良かった。お、後ろのお方は…」
小松親分は、私の後ろに続いて入ってきた人物を見て、驚く。
後ろに居るのは勿論、夏目さん。
もしかしたら、まだあの老紳士が居るかもしれないと思って、折角だから会わせてやろうと連れて来た。
一応、この事件に由縁のある人だし。曾祖父さんのこともあるし。
「近所の古本屋さんの夏目さんです。夏目さん、こちらはマスターの小松親分」
「はじめまして。夏目です」
夏目さんはマスターに微笑んだ。
眩しいものを見たかのように瞬きする小松親分。
「いやぁ。参った。並木茶屋にこんなキレぇな兄ちゃんが居るたぁ」
小松親分も人好きのする笑顔で答えながら、私たちをカウンター席に促した。
「あのおじいさん、帰っちゃったんですか」
残念な事に老紳士は既に店を出てしまったようだ。
「ああ、葵ちゃんが、置いてったコーヒー、ちゃっかり飲んで帰ったぜ」
親分が笑う。
なぬ!まあ、残しておいても勿体ないけどさ。
何といってもコーヒーは引立て煎れたてが命だからね。
帰っちゃったのか…残念。私もちゃんとお話したかったのになぁ。
しょんぼりしていると、夏目さんが「また、会えるさ」と微笑んでくれた。
親分が入れてくれたブレンドコーヒーを飲む。
夏目さんも、いたく漣のコーヒーをお気に召したようで、豆の焙煎はどうかとか、お湯の温度とか、親分がたじろぐ位質問していた。
随分打ち解けた雰囲気になり、ふと夏目さんが親分に訪ねる。
「あのピアノ、随分良いものですねぇ。どなたか弾かれるのですか」
「ああ、あれかい。そりゃあ良いピアノさ、だがなぁ、弾ける奴が帰ってこんにゃあ、宝の持ち腐れよ」
実は私も気になっていた、やたら存在感を誇るピアノ。
それなのに、弾かれているところを見たことがない。
「帰ってくるって?」
親分は確か独身だし…。
「俺の弟だ。あのピアノも奴のもんさ。今はベルリンに留学中でよ。秀坊とは顔見知りだが、葵ちゃんは会ったことねぇかもな」
漣には兄の方がよく通っている。基本、私は夏目さんの所に入り浸っているし。
でも、この親分の弟さんがクラシック…。まさか“べらんめぇ”口調だったり…。
なんか、嫌だ。
「弾いてみても?」
いきなり、夏目さんがそんなことを言う。
ええ!貴方弾けるの?
「ああ、構わんだろう」
親分の了承を得ると。するり、とピアノの方に向かう。
私は唖然としながら夏目さんを目で追った。
繊細な動作で鍵盤を開き、ポーンと確かめるように一つ弾く。
「調律はマメだぜ?」
得意げな親分に「さすがです」と一つ笑い返し、カタリと姿勢よく座る。
次いで、聞こえてきた演奏に耳を疑った。
鐘の音のように響く出だし、そして次第に早まる旋律。
跳ねる手。何処までも早く繊細に音を紡ぐ。
これって…。
音楽の知識がまるでない私でも分かる。
超絶技巧、という奴ではないだろうか。
ヤバイくらい難しいとされる曲。
鍵盤の端から端まで余すことなく指が動く。
強く、早い旋律。
す、ご…。
これで甚平じゃなければ、もっと絵になるのに…。
演奏は終盤に向けて速度を増す。
そして厳かに曲は終わった。
「「すげー…」」
私と親分が同時に言う。
「何で?何で、夏目さんそんな弾けるの?プロ目指してたんですか?」
未知だ、もう無限だよ夏目さん。私は夏目さんに詰め寄った。
「まさか、ただちょっと昔かじってただけさ。正確に弾くのは得意だけど、音に色が全くないだろう?レコードと変わらないさ。弾けるのはリストぐらいだしね」
首を傾げながら事もなげに言う。
いやいやいや。かじってただけで、正確に弾けること自体すごいですって。
半ば唖然としていると、
ドアベルが鳴った。すぐ後にパンパンと軽快な拍手が聞こえる。
「Franz ・Lisztのパガニーニによる大練習曲『ラ・カンパネラ』をそれだけ弾けるのは中々すごい事ですよ」
声の方を見ると。白いジャケットにタータンチェックのサスペンダー付きスラックスという小粋な服装の男性が立っていた。
誰!?
そして何語?
パガ?カンパ?
その男の人は続けて言う。
「ピアノの魔術師と呼ばれたリストの超絶技巧練習曲、パガニーニによる大練習曲。中でもラ・カンパネラはリスト以外の人間には弾きこなせない難曲であったがため、楽譜を書き直したことで知られる名曲だ」
その人は、すごいよ貴方、と夏目さんに笑いかけた。
何ものですか?アナタこそ。