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鈴谷さん、噂話です

倉の霊とソーセージ

 「面白い話があるんだよ、鈴谷さん!」

 

 僕はその話なら絶対に彼女は喜んでくれるものだとばかり思っていた。彼女は民俗学の類が大好きで、だからその手の話にはいつも興味を示すから。

 彼女、鈴谷凛子に惚れまくっている僕としては、そんなチャンスを逃す訳にはいかない。それで僕はその話を知ると彼女がいる民俗文化研究会を直ぐに訪ね、語って聞かせたのだった。

 ところが、何故か、僕が話せば話す程、彼女の顔は不機嫌そうな難しいものへと変わっていってしまったのだった。

 彼女が喜んでくれる事を期待して話し始めた僕は、終わる頃にはすっかりと落ち込んでいた。

 「あの…… 何か気に障る事を言った?」

 話し終えてもまだ難しそうな顔のままでいる彼女に向けて、僕は恐る恐るそう尋ねた。すると彼女は「いいえ」とそう返す。

 「じゃ、どうして怒っているの?」

 このままじゃ、不安で仕方がない。すると彼女は「別に怒ってないわよ」と、明らかに怒った口調で言ってから、

 「あのね、佐野君。社会科学的な事柄と、自然科学的な事柄の線引きってちゃんとできている?」

 と、やや攻撃的な口調でそう訊いて来たのだった。

 もちろん、僕にはそんな線引きなどできていなかった。因みに、僕が彼女に話したのは、倉の霊にまつわるこんな内容だった。

 

 ……その会社は小さかったが、美味しいソーセージを作ることで有名で、ささやかながらも好調な売り上げを記録し、経営は非常に順調だった。

 ただ、不効率な点もあった。

 その会社では、古い倉を改築して設置した冷蔵庫に調理前のソーセージを保管していて、その所為で、そこからやや離れた薫製所まで運ばなければならなかったのだ。それは中々に手間だった。

 だから、その会社はある時に思い切って新たに薫製所の近くに冷蔵施設を建てるという投資を行い、コストの削減を計った。

 ところが、そこで思いも寄らない事態が起こってしまったのだった。

 どういった訳か、ソーセージの味が変わってしまったのだ。

 スパイスも、オーブンも、水も、温度も何も変えていない。その会社の人達には、それが不思議でならなかった。

 そんな中、何処かの誰かが「もしかしたら、倉の守り神様がいなくなったからじゃないか?」などと言い始めた。

 以前利用していた倉には、守り神がいるという話が伝わっていたのだそうだ。

 そこでその会社の従業員達は、霊能者と言われている人間を呼んで、倉の守り神にソーセージを再び美味しくしてもらえるように頼んでもらったらしい。しかし、倉の外にある冷蔵庫だからなのか何の効果もなかった。それで「もっと力のある霊能者でなくては駄目だ」と考え、未だにその力のある霊能者を探しているのだとか……

 馬鹿馬鹿しく思えるかもしれないけれど、本人達は至って真剣で、このままでは会社が潰れてしまうと必死になっているらしい。

 台風なんかの災害の折に、行方不明者捜索の為に霊能者を呼んだ自治体があるなんて話も聞いた事がある。現代でも、意外に霊能者を頼るなんて事は行われているのかもしれない……

 

 「そのソーセージの味が変わったって話は、どう考えても自然科学的な分野よ、佐野君。もちろん、それに霊の関与を結び付けて、その社会的な影響を考えるっていうのなら、社会科学の分野になるけどね。

 私としては、そういう社会科学的なものを大切にしたいから、こういった話は非常に困るのよ」

 そう鈴谷さんは言った。

 ただ、そう言われても僕には何の事やらさっぱり分からなかった。

 「どうして困るの?」

 だから、怒られるかもしれないと思いつつそう尋ねた。すると、彼女はこう答える。

 「自分の手で、好きな物を壊さなくちゃいけないからよ。嫌な気分になるって想像がつくでしょう?」

 「壊す?」

 「そう。壊す。もっとも、結果的に壊れてしまうんだけどね」

 鈴谷さんはそこで軽くため息をつくと、また口を開いた。

 「霊という概念は社会科学的なものよ。その概念を共有することで、それは社会の中で機能し、世の中を円滑にする役割を担う。つまり、活用する分野を間違わなければ、有効に機能するの。

 でも、今回は違う。霊は役に立たない。だからそれを壊さなくちゃいけなくなるのでしょうね。その会社の人達は困っているのだろうし…… 霊能者の人にお金だって払っているのでしょう?」

 「まぁ、数万円程度みたいだけど」

 「それならまだ良心的ね。もっと悪質な人に引っ掛かる前に伝えてあげないと……」

 僕はその彼女の言葉を不思議に思った。まるで、ソーセージの味を元に戻す方法を知っているかのようだったから。

 「……伝えるって何を?」

 それでそう尋ねる。すると、彼女はこう言うのだった。

 「アドバイス。もしかしたら、その問題を解決できるかもしれないから」

 僕はそれを聞いて驚いた。

 「鈴谷さんって、そんなに料理に詳しかったっけ?」

 それに彼女は「まさか」と返す。

 「自然科学方面はそれほど詳しくないわよ。知っているでしょう?」

 僕がそれを怪訝に思う。すると彼女は説明を付け足して来た。

 「ソーセージの作り方なんて知らないけど、それでも帰納的思考ならばできるの…… まぁ、消去法みたいなもんかな?」

 そこで一度だけ切ると、彼女はこんな事を言って来た。さっきよりも、幾分かは機嫌が良くなっているように思える。

 「豆狸って知ってる? 地域によって様々な性質が伝えられているのだけど、兵庫県に伝わるものには、酒造の守り神のような性質もあるの。

 これには、蔵つき酵母が関与している可能性もあると思う」

 「蔵つき酵母って?」

 「その蔵に棲みついたお酒を発酵させる酵母のこと」

 それを聞いて少し考えると、僕はこう質問した。

 「もしかして、菌が原因だって君は考えているの?」

 それに彼女は「いいえ」と首を横に振る。

 「言ったでしょう? 消去法だって。

 ソーセージにそこまで菌が影響しているって話は聞かないから、多分違うわ。発酵ソーセージってのあるみたいだけど……」

 「じゃ、何?」

 「菌が違うのなら、佐野君の話から予想できる要因は二つしかない…… 少なくとも、私ならそう考えるわ。

 ずばり、“振動”と“温度”。

 以前は、ソーセージを薫製所まで運んでいたのでしょう? なら、その時に“振動”と“温度”が加わるわ。以前にソーセージを運んでいた過程をどうにかして再現してみるべきだと思う」

 

 僕はその話に半信半疑だった。

 そんな風に、頭の中で考えた通りにいくものだろうか? って。

 ところが、それをその会社の人達に伝えてからしばらくして、「上手くいった」という報告を僕は受けたのだった。

 お礼まで言われてしまった。考えたのは鈴谷さんで、僕は伝えただけなのだけど。

 そして、「やっぱり倉の守り神なんて迷信だったな」とそうその人は言ったのだった。

 つまり、鈴谷さんが懸念した通り、彼女の好きな社会科学的なもの…… “霊”は壊れてしまったのだ。

 伝えるべきかどうか悩んだけど、僕は結局、彼女にそれを伝えた。彼女は「そう」と素っ気なくそう答えた。

 そして、その顔は、ちょっとだけ寂しそうにしているように思えたのだった。


ソーセージの味が変わってしまったという話は、「遺伝子の社会 イタイ・ヤナイ マルティン・レルヒャー NTT出版」って本で、「知っているつもりになっているだけで、実は分かっていない事がある」という事例として紹介されていたエピソードを参考にしています。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 「霊という概念は社会科学的なものよ。その概念を共有することで~活用する分野を間違わなければ有効に機能するの。云々」 昔の人が狐とか狸に化かされたぁ!と言うのも同じですね。動物のせいにして人…
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