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「混ぜる回数多い、煮沸時間短い。基礎もできてねェのかこのポンコツ」
「ごめんなさい。あ、これ違う葉っぱ」
「何回目だ! 適当に取るな、もう俺の指示どおりにやれ」
入学して二年目の夏、私は一つ下の後輩に怒鳴られながら部屋で薬品づくりをしていた。授業でもないのになんでこんなことをしているのかというと、話は数十分前にさかのぼる。
晴れ晴れした夏空の下、銀色の髪から滴り落ちる水滴が、うす水色に変色した本のページに吸い込まれていく。他の人よりこぎれいな顔はさっきから微動だにしないし、私も地面に転がった試験管を拾うことができないでいた。朝からやかましい夏の鳥の鳴き声が響くだけで、お互いにしゃべらない、目を合わせない。そんな状態が数分は続いた気がする。
銀髪の後輩が、ゆっくりと顔を上げた。唇の端が持ち上がり、細くなった青い目と目がばっちり合う。顔は微笑んでいる後輩の目は、全く笑っていなかった。
「先輩、薬品を持って走ったら危ないですよ。つまづいてヒトにかかったりしますよね」
「はい、ごめんなさい」
「それから先輩、これ冷却薬ですよね。一口飲むだけで十分機能するのに、頭から浴びたら体が冷え切っていくのわかってますかね?」
「おっしゃるとおりです、ごめんなさい」
「わかってんなら、とっとと解毒薬出せや。ぼーっと突っ立ってんじゃねぇ!」
「ああああごめんなさい!」
後輩の剣幕におされて焦って懐を探ってみるも、ない。尻ポケットまで漁ってみたけれど見つからない。困り果てたところで、私はようやく思い出した。提出期限ギリギリで焦って作ってきたから、解毒薬なんて用意してない。
おそるおそる後輩を見ると、唇が青くなって体を震わせているのがわかった。そのくせ眼光は鋭くて、私を見る顔がだんだん険しくなっていく。これはたぶん、解毒薬がないことがばれている。
バツ悪く目を泳がせる私に、後輩が一喝する。
「テメェ、解毒薬くらい用意しとけやこのポンコツ!」
「ごめんなさい! 今作るから!」
そういうわけで、よく知らない後輩と私はせっせと解毒薬を作っている次第だった。冷えていく体を温めるためにタオルでくるまって、ひたすらホットミルクを飲む後輩に焦りも募っていく。さっきから手の震えが尋常じゃないし、そろそろ完成させないと本気でまずい。
不機嫌な後輩の指示どおりに作業を進めて、ようやく解毒薬が完成する。それを飲んだ後輩の手の震えが収まって、唇や顔に赤みが戻ったのを見たところで、やっと安心できた。
そういえば、こんなふうに誰かと勉強するのって初めてだな。そう思うと、知らず頬がゆるんでいく。嬉しくなって、気が付いたら昔好きだった流行歌まで口ずさんでいた。薬を飲んだばかりで顔の赤い後輩が、何の歌かとたずねてくる。
「昔はやった舞台の歌でね、王様にひとめぼれした使用人の切ない気持ちを歌ってるんだって」
「ひとめぼれ。それで、その使用人は結ばれたんですか?」
「ううん、王様はきれいなお姫様と結ばれておしまい。使用人は思いを伝えないで、お城を出ていくのよ」
その切ない生き方が観ていた人たちにうけて、お姫様の歌よりこちらのほうが流行したらしい。恋とか私にはよくわからないけれど、母がよく口ずさんでいたのが耳に残っている。歌の意味を知ったのも、ここ最近のことだった。
「言い忘れてたけど、俺、あさひっていいます。先輩、二年生ですよね。名前教えてくれますか?」
「うん。私はヒイラギ、今日は本当にごめんなさい、あさひ君」
あさひの被っていたタオルを受け取って頭を下げる。思えば私の不注意でせっかくの休日なのに時間も手間も取らせてしまった。私は楽しかったけれど、あさひは出来の悪い私の指導して疲れただろう。今日はもうゆっくり休んでいただきたい。
「もういいですよ、ヒイラギ先輩。それより、なにか急いでいたんじゃないんですか」
「ありがとう。そうだ提出課題、うわまずい、期限昼までだ。ごめんあさひ君、薬作り直さなきゃいけないから」
巻き込んだ上にちゃんとお詫びもできなくて申し訳ない。あさひに軽く頭を下げて、レシピ片手に材料を確認していく。提出できなくて特別に期限を引き延ばしてもらった課題だ、出さないと減点される。ただでさえ低い評価点数が下がるのはお断りだ。
「先輩、今日の予定ってこれの提出だけですか?」
「そうだけど?」
材料は全部そろえた、あとは作るのにだいたい早ければ十五分。まだ動く気配のない後輩に返しながら、作業を進めていく。レイの葉っぱを刻んでクズの実を砕いて、シラトリの脂で混ぜ合わせる。次は調合液を温めようとビンを見たら、中身は空だった。
ぽっと火がつく音がして、網の上で温められるビーカー。その近くでキリの種をつまむ後輩の姿がある。
「あさひ君なにしてるの?」
「冷却薬作ればいいんですよね。俺がやっておくから、先輩は片づけと入れ物用意してください」
「私の課題なんだけど」
言っている間にも種を調合液に落とし、混ぜた材料を奪われた。温めた調合液にそれを入れて混ぜるあさひは、正直なところ私より手際が良い。しかもこの子、レシピ見ないで作ってるんだけど。未だにレシピを見ないと失敗する私と違いすぎて、なけなしの自信も奪われていく。おかしいな、私のほうが先輩なのに。
「先輩、動いてください」
「はい」
そうして後輩が作った冷却薬が、教授には好評価。おかげで思わぬ加点をいただいた私が寮に戻ると、入り口で紙を持ったあさひが待っていた。まっすぐ戻ってくるように言われたのだが、なんだろうか。
「出してきたけど」
「じゃあ、これから町に行きましょう。外出許可取ってきたんで」
「え、町。許可って私、サインしてないよね」
「代筆しておきました。ちょうど行きたい店があったんで、今日のお詫びに付き合ってくれますよね?」
そう言われたらこっちは断る術がない。頭一つ分小さな後輩に手を引かれて、私は石畳を歩き出す。
これが私と、後輩のあさひとの出会いだった。この小さな男の子が実はとんでもない性格をしていることに、このときの私はまだまだ気づかない。