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十四歳のあさひはかわいい。さらさらした銀髪に水を映したみたいな青い目、白いもちもちの肌、まるでお人形さんみたいにかわいい子だ。たまに町を歩けば知らない男から声をかけられ、笑顔でお茶に誘われる。そのくらい、あさひはかわいい。
だから、おしゃれなカフェや服飾の店に一人で入りづらい私は、あさひが一緒に来てくれるととても助かる。今日も一息つこうと選んだカフェテリアで、お人形さんみたいにかわいいあさひはよくなじんでいた。フリルでふくらんだワンピースがまた、この後輩にはよく似合うの。私なんかが着てしまうときっと、服に着せられてしまうにちがいない。
「お姉ちゃんも似合うと思いますよ」
「え、私今口にだしてた?」
「いいえ、うらやましそうな顔に見えたので。急ぎの予定もないし、この後買いにいきましょうか」
「いいよ。服なんて、買っても着る機会あんまりないもの」
本当に買いにいきそうなあさひの提案をあわてて断って、紅茶のカップを傾ける。うす甘いシフォンケーキに合わせたストレートのさっぱりした苦みが口の中に広がる。ケーキと紅茶のセットがなんとなく、私とあさひだと思った。当然、甘さのあるシフォンケーキはあさひだ。
カップを置くと、ずずいと口の前に緑色のシフォンケーキが突き出された。見れば、後輩がかわいい笑顔でフォークを向けている。
これはどうすればいいのか。悩む私に、後輩はにこやかに答えてくれた。
「お姉ちゃん、あーん」
「あ、あーん。むぐ」
甘さ控えめの抹茶のシフォンだ。あさひからもらったシフォンケーキが口の中で溶けるのを待つ。それから紅茶を一口飲んで、言葉を探しながら後輩に話しかける。
「えっと、あさひ。急にどうしたの」
「やりたくなっちゃいました。こういうの、仲良い人同士がやりますから」
「そ、そっか」
照れくさいのかな、手の甲で口元を隠すあさひに胸がきゅんとした。私もちょっと恥ずかしかったのだけれど、どうでもよくなる。だって、あーんしてきた後輩がかわいいんだもの。
「私のも食べる?」
気づいたらそんな言葉が口から飛び出していて、嬉しそうな後輩と食べさせあいっこしていた。どうにも、後輩を前にすると甘やかしてしまう。でもこれ、傍目からどう見えているんだろう。
「お姉ちゃん、どうしました?」
「いいいや、なんでもない」
首を横に振り、シフォンケーキの最後の一口をかみ砕く。なんでか、さっきより砂糖が増えた気がする、不思議だった。
そんなことがあった次の日、珍しく授業がはやく終わった。壁掛けの時計を見たら昼休みまでまだ時間がある。たまには私から後輩を迎えに行こうと、足取り軽く教室を出た。
あさひのクラスに行くと、反対側の入り口から吹っ飛んでいく人を見た。なんだろう、スタイリッシュな退出法かなにか。驚きすぎて変な思考がよぎったが、そんなわけない。
壁にぶつかる前に器用に回転して着地したその男子生徒は、教室に向かって声を張りあげた。
「毎回毎回あぶねえよ! 殺す気か!」
「テメェがしつっけぇからだろうが! 勝手に頭数に入れてんじゃねェよ」
教室から怒鳴り返してくる声は、かなりの迫力だった。ドスのきいた声ってこういうのをいうんだろうな。かわいい後輩を迎えにきただけなのに、とんだ場面にでくわしてしまった。
足がすくんで動けなくなった私の前を数人の女子生徒が通り過ぎていく。来週から町に有名菓子店が一時出店するらしい、気になるから週末にあさひを誘ってみようかな。というかちょっと普通にしすぎじゃないこの子たち。
よく見れば、周りの誰もが何事もなかったように移動していく。あれ、なんでみんな普通にしてるの。まさかこれが普通ってことないよね。
とりあえず目的を果たさなければ、意気込んで無理矢理足を動かす。教室の中をのぞいてみるも、キラキラ輝く銀色が見当たらない。もしかして、入れ違いになってしまったのかも。
近くにいた小さい女の子を捕まえてあさひの名前を出したら、変な顔をされた。
「あさひさん? あっちにいますけど、今声かけないほうがいいかもしれないです」
「え、そうなの」
「お姉ちゃん、今日は授業早く終わったんですね」
女の子の指差した方向ではなく真後ろからあさひの声がして、振り返る。長い銀色の髪を揺らして、後輩が立っていた。かばんがないからトイレにでも行っていたのかもしれない。
「うん、めずらしく。あさひ、お昼食べよう」
「はい。かばん取ってくるのでちょっと待っててください、お姉ちゃん」
教室に戻るあさひの背中を見送って、お礼を言おうと答えてくれた女の子に向き直る。すると鳩が豆鉄砲食らったような顔をした女の子と目が合った。どうしたっていうんだろう。
「えっと、教えてくれてありがとうね」
「……はい。あの、あさひさんのお姉さんですか」
「いや、ただの先輩です。紛らわしくてごめんなさい」
大真面目に答えたらやっぱり変な顔をされた。うん、気持ちはよく分かる。この話をするとだいたい似たような反応するし、私だってちょっと変だとは思っている。ただ単純に、懐いてくれているあさひに、いまさら呼び方を変えてほしい、なんて言い出せないだけだ。
「あぁ、親戚のお姉ちゃんとか」
「ごめん、本当に赤の他人です」
なんとか納得しようとがんばってくれている女の子には、本気で申し訳ないと思った。
「お待たせしました。行きましょう、お姉ちゃん」
「うん。それじゃ、私行くよ。……ちょっと変わってるけど、良かったら仲良くしてあげてね」
「え、はい」
「お姉ちゃん、もう行きましょう」
女の子に耳打ちした私は、あさひに引きずられるように教室を後にした。そんなに急がなくてもいいのに、と思う。お弁当は逃げないし、昼休みだってまだ始まったばかりだ。
屋上で弁当をつつきながら、隣で枝豆の皮を剥いている後輩に話しかけた。
「そういえば、あさひのクラスなんだか揉めてたね。いつもああなの?」
「そうですね。たまにあるんで、あまりこっちの階には来ないほうがいいです。巻き込まれたりしたら大変ですし」
人が真横に飛ぶくらいの揉め事だったし、たしかに近づかないほうが安全だよね。廊下で伸びていた例の男子生徒を思いだし、口から乾いた笑いがこぼれた。顔に思いっきり靴の跡ついてたから、たぶん喧嘩相手にやられたんだと思う。喧嘩にしたって、顔踏みつけるってすごい子だな。
「でも、本当に放っておいて良かったの?」
結局、あのまま放置してきてしまったので気にかかっていた。全然知らない人だけれど、誰かに蹴られでもしたらさすがに罪悪感が湧いてくる。
横目であさひを見ると、後輩は苦笑いしながら答える。
「大丈夫ですって。彼女さんが介抱してくれますよ。それにお姉ちゃんが手助けして、喧嘩相手に目をつけられたらどうするんです」
「う、それは困る、かな」
「ね、だからあれでいいんです。それよりお姉ちゃん、期末レポートの題材決まりました?」
「決まってないです」
ほぼ手つかずの課題レポートを思い出し、口元が引きつるのを感じた。あさひが言っているのは学期終了前に提出しないと長期休暇に入れない、とても面倒な課題だ。再提出の可能性もあるから本当は早めに終わらせたい。けれど授業についていくのもやっとな学校生活に加えて、誘惑に弱い私はなかなか手がつけられないでいた。そのたびにあさひに手伝ってもらう始末、先輩として情けない。
「仕方ないですね。一緒に終わらせましょう」
「……あさひは本当に優しいね。でも、もう少し一人で考えてみるよ」
「わかりました。困ったらいつでも言ってくださいね、お姉ちゃん」
あさひにお礼を言って、俵おにぎりの残りを口に入れる。冷めてもおいしい白米を噛みしめながら、どうしたものかと頭をひねってみる。
週末に部屋にいればかわいい後輩と遊びに出てしまうし、かといって部屋を借りられる友人はいない。だとしたらもう、私が使える場所は限られていた。自習室しかない。
週末の予定を頭の中で組み立てている私の横で、後輩はニコニコと微笑んでいた。