第六章 血の戦い
夜もふけり、寝静まった街に突如、悲鳴が上がる。
女性が白目をむいて倒れていた。右の首筋には小さな穴が二つ開いていて、穴から血が流れていた。
女性の前に立っている少年は、黒いフードを被っていて口元は血がついている。少年の後ろで女性が残念そうに言った。
「もうっ!残しておいてって言ったじゃない!早くしなさい!」
「ん…分かった」
少年は口元についた血を手の甲で拭き取っていると、遠く離れた場所で警鐘が鳴り響く。
少年と女性は鐘の音に反応して、あらわにしていた口元をフードで隠した。
音を立てずに走り出して闇に消えていく。
ステビアの森では木々の隙間から茜色の光が零れる。日は西に傾き始めていた。
レイナ、カリル、スーマはラムサールの街に向かって歩いていた。
「カリル。本当にこっちで合ってるの?」
「はい、恐らくこっちだと思います」
幻精郷の出来事を心に残して、他愛の無い会話が続く。意識はしていないものの、レイナとカリルはそうしていた。そうしていないと、どちらかが遠慮してこれからの旅が出来ない、と感じていたからだ。
しかし、スーマは二人とは少し違う表情をしている。眉間に皺を寄せて何かの気配を探るようだった。
「不思議な気配は近くなってる。…そうだよな?カリル?」
スーマの一言に、レイナは後ろにいるスーマの方を振り向いた。
「はい。有翼人でも竜族でも無い気配を感じます」
「誰かがいるな」
「…はい」
何かを感じながら、曲がりくねった道を歩いていく。
ラムサールの街に到着した三人は、立ち止まったまま驚いていた。人通りは全く無く、建物の窓はどこも閉ざされていた。
「静かですね」
カリルが辺りを見回していると、二、三人の女性が遠くから一点に向かって走ってくる。女性達は、三人に気づいていなかった。
「また?!」
「これで十人目じゃないっっ」
「知らないわよ!急にどうしたっていうの!」
三人は不思議に思い、目の前を走り去っていく女性達の後を追い始めた。
数十メートルほど後を追うと、人だかりが出来ている場所に辿り着いた。三人は器用に人だかりの中に入っていく。そこは小さな民家だった。
三人の目の前には、白目を剥いて横たわる女性の身体があった。レイナの耳に哀れむ声が聞こえる。
「またか」
「女性ばかり狙われて…気味が悪いわ」
レイナが耳を澄ませていると、後ろから男性が大声を上げて走ってくる。
「ターサが来たぞ!通してくれ!」
男性の声に、人だかりが二つに別れ男性が民家に入っていく。その後ろから一人の女性が俯きながら民家の中へと入っていった。身体全体を覆う生成のローブ、フードを被っているがその隙間から琥珀色の緩やかな髪が見える。表情は暗く儚くも見えた。
レイナは女性の気配に何かを感じ、カリルとスーマに伝えようと辺りを見回すが、カリルとスーマは更に民家の近くに移動して、扉付近に居た。レイナも僅かな隙間を潜り、民家に近づこうとする。
丁度、レイナが民家の中を覗く事が出来た時、先に民家の中に入っていった女性は横たわる女性の前に膝をついた。首に掛けられた十字架を握ると瞳を閉じた。
「神はどんな時も、全てを愛して下さります。暗闇の中でも清らかな光が貴女を包んで下さるでしょう。…今こそ白く還りし刻です…またお逢い致しましょう」
ターサと呼ばれている女性が瞳を開き、右手でミイラの瞳を覆うように伏せた。それまで白目を剥いていた女性の瞳は閉じられ白く輝きだした。
ターサは側で看ていた男性の方を向いて、静かに呟いた。
「これで、彼女は神の御加護を受けました。後はご家族の方で眠らせてあげて下さい」
「…ありがとうございます」
「それでは、私は失礼します」
ターサは一礼すると、民家から走り去っていく。民家の回りに集まっていた人だかりは無くなり、そこにはレイナ、カリル、スーマの三人しか居なかった。足早に走り去るターサは三人には気づかず、ローブの裾を乱さないように走って行った。
その姿を、スーマは凝視していた。
「何か力を感じるな」
「スーマも気づいていましたか?有翼人でも竜族でも無い気配を感じました」
カリルも険しい顔をしながらスーマに同意した。女性が現れてからレイナも僅かに気づいていたが、カリルとスーマはそれより早く気づいていたようだ。
「まだ追えるよね?行ってみよう」
三人は気づかれないようにターサの後を追い始めた。
辿り着いた場所は、街の中心にある教会だった。扉の前にある階段に足をつけた時、室内に誰かがいる事に気づいた。数段上がり、小さくドアを叩いた。
暫く待つと、鍵が外される音が聞こえて扉が開いた。
中から出てきたのは、先ほど姿を見せたターサだった。ターサは視界に入ったレイナに微笑んだ。
「ようこそいらっしゃいました。お祈りでしょうか?」
優しい笑みを浮かべていたターサだったが、次に視界に入ったカリルとスーマを見て、少しだけ表情を変えた。
「いや、少し聞きたい事があるんだが、中に入れてもらえないか?」
何故かスーマは複雑な顔をして、レイナより先に口を開いた。
「…はい、旅の方とお見受けしました。どうぞ、中に…」
ターサは扉を引いて、三人を中に招き入れた。中はそれほど広くは無く、十程度の長椅子と奥に祭壇があるだけだった。祭壇の後ろには大きな十字架が立ち、白い花で作られた花輪が幾つも掛けられていた。
三人を中に通したターサは、直ぐに扉を閉じて鍵をかけた。
ターサの表情が険しくなる。
「失礼ですが…何故、貴方達の後ろに竜の姿が霞んで見えるのでしょう?」
ターサの言葉にレイナとカリルは驚いて警戒したが、スーマの言葉に二人は言葉を失った。
「地司ターサ、こう言えば話してくれるか?」
「ス…?!。は、はい、お話しします」
ターサは目を見開いて驚き、スーマに笑顔を見せた。ターサの手は奮え、瞳が潤んでいるようだった。
四人は長椅子に座り、ターサが話し出すのを待った。
「私は以前、神竜に仕えていた巫女です。しかし、ある日、神竜がいなくなり…ロティルという男が、竜族や魔族を支配するようになりました。私は、自分の思うがままに生きるロティルについていけませんでした。…神竜を探す為に私は城から脱走して、人間界に降りました。安心したのも束の間…事あるごとにロティルの放った追っ手が、私を探しにきました…」
ターサの話に区切りがつく時に、真剣な眼差しでカリルは問いかけた。自分の素性は明かさないとしても、ターサは有翼人に近い気配を持っていたからだ。
「追っ手が来た時には、どうやって逃れたのですか?」
「ここは教会。邪気除けの結界が張ってあるので、追っ手が近づく事はありません」
「結界?」
「はい。それに教会の地下倉庫に、ロティルの居る城に行く魔法陣も作りました」
生成のローブに身を包んだターサは立ち上がった。琥珀色の緩い髪が揺れている。
「どうして?そんな魔法陣があったら捕まっちゃうのに…」
それまで口を閉ざしていたレイナが口を開いた。
ターサはレイナの顔を見て苦笑する。
「追っ手から逃げ続けて数百年…このまま逃げていても、街の皆さんに迷惑かかるかもしれません。でしたら、私自ら城に向かって死を選んだ方が良いと思って…」
立ち上がったターサは、そのまま祭壇に歩み寄り大きな十字架の前に立った。胸の前で手を重ねて祈りを捧げる。
その姿は神聖というのに相応しく、誰も声をかける事は出来なかった。
やがて、顔を上げたターサは十字架に背を向けて、長椅子に座っているレイナ達を見た。
「貴方達には不思議な力を感じます…もしかしたら、何かを変えられる事が出来るかもしれま………っ」
ターサの言葉が詰まる。大きく目を見開いて、ゆっくりと視線を落とした。
何かが自分の身体を貫いていた。
『!!!』
突然の事に四人は驚くことしかできなかった。
「スー…マ……さ…」
ターサは音を発して、そのまま前に倒れ込んだ。ターサの腹部から勢いよく血が流れている。
三人が後ろを振り向くと、いつの間にか閉まっていた扉は開いていて二つの影が立っていた。逆光で表情や服装は分からないが、片方が右手を前に突き出していたのを見て、魔法を放ったと判断できた。
「こんな所にいたか」
「てこずったわね」
二つの影が瞬時に消えると、祭壇の前に姿を現した。
旅に用いる簡素なローブを纏い、その下には袖が無い服を着ている。少年は足首まで隠れるズボン、女性は身体のラインが強調される露出の多い腹を着ていた。赤に近い茶色の髪、朱色の目は三人を睨みつけているようにも見える。
髪の短い少年が、動かなくなったターサのローブを掴んだ。
「ターサさんに何をしたの!!」
レイナは叫ぶと、祭壇の前に駆け寄り、二人の前に立った。
「うるさいわね」
「姉さん、こいつらじゃねーの?」
女性はレイナを睨みつけ、少年はターサの首筋に顔を近付けて口を開く。それを見て女性は少年を一喝した。
「巫女の血なんて不味いから止めなさいよっ!」
口から覗く牙がターサの首筋に触れようとした所で、動きは止まった。
「分かったよ…姉さん」
少年は片手でターサを持ち上げると、勢いよく宙に放り投げた。レイナ、カリル、スーマの真上を通り過ぎ、地面に落下するその時、ターサの身体は炎に包まれた。
女性が魔法で炎を生み出して、ターサの身体を燃やしたのだった。
炎は消えて教会に灰が舞う。
そこには、ターサの姿は無かった。
「貴方達がロティルの追っ手ですか。…一体何の目的があるんですか?!」
ロティルという言葉に敏感になっているのか、カリルは立ち上がり声を荒げていた。
「見れば解るだろ、ターサを消しに来たんだ。しつこいとお前らも消すぞ!!」
「やっちゃえば?ロティルも気にしてたみたいだし。それに…もうすぐ日が沈むわ」
少年と女性はお互いに不敵な笑みを浮かべていた。
その時、それまで座っていたスーマがゆっくりと立ち上がり静かに、けれど激しい怒りをあらわにした。
「夜になると変身するからな。セルナ、アルナ」
スーマの言葉に、セルナとアルナと呼ばれた二人は突き刺さるような畏怖を感じ、何かを察知した様に屋根に向かって魔法を放った。
光は天井に衝突して爆発する。屋根に大きな穴が開いて、二人は飛行呪文を唱えて空へ飛翔した。
「許さない!」
レイナ達も飛行呪文を唱え、二人の後を追った。
教会の真上には満月が輝いている。上空では、ローブを脱ぎ捨てた二人がいた。セルナの耳は細長く尖り、犬歯は牙になっていた。アルナは狼のように耳が毛深くなり、尾が生えて全身も茶色い毛で覆われている。
吸血鬼と人獣の姿になった二人が、レイナ達と対峙していた。
「今夜は月が綺麗だな。ここなら大暴れできる!」
「…セルナ。あたし、あの金髪の男だけね」
高揚して月を眺めているセルナの横で、アルナはスーマを見つめて舌舐めずりをした。
「えーっ!俺が二人もやるのかよー」
セルナはアルナに不満を漏らした。その間にも、アルナはスーマに飛び掛かり、攻撃を仕掛ける。
アルナの手の平には光の球体が生まれ、スーマに向かって放つ。スーマは攻撃をかわしレイナとカリルから離れた。
視界から消えていくアルナとスーマを横目で見て、大きな溜息を吐きながらセルナもその場で構えているレイナとカリルに攻撃を仕掛ける。
セルナが二人に飛び掛かろうとする前に、レイナとカリルの魔法は完成していた。
「プリザード!」
「ウインドサイクロン!!」
冷気の波と竜巻が交わって加速する。襲いかかる魔法をセルナは両手で受け止めて弾いた。
「楽勝!ダークアロー!!」
言葉と共に、セルナの後ろから無数の球体が生まれた。
それは黒く長い矢に形を変えると、二人に襲いかかった。レイナとカリルは、両手を交差させて攻撃を防ごうとするが全て交わしきれず、腕や太ももに傷を追う。
「まだまだ!!フリージング!」
セルナの両手から氷の柱が作られ、レイナだけを狙った。
レイナは避けきれず、氷の柱に弾かれてしまう。
「きゃあぁぁーっっっ!!」
「レイナ!」
傷だらけのレイナは腕の傷を押さえて大きく呼吸をする。カリルはレイナと距離を縮めて呪文を唱えた。
「お前だろ、レイナっていうのは?火の魔法を使わないんだってな?村で…」
「ボルトアースッ!」
セルナの言葉を遮って、レイナの魔法が完成した。セルナの周りに電気の波のような輪が広がり、身体に電撃が走る。
予想しなかったレイナの攻撃に、セルナは交わしきれず火傷を負ってしまう。
セルナはレイナを睨み、舌打ちをする。
「今度は外さない」
レイナもセルナを睨みつけると、三人の攻防が始まった。
遠くで気配が伝わってくる。
セルナ達とは別の上空で、スーマとアルナが魔法の撃ち合いをしていた。魔法は互いに相殺し、魔法が生み出されては消滅していく。
「あんた強いわね、強い男って好きよ」
「それはどうも…」
スーマは面倒臭く答えてアルナに蹴りかかる。スーマの怒りはおさまる事は無く、動きはいつもより鋭く感じられた。
「でも…これは無理でしょう!」
アルナの両手から紅蓮の炎が生まれ、スーマに向かって螺旋を描く。しかし、スーマは炎に動じる事は無く、スーマは何かを唱えると、上空に氷柱が生まれスーマに近づく紅蓮の炎を蒸発させた。
「お前ら…本当の目的は私では無いのか?」
炎と氷で蒸発した湯気が空に残る。
怒りを隠さないスーマの笑みは、アルナの脳に一人の人物を想像させた。
「あたし超ラッキー!こいつも殺せば褒美が倍に!」
脳裏に焼きついた姿を残し、目の前に構えているスーマに飛びかかった。
スーマは、アルナの右手に光る指輪を見つけた。中指に嵌められた指輪を見て、怒りは増長し鼻で笑った。
「雑魚が私に勝てると思うな!!」
スーマは両手を前に突き出して、瞬時に魔法を生み出した。
セルナから遠く離れた場所で、轟音が聞こえた。レイナ、カリル、セルナの動きは止まり、セルナは後ろを振り返る。
「これで二対二だな!」
「三対一だ」
レイナ達の後ろにある建物の屋根から気配を感じた。振り返ると、そこには片手で軽々とアルナを抱えたスーマが立っていた。
「甘くみるなよ」
冷ややかにセルナを見下すと、アルナを地面に投げ捨てた。全く動かないアルナの身体は屋根を転がり、地面に落下しても動く事は無かった。
「私を本気で怒らせたようだな…セルナ」
普段見ないスーマの表情に、レイナとカリルは息を飲んだ。
スーマがそこに立っているだけで自分が睨まれているような衝動に襲われ、動く事さえ出来なかった。
それまで上空に浮かんでいたセルナは、動かないアルナを見て地面に降りた。
アルナの頬に雫が零れた。セルナは口唇を噛み、涙を流している。
「姉さん…姉さん!お前ら、よくも姉さんを…っ!」
アルナを抱きかかえるセルナの声が震える。
怒りを抑えきれずに立ち上がると、セルナを中心に光の柱が昇り、地面を砕く。ひび割れた地面から青い文字が浮かび上がり、文字は形を作っていく。
三人は直ぐに魔法陣だと気づいたが、魔法陣から溢れる力に身動きが出来なかった。
青い文字が光に変わり、それが結びついて魔法陣が描かれる。
セルナは三人を睨み、言葉を発動させる。
「黒い剣、氷の塊…蒼き革命を汚す者に輝く天罰を!」
印を結ぶと魔法陣が形になり強く輝いた。やがて、裂けた地面から氷のような竜が姿を現した。
竜は空に昇り、上空を旋回と空に向かって吠える。
レイナ、カリル、召喚したセルナでさえも、その姿に圧倒された。
ただ、一人を覗いて。
「我を喚んだのはお前か?」
「あ、ああ。氷竜!目の前にいるあいつらを飲み込め!」
「小童が…誰の命令も受けぬ」
氷の竜が冷たく呟くと、上空を大きく旋回し、口から吹雪を吐いた。
吹雪は家屋を凍らせ、大きくひび割れると次々に倒壊していく。
「身体が…動かない。どうしよう…街が壊れていくよ…」
氷竜の力に驚き、その場に座り込んでしまったレイナは、懸命に身体を動かそうとする。
「氷竜は気性が荒いな」
「そうみたいですね」
レイナと対称的に、カリルとスーマは互いに魔法で防御壁を作り、冷静に眺めている。
「カリル、お前も同じ事を考えていたな?」
「ターサさんの気配で気づきました」
レイナの目の前で、探り合うような会話を続ける二人を見て、レイナは戸惑った。
二人の会話にも気付かず、氷竜は凍りついた建物を突き破り、レイナ達の周りを回った。
一瞬だけスーマの口角が上がる。
「おい!!俺の命令を聞け!」
氷竜の動きに呆然としていたセルナは、氷竜に向かって叫ぶ。
レイナ達の周りを旋回していた氷竜は、セルナに気づくと威嚇するように吠えた。
「餓鬼が喚くな!!」
口を大きく開けた氷竜は、吠えながらセルナに向かった。
「うわぁぁぁぁーーーーっっ!!!」
氷竜は恐怖に怯えるセルナを飲み込んだ。音は聞こえず、そのまま魔法陣に吸い込まれるように消えていく。
魔法陣が消えると、壊れた街だけがあった。
「どうなったの?それより…街…街っ!」
レイナは辺りを見回した。夜の街は廃墟と化していた。瓦礫の山が音を立てて崩れ落ちていく。
「大丈夫だ。そうだろ?カリル?」
「はい」
カリルとスーマは瞳を閉じて何かを呟いた。すると、周りの空間が歪み、空間が圧縮され始める。それは次第に小さくなって、直方体の形をした結界が二人の手の平に治まった。
廃墟と化した街は、いつの間にか元に戻っていた。
「二人共…結界を作っていたの?」
「はい」
「この街に来てから、気配が強くなったからな。何かある前に結界を作っておいたんだ。だが…」
「結界は死んでしまった人達まで元に戻りません…」
街で見かけた女性もターサももう会うことができない。
何も知らなかったレイナは息が詰まる思いだった。
「全然気づかなかった…」
座っているレイナを見て、カリルとスーマは苦しそうな顔をする。。
「今夜は休んで…明日教会に行くぞ」
スーマはレイナの手を取ると、立たせてから宿を探した。
夜が明ける。
空はまだ薄暗く、東から日が昇ろうとしている。
教会の前ではスーマが佇んでいた。その表情は寂しく、物思いにふけているようにも見える。
スーマは教会を見上げた。
「もうすぐ…全てが終わる。私が全てを終わらせなくては…」
教会の屋根から光りが降りそそいだ。
スーマの背後に影が生まれる。
そして全ての光を失った。
宿屋の一室では、レイナが身支度をしていた。既に支度を終えたカリルは、壁にもたれかかっていた。
「いよいよ、城に行くんだね」
「ええ…。それにしても、スーマはどこへ行ったのでしょう?」
カリルは何かに気づいて、扉を見た。誰かが立っている様子は無いが、微かに気配を感じる。
その時、ゆっくりと開いた。
視界に入った『それ』を見て、二人は言葉を失った。
そこには、全身に傷を負ったスーマが立っていた。
『スーマ!!』
「はあぁ…ぁ、ぁ…」
スーマは一歩一歩レイナ達に歩み寄り、ベッドに倒れ込んだ。真新しい白いシーツがどんどん赤く染まっていく。
二人はスーマに駆け寄り、困惑するレイナの横でカリルが呪文を唱えようとする。
「いや、良い…。もう…遅い……」
「ス、スーマっ?!スーマ!!どうしたの…?!」
「落ち着け……と言って…もお前は、無理、だな…。マーリ…お前も、出て、こい……話が、ある…」
スーマの言葉に反応して、スーマの身体は青く光り、光が人の形に変わる。
それは以前、ディリスと呼ばれていたマーリだった。マーリの顔は苦痛に歪み、今にも泣き出しそうな表情だった。
声が震えている。
「死の契約が成立していない事を……知りながら、貴方は…」
「死の契約が成立していない…?」
マーリの言葉に、カリルの詠唱呪文が止まる。
マーリは、無言で首を横に振った。
「私は…神竜スー…マ。最も…カリ、ル…お前は、気づいていた…だろう、な…」
レイナとカリルは、スーマの言葉に驚愕した。僅かにカリルの顔が憎悪で歪む。
「…嘘だ…」
カリルが小さく呟く。口唇を噛み、視線を落とした。
「千五百年…前、聖魔戦争と呼ばれた…争いを止める…こ、と……がっ…?!」
スーマは言葉を詰まらせ咳込んだ。口から大量の血が流れ、手の平で口を押さえた。
「スーマ…!スーマ!」
ベッドの横に膝をついたレイナは、顔を赤らめて涙を流している。
スーマの身体から汗が流れ、呼吸は乱れていく。
「マーリ…命令、だ。これからは…お前が、レイナ達を守れ……良いな?」
「スーマ様…」
マーリの声は震え涙を堪えている。
「私に、様を、つけるなと…いつも、言っているだろ、う…」
スーマは顔だけでマーリを見つめて笑った。
「はい…」
「嫌だっ!スーマ…」
ゆっくりと瞳を閉じて、スーマは優しく笑った。
「レイナ…泣く、な。そんな所まで…似ている…な」
スーマの声は掠れて、最後の方は上手く聞き取る事が出来なかった。
「カリル……」
それまで視線を落としていたカリルが、初めてスーマの顔を見る。
スーマは一言だけ呟いた。
「……すまなかった…」
それだけの言葉で、スーマが何を伝えたいか瞬時に理解し、目を見開いた。目に溜めていた涙が零れ、肩を震わせた。
「……後は、頼む…ぞ」
突然、スーマの身体を柔らかい風が包んでいく。
繭の様に風はスーマを丸く包み、その風が消えていくと、スーマの姿は消えていた。
ベッドシーツに滲んだ赤い血も、人の形に寄った皺も、綺麗に無くなっていた。
「兄貴ーーーっ!!」
マーリは膝をついて、ベッドの上に拳を叩きつけた。
ベッドを見つめながら、マーリは顔を伏せて肩を小刻みに震わせた。
レイナも頬に流れる涙を拭い、カリルも袖で涙を拭った。
暫くして、マーリは下を向いたまま立ち上がり、部屋から出ようとする。
「神竜の城に行くぞ!」
レイナは立ち上がり無言で頷いた。カリルもまた、無言で頷く。
マーリは両手の拳を強く握る。右手の中指にはめられている指輪が、鈍く光っていた。




