第五章 灰色の過去
ケリュールの街とラムサールの街を結ぶステビアの森。
この時期は人通りが少なく、整えられた道には人の気配は無かった。
その森に呪文を唱える声が続く。
「フレイムボム」
「フレアゾーン!」
カリルとスーマが、それぞれ木々に向かって魔法を放つ。木は炎に包まれて次々に燃えて焦げていく。カリルとスーマが魔法を放つ間、レイナは二人に背を向けて木を撫でていた。
「見つからないねー」
「魔法の力を抑える事自体、集中力が要るのに…燃やすなって言うのが無理じゃねぇか?」
「そうですね。でも微かに魔力が流れているのは確かです」
「じゃあ、次いってみよー」
大きな溜息を吐く二人を横切り、レイナは楽しそうに森の奥へと歩いて行く。
ケリュールを出て丸二日、くまなく森を調べているが、燃えない木は一本も無かった。
「この辺が最後かな」
レイナは二人から距離を置いて叫んだ。旅をしているレイナは、見知らぬ場所に行くのが好きだった。
スーマは、レイナが火の魔法を唱えない事を気にしながら、再び呪文を唱える。
「フレイムボム!」
「フレアブレス」
呪文の威力を抑えて放たれた火の波は、木々を燃やして包み込む。木々は燃えて焦げ目がつく中、一本だけ燃えない木があった。
「あった!」
「本当に燃えない木があったんだな」
スーマが燃えていない木に触れた瞬間、木から気味の悪い風が吹き荒れる。その風を感じる間もなく、スーマの姿は消えていった。
「消えた…?」
「何?どうしたの?」
スーマに続いて、カリルとレイナも燃えない木に触れた。
周りの時空が歪んで、暗くなったと同時に別の景色が目に飛び込んだ。森に囲まれた小さな村、回りを囲む崖には滝の流れる音が聞こえている。小川が村を囲み、遠くには大きな城が見える。
「ここが、宿屋のおばさんの言っていた…」
「幻精卿です。何かで読んだ事は無いですか?竜やエルフ達が暮らす場所を…」
レイナが辺りを見回してカリルに視線を向けると、カリルは一定の方向に歩き出していた。
初めて来た場所のはずなのに、まるで道を知っているようだった。
「ち、ちょっと待って…」
レイナとスーマはカリルの後を追う。
人の気配は無く、鳥のさえずりや小川のせせらぎが心地良く聞こえる。
歩いていると、森の中に小さな家を見つけた。家の横には井戸があり、濡れた桶が置いてある。
誰かが住んでいるのであろう。
レイナは小さくドアを叩いた。暫くすると、ドアはゆっくりと開いて、中から十歳くらいの少女が姿を見せる。
「こんに…」
「きゃっ!」
レイナが声を掛けるより先に、少女はドアを閉めてしまった。
「ま、待って。私達、道に迷ったの…」
咄嗟にドアの取っ手を握ったレイナは、ドア越しに声を掛けた。すると、ドアが開いて少女が顔を出した。癖のある金のベリーショートの髪に、琥珀色の羽根と尖った耳。彼女はエルフだった。
「…どうぞ」
家の中は見渡せるくらいの広さで、木製の家具がきちんと整えられていた。必要な物しか置かれていないのは、一人で生活しているのだろう。少女に促されて椅子に座ると、テーブルの上に木製のカップが人数分置かれる。少女が一礼する。
「あ、あの…ごめんなさい。私…人間を見るの初めてだから…」
「いいの、気にしないで…えーと」
レイナは差し出されたカップに口をつけて、少し考えた。
「私、ダニアっていいます」
「レイナ=ドルティーネ」
「…カリルです」
「スーマ」
レイナに続けて名前を名乗るが、カリルもスーマも何故か視線を反らして躊躇っていた。
「ねえ、ダニア。ここには貴方しか住んでいないの?」
「その…十数年前から森の奥で、アンデットやスケルトンが徘徊するようになって…皆、離れていっちゃいました…」
「ちょっと待って。十数年前って…いくつなの?」
レイナは驚いて椅子から立ち上がった。ダニアの立ち居振る舞いや言葉遣いは大人びていたが、顔立ちは十歳前後にしか見えなかった。
ダニアはきょとんとして短く答えた。
「はい、二十七になりました」
「私より年上?!」
レイナは目を丸くして驚いた。
驚いていたのはレイナだけで、ダニアは首を傾げ、スーマは分かりきったように口を開いた。
「エルフも魔族も、人間と年の取り方は違うんだ。それより…そのアンデットが出るのはどこだ?!」
少し苛立ちを見せたスーマに、ダニアは簡潔に答えた。
「は、はい…ここから西です」
「分かりました」
それまで黙っていたカリルは、それだけ言うと立ち上がり外に出ていく。カリルの後に続いてスーマも部屋から出ていった。
「カリル?スーマ?」
レイナはダニアに短く挨拶をすると、二人の後を追って外に出ていった。
ダニアの話によると、幻精卿は森や木々ばかりで崖の側にある大きな泉にアンデットやスケルトンが徘徊しているらしい。
森を歩いている内に、微かに血の臭いが鼻についた。次第に何かが腐敗した臭いが鼻を刺激して、レイナは思わず右手で鼻と口を覆った。
「何…?この臭い…」
「近づいてるな」
レイナとスーマは腐敗した臭いに気づいて顔を合わせるが、カリルは何か遠くを見るような目付きだった。
カリルの顔は次第に険しくなる。
カリルの後を追うように歩いていくと、木々の少ない場所に着く。草木が茂り、目の前にある大きな岩の割れ目から水が流れている。
その横に、一匹の竜が体を丸めて眠っていた。
「竜?」
「こいつも…」
レイナとスーマの声に気づいたのか、竜は片目を開けて三人を睨みつけた。焦げ茶色の体に薄い紫色の瞳、大きな欠伸をした口から鋭い牙が見える。
「幻精卿に人間が来るなんて珍しいな…」
「まさか……!」
目を見開いて驚くカリルの声が震える。両手は震え、拳を握ったまま俯いてしまう。
「カリル、この竜は?」
「俺は…」
竜は立ち上がり、空に向かって吠えた。すると、竜の周りに風が集まり姿を隠す。
風が散ると、そこには青年が立っていた。褐色の肌に小金色の髪、薄い紫色の瞳は三人を睨んでいる。
「ルイアス」
スーマとレイナは、ルイアスの行動を伺っていた。ふと、レイナは何かの声を耳にする。隣を見れば、カリルの右手には魔法によって作られた風が渦を巻いている。
俯いているカリルの口が僅かに動いている。
「カリ…」
「スパイラルグレイブッ!!」
レイナが声を掛ける間もなく、カリルの呪文は完成していた。
カリルの右手から離れた風の渦は、加速して地面を削り、削られた土の塊は風に引き寄せられるようにルイアスの足元を狙う。
しかし、ルイアスに触れる手前で何かにぶつかると、風と土の塊は消滅してしまう。
レイナはカリルの顔を見て驚いていた。日頃から温和で優しいカリルが怒りを露にしている。
「何故、ここにいるんだ!?」
「何故?幻精卿に竜族が居るのは当然だろう。貴様もこの場所にやって来るのは当然…あの時に殺しておくべきだったな」
風が吹き荒れる。
ルイアスは目を閉じて、レイナ達に聞き取りにくい音で呪文のように呟く。
それは辺りにこだまして、遠くまで広がった。
そして、
『!!!』
突然、地面から何かが吹き出した。幾つもの場所から現れたのは、土まみれの骸骨だった。骸骨の両手には刃こぼれした剣が握られている。
「スケルトン?!」
「一、二…十体くらいだな…」
数体のスケルトンは、カタカタと音を立てながらゆっくりとレイナ達を囲み、レイナ達との距離を縮める。
「覚えているはずだ」
スケルトンが一斉にレイナ達に切り掛かる。レイナが一歩後ろに下がって呪文を唱えようとすると、カリルはレイナの前に立ち、印を結び始めた。すると、カリルの足元から白い光が生まれ、カリルを中心に魔法陣が描かれ、魔法陣に気づいたルイアスはカリルを見た。
「還りし場所は母なる大地、汝等に静寂の眠りを…ハイリック」
魔法陣はさらに輝きだし、柔らかな光がスケルトンを包んでいく。
「浄化魔法か」
スーマは辺りを見回し、カリルの魔法に驚いていた。
光に包まれたスケルトンは構えていた剣を落とし、声を上げる事無く静かに消えていく。それを見届けていたカリルは自嘲するように溜息を吐いた。
「以前作った魔法の効力があったなんて…」
「あの時より力を身につけたか。だが…」
ルイアスが再度何かの音を発した。
風が吹き荒れる。しかし、先程とは違う血生臭い風だった。再び地面から何かが吹き出す。幾つもの場所から土まみれの腐敗した死体が姿を現す。身体の肉はこそげ落ち、臭いが漂う。その数は先程のスケルトンより、明らかに数が多かった。腐敗した死体の群れは奇怪な叫び声を上げてゆっくりとレイナ達に襲いかかる。
「アンデット…数が多過ぎる」
レイナは一歩一歩と後ろに下がり、二人を交互に見た。カリルは再び何か呪文を唱え、スーマもまた呪文を唱えていた。
印を結び、スーマは二人の前に立って両手を前に突き出した。目の前に紅い魔法陣が浮かび上がり、赤く輝いた。
「サラマンドラーッ!!」
魔法陣が強く光ると、魔法陣から炎の渦が巻き起こる。炎の渦は蛇のように螺旋に回り、アンデットを包むと一瞬にして燃えて灰となった。
スーマの魔法を見てルイアスとレイナは顔色を変えた。スーマとカリルではっきりと見ていないが、レイナの全身は奮え両手で身体を抱いたまま膝をついてしゃがみ込んだ。
「嫌…」
声も震えて上手く発音出来ない。
冷や汗が流れ、その瞳は潤んでいる。レイナの異変にカリルとスーマは気づいていなかった。
ルイアスは灰になったアンデットに目もくれず、カリルだけを睨む。
「貴様は何か恐れているんだろう?」
突然、スーマとレイナの両足を何かが掴んだ。それは両手だけを出しているスケルトンだった。強い力に二人の両足の自由は奪われる。
『何?!』
スケルトンを横目で見ると、それまで動かなかったルイアスがカリルの方へ歩き出す。その時、カリルの視界からルイアスが消えた。
「が……っ!!」
一瞬にしてルイアスは、カリルの首を目がけて蹴りを入れていた。
「カリル!!」
レイナは叫び、スケルトンの手を振りほどこうとするが力は更に強くなっていく。
ルイアスは、口から血を流して横たわるカリルの胸元を掴み片手で持ち上げた。
「死に損ないがまだ生きていたか」
歯を食い縛り抵抗するカリルを睨みつけながら、ルイアスは振り向かずにレイナとスーマに問いかけた。その声は憎しみや怒りが込められているようだった。
「貴様ら『翼狩』というのは知っているか?千五百年前の聖魔戦争の時、俺達竜族がこいつら有翼人の翼を剥いだ出来事だ。こいつは悪魔と有翼人の混血児らしいからな、汚れた悪魔の翼だけを剥いだんだ…最も、有翼人の翼は第二の心臓…野垂れ死にするとは思っていたが…」
ルイアスの話を聞いた二人は、どうなっているのか理解出来なかった。カリルは苦痛に歪んだ顔で、ルイアスを睨みつけていた。
「ここで楽にしてやる………エアーランスッ!!」
ルイアスは右手をカリルの腹の前に突き出した。ルイアスによって生まれた風の槍は、カリルの身体を貫通する事無くぶつかり、その衝撃にカリルは吐血して気を失った。
「がっ………!!」
抵抗していた腕は無気力に垂れて感覚を無くす。するとカリルの背中から一つの翼が生える。右には綺麗な純白の翼が生えていたが、もう片方、本来有るべきの対は生えていなかった。
「カリルーッ!!」
「有翼人…」
我に返ったレイナは涙を流しながら叫び、スーマは驚いたまま何かを考えている。
ルイアスは意識の無いカリルの背中を踏みつけて、右翼を鷲掴みにしようとした。
「今、殺してやる」
「お遊びが過ぎるぞ、ルイアス」
ルイアスの手に力が入ろうとしたその時、スーマの声が行動を止めた。
その声は、憎しみや悲しみでも無く怒りで押さえつける冷たい声だった。
「っ!」
ルイアスは何かに怯え、同時にレイナとスーマの両足を掴んでいたスケルトンの力も抜けた。ルイアスの手からカリルが離れ、カリルはその場に落ちてしまう。
「カリルーーッ!」
レイナは駆け足でカリルの元へ近づこうとするが、近くに居たスーマはレイナの前に立ち、レイナの目を覆うように手を差し出した。
「ここまで荒んでいたとは…私とした事が…」
「スー…マ…?」
突然、レイナの視界が鈍る。睡魔に似た感覚が襲い、レイナはその場に倒れ込んでしまう。
悲しげな顔でレイナを見下ろすと、ルイアスを睨んだ。
ルイアスとスーマの距離が近づく。
「命令だ、私の前から消えろ」
口調の変わったスーマに、ルイアスは鼻で笑い、ただ見下すように嘲笑した。
「命令だ?貴様、な、にを…」
ルイアスは何かを思い出し、目を見開いた。
流れる長い金の髪、その地位の者しか纏う事の出来ない法衣、そして額には小さな頭飾り。
「もう一度言う、消えろ」
スーマが右手を前に突き出すと、奇妙な文字が描かれた魔法陣が浮かび上がる。魔法陣に吸い込まれるように光が集まり、轟音が響く。
ルイアスの身体は震え、ただ怯える事しか出来なかった。
彼はスーマの存在に気付いてしまったから。
「お…お許し下さい…」
凛としたスーマの瞳は、ルイアスから離れない。
「愚かしい」
不快に似た声で呟くと、魔法陣は強く光り、光は一瞬にしてとルイアスを覆ってしまった。
気を失ったカリルとレイナを起こすと、三人は木陰に座った。カリルは木に身体を預けている。
「カリル、全てを話せ」
「…はい。ルイアスの言ってた通り…僕は、聖魔戦争の時の生き残りです。この片翼は運良く取られなかった翼…」
「聖魔戦争っていう事は…」
レイナが独り言のように呟いた。それを察知したカリルは苦笑して答える。
「ダニア達エルフ族と、年の取り方は同じですね」
「そっか…」
「この場所は、僕が翼を引き裂かれた場所です。スケルトンやアンデットも元は竜族や魔族…僕が殺しました。この地に足を踏み入れてはいけなかったんだ…」
カリルの声は、悲しみと憎しみで満ちていた。今までに見た事の無いカリルの感情に、二人は言葉を出す事が出来なかった。
沈黙が続く中、何かを躊躇ったスーマが口を開いた。
「お前は…ロティルを倒す為にここにいるんだろう?」
「!!」
「ねえ、スーマ。ロティルって?」
「竜族や魔族の中で、神竜の次に力を持つ人物…それがロティルだ」
スーマの知識と言葉に、カリルは驚いて俯いてしまう。
ロティルの存在を知らないレイナが再び問いかける。
「でも、どうしてその人を…?」
レイナの言葉にカリルは立ち上がり、片方の翼を広げた。レイナとスーマの顔を見ずに俯いたまま、二人を通り過ぎて歩く。
「暫く…一人きりにして下さい」
カリルの声は震えていた。よろめきながらも、片方の翼を広げて彼方に飛んでいく。
その姿は酷く哀しいものだった。
幻精卿にも夜は来る。昼以上に静かで、水の流れる音しか聞こえなかった。
カリルがどこかに飛んでいった後、レイナとスーマはダニアの家に戻り、泊まらせてもらう事にした。ダニアもレイナも遠慮した結果、一つのベッドで身体を寄せ合って寝ていた。
ふと、レイナは目覚め、ダニアを起こさないように静かに外へ出て行く。マントは外して、ダニアの家にあった毛糸の膝掛けを肩に羽織っていた。
森を見渡して、ゆっくり歩き出そうとする。
「…レイナ?」
レイナの頭上で声が聞こえ、上を見上げると大きな樹木の幹にスーマが身体を預け、月を眺めていた。
「どうした?眠れないのか?」
スーマは樹木から降りて、レイナの顔を覗いた。
スーマの声は優しかった。
「…っく…っ……っっ」
明かりの無い夜で表情ははっきりしなかったが、レイナは声を上げて泣いていた。
「どうしよう…私、何も、出来ない…」
「あいつの居場所は知っている…今は戻って寝ろ」
カリルの出来事で、レイナの気が動転する事は分かっていた。レイナと行動を共にするようになってから、レイナとカリルは過度に干渉せず互いを尊重しあってるのに気づいていた。そう思い、レイナを落ち着かせる為に、スーマはレイナの頭を撫でた。
少なからず、スーマもカリルの事を気にしていた。
「日が昇ったら、またここに来い」
「…分かった」
レイナは涙を拭い、ダニアの家に戻っていった。
日が昇る前、レイナは居ても立ってもいられずに昨夜と同じ場所に足を運んでいた。
「カリルはどこにいるの?」
「カリルか?」
スーマは視線だけで樹木の上を見た。
そこは、昨夜、スーマが座っていた樹木だった。
スーマは軽やかに木に昇り、目で合図を送った。レイナも魔法で木に上がっていく。
「静かにしろよ」
スーマは声を殺して笑い、上を見た。レイナは不思議に思いながらも、スーマと同じように見上げる。
そこには、幹の上でカリルが穏やかな顔で寝ていた。
「ん……?」
二人の気配に気づいたのか、カリルは寝呆けながら目を覚ました。目を開けると、レイナが瞳を潤ませて微笑していた。
カリルのこと、これからのこと、少しずつ話していけばいい。
「カリル…おはよう」
安心したレイナの声は少しだけ震えていた。