第四章 夢と夜と力
太陽は高く昇り、暖かい陽射しが山道に差し込む。リルーツ山脈を越えて緩やかな坂を下ると、ケリュールの街が見える。
山から流れてくる水が街に流れていて、街の多くに噴水や水車があった。
レイナ達三人は、着いたばかりの街を見渡してると、後ろから小さな声が聞こえてくる。
「あの…レイナさん……って貴方ですか?」
レイナが後ろを振り返ると、十歳くらいの少年がレイナ達を見上げていた。藍と青の混ざった髪は、横だけ少し癖毛で、濃くて赤い瞳は大きな瞳をより強調していた。
マントも無く、剣を腰に下げていない事から、街の住民だろうか。
「あ、うん、そうだけど…」
「お願いがあるんです」
街の食堂に移動した四人は、端のテーブルに座っていた。テーブルの上には、山の幸と海の幸がふんだんに使われたスープと、今にも肉汁が溢れてきそうなハンバーグが並べられている。
美味しそうな匂いが鼻を擽り、四人は食べ始める。
四人ともお腹を空かせていたのか、手を休める事無く食事は進んでいった。
空になった皿は店員に片付けられ、温かい飲物が置かれた。
「僕…ピオっていいます。お願い…あ、あ…あの…僕を殺して下さい!」
ピオと名乗った少年は、震える声で呟くと俯いた。ピオの言葉に動揺した三人は、直ぐに聞き返した。
「僕を殺して…?」
「どういう事だ?!」
一瞬の間の後に、ピオは小さな声で話し始めた。
「僕の身体は呪われてて、体内に悪霊がいるんです。…何かの拍子で一度暴走すると…自分でも抑えられなくて…こんな、こんな自分が嫌で……レイナ、さんにお願いしたら…きっと助けてくれると思って」
ピオの声は震えていた。
隣に座っているカリルがピオを見ると、膝の上に置いてある両手が涙で濡れていた。
三人はそういう話が苦手なのか、泣きながら話すピオに困り果てている。
「ほら、泣かないで。いくらなんでもそれは出来ないよ」
「自分を殺すなんて安易に口にするんじゃねえよ」
「は…はい…ごめんなさい」
ピオは涙を流しながら顔を上げた。宝石のような大きな瞳から、涙が零れ、その顔は少女にも見えた。
「今日は落ち着いて…ピオ君はどうするんですか?」
「はい…この街に泊まろうと思ってます」
衣服で涙を拭うと、ピオは三人に向かって苦笑した。一瞬だけ周りの空気が変わり、スーマは警戒した。
スーマは僅かな違和感を覚える。
俯いて涙を流していたピオの顔は笑っていた。
その日の夜、宿の廊下に小さな足音が響く。
それは、ある扉の前で止まり何かを確かめながら扉を見つめていた。
「ここか…」
それがゆっくりとドアノブに触れようとした瞬間、電気のようなものが起きた。
「痛っ!!」
それの右手は痺れ、血が流れていた。火傷のような跡を左手で覆い、その場を後にした。
翌日、昨日と同じ席でレイナ達は食事をしていた。ピオはレイナ達を見ると、声をかけて空いている席に座った。
「おはようございます」
ピオの後ろから、頃合いを見計らったように女性が食事を並べた。
「昨日話を聞いちゃったけどさ、元気出しなよ?ほら、ここで一番美味しい料理だ!これを食べて大きくなるんだよ」
「あ、ありがとうございます」
ピオの前に並べられたのは、熱をもった平らな器に焦げ目がついたパイ生地が被さっていて、中を崩すと魚介類がふんだんに使われたクリームシチューが覗かせている。
気がつけば、レイナ達も同じ器が並べてあった。
ピオは女性に頭を下げると、気分を良くした女性は鼻歌混じりにカウンターに戻っていく。
「ピオ、あれから落ち着いた?」
レイナは手を止めずにピオに話しかける。ピオより早く食事を始めた三人の皿は空になろうとしていた。
「僕、レイナさん達について行きます」
ピオの言葉に再びレイナ達は驚いた。しかし、スーマだけは直ぐに冷静になった。
「迷惑ですか?」
「そんな訳じゃないけど、僕達は旅をしていて危険が沢山あるんですよ」
カリルが遠回しに諦めて貰おうと話す。
まだ幼いピオに、魔族や竜との戦いは酷だと思ったからだ。
「じ、じゃあ、私達はちょっと出掛けてくるねっ!」
食事を終えたレイナ達は、女性に四人分の代金を支払うと食堂を出て行った。
スーマが振り返ると、ある事に気づくが何事も無かったように踵を返し出て行った。
テーブルにはピオだけが残される。
ピオの顔が一瞬だけ歪んだ。
ピオと出会ってから二日目の夜、一昨晩と同じように廊下に足音が響く。
それは扉の前に立ち止まると、ドアノブに手をかけようとする。
「痛っ!!」
それがドアノブに触れた瞬間、青い火花が散り、それが昨日と同じ結界が張られている事に気づく。昨日よりも強力な結界だった。
無理矢理壊そうと力を加える。すると、硝子のような音を立てて消えてしまう。
扉が開き、それは部屋に入った。
「?!」
何かの仕掛けなのか部屋中に白い煙が立ちこめていた。扉はゆっくりと音を立てて閉まる。
「スーマが言ってた事は本当だったんだ…誰!!」
煙の中から張り上げた声が聞こえる。
魔法で作られた煙が少しずつ引いて、レイナの目の前にレイナより背の高い少年が立っていた。
藍と青の混ざった髪は横だけ少し癖毛で、濃くて赤い瞳は妖しく見える。カリルと同じ年くらいの少年は魔術師特有のローブとマントを身につけている。
右手に巻かれた包帯からは真新しい血が流れていた。
「ピオ…?」
「この姿では初めまして、僕の名前はルト。以後、お見知りおき下さい」
「何の用なの?」
「大切な仕事です」
緊迫した空気の中、ルトは楽しげな声でレイナに話しかける。
レイナとルトの視線が合う。
ルトの瞳が光ったように見える。
「え…」
レイナの視界が鈍り意識が遠退く。足はふらつき膝をついて身体を崩した。
気を失ったレイナの身体を軽々と抱き抱え、ルトは目を細めて微笑した。
「綺麗な心と夢ほど、壊し甲斐がありますね」
闇の中でレイナは目覚めた。音が無く静まり返っている。
辺りの気配に気づいてゆっくり上半身を起こした。
「あ、あれ…ここは一体…」
自分の声が虚しく響く。どのくらいの広さか、どこまで高いのか分からない。静かな場所に恐怖を抱く。
レイナは小さく呪文を唱えると魔法を発動させた。
「ダイナストダスト!」
両手の間に現れた氷の粒と光が冷気を巻いて球状になり、何もない場所に放たれる。音を上げて氷の球は進み、何もぶつかる事なく闇に消えていく。
「何かの結界かな…」
レイナの言葉に重なるように、足音が響く。
どこから聞こえるか分からない足音は、ゆっくりと確実に自分に近づいている。
「な…何?」
レイナはその場を離れようと走り出した。
足音はレイナを追う。足音が大きくなる。
走る先に光を見つけたレイナは懸命に走る。次第に光は小さくなり、レイナを追っていた足音はいつの間にか消えていた。
光は消え、辿り着いたレイナはそこに扉がある事に気づく。取っ手は見当たらず押しても引いても扉は動かない。
レイナはそれを壊そうと思い、呪文を唱えた。
「スパイラル・グ……」
「駄目」
レイナの声に重なり、ルトが言葉を遮る。
突然、後ろからレイナの頬に両手が触れた。手袋をしているが、その両手は死人のように冷たく感じた。
突然触れられた両手と何もない場所に怖くて声が出ない。微かに震えるレイナの耳に囁いた。
「時間切れですよ」
ルトの声が聞こえるか聞こえないうちに、レイナの姿は消えていた。
何かが揺れている。
聞き慣れ無い騒音。
人の声で意識を取り戻すと、彼女は奇怪な乗り物に乗っていた。
近代化が進んだような鉄の箱、見慣れない服装、声に出さないものの彼女は驚いた。
ここはどこだろう、私はどうしてここに居るのか…。彼女が困惑していると、先程から腰の辺りで何かが震えている。自分が身に纏っている衣服からそれを取り出すと、手の平に収まる程の小さな物だった。
理解出来ない思考とは反対に、彼女は慣れた手つきでそれを開いて触りだした。携帯電話だ。
《約束の時間過ぎてる。どうしました? 翔》
それに写された文字を見ると、動いていた鉄の箱は止まり、扉が開いた。
彼女は戸惑いながらも、鉄の箱から降りて歩き出す。
階段を昇り、地上に出た事を確認すると彼女は辺りを見回した。
この状況に頭の中は追いつかないのに、足はどんどん歩み始めている。
街は小さな光が幾つも光り輝き、聖歌のような楽しげな歌が聞こえる。歩いていると、大きな木が見えてくる。幾つもの小さな光が、暗くなった場所を照らしているようにも見えた。
歩いている彼女の肩に軽く手が置かれた。彼女が振り向くと、カリルに似た少年が立っていた。
髪は短いが、右頬の傷痕や穏やかな顔立ちはカリルと瓜二つだった。しかし、彼女の前に立つ少年は魔術士特有の足首まであるローブを纏ってはいない。
「麗、メールしたけど…もしかして地下鉄の中でしたか?探しましたよ?」
カリルに似た少年は心配したように、俯いた彼女の顔を覗き込んだ。
「…うん…」
一瞬、息を飲んで驚いた彼女は、言葉を探したまま俯いた。
「どうしました?」
「ううん…何でもない。ち、ちょっと眠たくて…」
心配してくれる少年に対して、彼女は顔の前で手をパタパタと振り、笑って見せた。
「そう?斗真が待っているから行きましょうか」
少年は彼女の手を取り一緒に歩こうとした。
彼女は引っ張られるように歩きだしたが、何かを思い出せば思い出すほど頭痛は酷くなっていく。
小さな建物に着いた二人は、建物の入口に居た男性に声をかけられる。
「麗!翔!」
声に気づいた少年は男性に手を振ると、近づいていく。一方、彼女は男性の姿を見ても驚いていた。
金の髪に僅かな黒髪、薄い翡翠色の瞳、そして左耳だけ付けた二つのピアス…。
彼女の前にはスーマが立っていた。
少女の声を遮って少年は話し出した。
「ス…」
「ライブ前に呼び出してすみません」
「最終リハが終わった所だからまだ時間はある。…ん?どうした?」
男性は視線を落とすと、少年と同じように彼女の顔を覗き込んだ。
白い吐息が漏れる。
「私…」
白い吐息が下がり、彼女は身体を折り曲げてその場に倒れ込んだ。頭を抱えながら、それでも忘れていた何かを思い出そうとする。
二人の叫び声が薄れる。
「(私は…ここに…)」
そう呟いた彼女の姿は消えていった。
黒に紫が一滴落ちたような色の空間。
鈍い痛みにレイナは目を覚ました。瞼が重くて身体が動かない。気がつくと、細い針金のような黒い鎖で縛られて横たわっていた。
「僕の術を消した…?不思議な方ですね」
目を覚ましたレイナに気づいたルトは、少しだけ驚いていた。
「ル…ト?一体…?」
「不躾ながら貴女の事を調べさせて戴きました。妹さんの事とか…」
ルトに対して怒りをぶつけていたつもりだったが、ルトの言葉に敏感に反応した。
急に焦り始めたレイナの表情を見ると、ルトは微笑む。
レイナは震える声で呟いた。
「そ、その話は…」
「カリルさんと…、ああ、スーマ、さんでしたね。妹さんの事について二人に話していないでしょう?」
「やだ…思い出したくない…」
レイナはルトから視線を反らした。畏怖と困惑に顔が曇る。
初めて会ったのに、どうしてすんなり話してしまうのか。
「貴女は事実を受け入れずに隠しているんですね」
声も身体も震えて思考が上手く働かない。
ルトはレイナの前に跪いて、楽しむように呟いた。
「人殺し」
声にならない鳴咽が漏れて、瞳から涙が零れ落ちる。レイナは全てを拒むように瞳を閉じて動かなくなった。
突然、硝子が砕ける音が響き渡り、歪んだ空間からカリルとスーマが姿を見せる。
「レイナ!」
「遅かったか」
ある程度予想がついていたのか、二人はあまり驚かなかった。
歪んだ空間は元に戻っている。
「早いですね」
ルトはにっこりと笑い、二人に会釈をした。
「貴方は何の目的でレイナを狙ったんですか?」
「答えによっては、ただじゃおかねえぞ!」
自分を睨みつける二人を、ルトは何もしないまま笑顔で答えた。
カリルとスーマの足元には、意識を失ったレイナが横たわっている。
「ある方に、レイナさんを連れて来いと言われたんですよ」
カリルは静かに呪文を唱え始めた。
「それが…答えか!!」
スーマはルトに向かって走り出した。それに身構える事も無く、ルトは右手で指を鳴らす。
すると、地面からレイナを縛りつけている鎖と同じような黒い鎖が地面を突き抜けて、カリルとスーマを縛り上げる。
笑っているルトの顔が僅かに変わる。
「僕を戦い好きの竜族と一緒にしないで下さいね」
「くっ……」
身動きの取れないスーマは、ルトの目の前で怒りの眼差しで睨みつけた。
笑っている筈のルトは冷酷に見下していた。
「ああ、貴方達の正体も知っていますよ?」
「貴方達も…レイナに何か言ったのですね!」
普段から優しく、温厚なカリルが怒りを露にしている。スーマも僅かにうろたえているものの怒りはおさまらなかった。
「…それ以上言ったら…ぶっ殺す」
「殺すって仰いますが、僕の結界の中で自由に動け…」
皮肉混じりに笑っていたルトの表情が変わる。
鎖で自由を奪われたスーマが、いつの間にかしゃがんでいる。
「お前の能力に俺が屈すると思ったか?!」
ルトは自分の足元を見た。模様のような赤い線は円になり、赤く光る魔法陣が描かれる。
ルトはスーマを睨んだ。黒い鎖の間から血だらけの右手を地面に叩きつけていた。
「天と地を交わりし漆黒の闇、炎を司る紅。汝に命令する…汝の陣を汚すもの全てを焼き尽くせ…」
強気で笑っていたルトの笑顔が消えた。
「サラマンドラーッ!!」
魔法陣が強く光ると、魔法陣から炎の渦が巻き起こった。炎の渦が螺旋に昇りルトを包み、激しく燃える。
炎でルトの姿は見えず、声も聞こえない。
「(印を結ばずに精霊を召喚した?!…なんて魔力なんだ)」
目の前に広がる炎を目の当たりにして、カリルは目を疑い呆然とした。
魔法は精霊の力を借りて発動させるのと、印を結び魔法陣を描いて発動させる方法がある。
スーマは、魔力の源のような精霊を簡単に召喚していた。
余程強い魔力が無いと発動さえできずに暴発してしまう。
やがて炎が消えてルトの姿が見える。衣服は焦げて破れていたが、あまり傷を負っていなかった。
ルトの足がふらついている。。
「流石ですね…では…その鎖を解いてあげましょう」
ルトが左手で指を鳴らすと、レイナ、カリル、スーマ三人の鎖は地面に潜り込むようにして消えていった。
カリルとスーマは立ち上がるが、レイナは微動だにしない。
「レイナさん、命令です。あの二人を殺しなさい」
『!!!』
笑いながら告げた言葉に、二人は驚いて声を失った。
レイナはゆっくりと立ち上がり、横にいたカリルに通り過ぎてルトに近づいていく。
意識が朦朧としているような虚ろな目をしている。
「彼女は僕の術に負けたんですよ。さ、レイナさん」
「了解しました」
感情が無いように口を開いたレイナは、小さく呟いた。レイナの行動にどうしていいか分からず、二人は構えるだけしか出来なかった。
「…バースト」
レイナの右手には赤い球が生み出され、それが地面にぶつかると一斉に煙が巻き起こり、結界の中は煙が広がっていく。
カリルとスーマは視線だけを動かし気配を探る。スーマの目の前の煙が揺れる。
「っ!!」
人影が現れた途端、煙の中から剣を振り上げスーマに切り掛かろうとした。スーマは瞬時にして魔法で剣を作り出して、剣を受け止める。
力ではスーマが圧倒的だが、攻撃出来る相手ではない。スーマは剣を弾いて気絶させようとした。その時だった。
「ダークレイ…」
レイナは両手で握っていた剣を左手で持ち替え、詠唱をしないで魔法を発動させた。強力な魔法ほど、呪文の詠唱と集中力を必要とする。レイナは一瞬にしてそれを作り出す。
レイナの右手に黒い球が生まれ、光線のようにスーマの直撃する。
あまりの魔法の強さに結界の端まで弾き飛ばされ、スーマは倒れてしまう。
「な…何故…」
「スーマ!」
「彼女の滞在能力は凄いですね…」
カリルもルトでさえ、レイナの力に驚いていた。
「…レイナ」
「……」
カリルの声に耳を傾けず、レイナは少しだけルトに近づいた。
ルトは楽しそうに笑っている。
「レイナさん、カリルさんから殺して下さい」
「了解……」
左手に握っていた剣を両手で持ち直して、切っ先をカリルに向ける。
虚ろな瞳、喜怒哀楽の無い顔。レイナは一歩一歩とカリルに近づいていく。
レイナの足が止まる。
―――――!!!
レイナは剣を握り直し、切っ先を自分に向けて躊躇する事も無く自分の腹部を刺した。
虚ろな瞳のままカリルに微笑むと、大粒の涙を流して吐血する。
力が僅かに残っていたのか、身体を刺した剣を抜いて身体を折り曲げて倒れた。
『レイナーッッ!!』
カリルとスーマの悲痛な叫び声が上がる。
思いも寄らない出来事に、ルトは目を見開いた。
怪我を負った身体でスーマはレイナに近づく。それを見て、カリルはスーマに肩を貸した。微笑んだまま涙を流すレイナの呼吸が小さくなる。
短い沈黙が流れた。
僅かな沈黙はルトによって破られた。
「今日は僕の負けという事にしましょう。レイナさんは不思議な力の持ち主ですね…益々興味が湧きました」
ルトは諦めたように溜息を吐いて苦笑する。ふと、何かを思い出したように人差し指を口元に当てて上を見た。
「でも、このまま戻ると僕は怒られてしまいますので、どこかに隠れる事にしましょう」
ルトの言葉を耳にしながら、カリルはレイナの脈を確かめ回復呪文を唱えようとする。レイナの呼吸はまだ絶えていない。
「それと、面白いものが見れたので、少し良い事をしましょう」
今度は右手と左手の指を交互に鳴らした。すると、レイナの身体は紫色に光る。
「何をするつもりだ?!」
「どこかの種族と違って僕は闘争意識はありません。だからといって、死の契約なんて安易に行ったら楽しくないじゃないですか」
今にも飛び出しそうなスーマを見て、ルトは笑った。
「もしも、レイナさんが目覚めたら言っておいて下さい」
消えかけるルトは、何かを思い出したかのように言葉を付け足した。魔法で姿を消したルトの声が、音の無い闇の中に響く。
「………よ、と」
結界が消えると元の宿の一室に戻る。床もベッドも傷一つついていなかった。
カリルはその場でレイナの上半身を抱き抱えた。乱れていた呼吸は整っているが、腹部からの出血は止まっていない。
「(このままだと…レイナが危ない、けど…)」
スーマの横でカリルは小さく息を吐いて、レイナの心臓に手をかざした。
「空と海をたゆたう聖なる時の旅人よ…静寂の心と光の力を我等に与えよ…リザレクション!」
呪文を唱えると、かざしていた手が淡い光りに包まれる。レイナの出血は止まり傷口が塞がり、青ざめていた顔は土気色に戻っていく。
額に汗を流し呪文を唱えるカリルを見て、スーマは驚いた。
「(まさか、蘇生呪文を使った?)」
レイナの傷口は完全に塞がり、瞼が微かに動く。それを見て安心したのか、カリルはレイナの身体に重なるように倒れてしまう。
「おい、大丈夫か?」
「ええ…安心したら、力が…抜けて、しまいました」
カリルは無理に腕に力を入れて身体を起こした。額に汗を流し、呼吸が乱れているようにも見える。
身体に圧し掛かっていた何かに気づいたのか、レイナはゆっくりと目を開いた。そこには、カリルとスーマが自分を見つめていた。
「カリル…?スーマ?」
事情を飲み込めないレイナは、二人の顔を交互に見ていた。
翌朝。レイナが部屋の扉を開けると、廊下には階段を降りようとしているカリルの姿があった。
「カリル」
レイナは少し躊躇いながら声をかけた。あれから事情を聞いたレイナは自分のした事に後悔していた。ルトに操られていたとはいえ、スーマに攻撃してしまったのだ。
「…」
カリルは振り返りレイナと視線を合わせると、無言で階段を降りていった。
「…カリル」
「あいつは、自分が取り乱した姿をお前に見られたのが不覚に思ったみたいだな」
「うひゃぁっ!」
突然、後ろから聞こえたスーマの声に、レイナは奇妙な声を発して驚いた。
「ス、スーマ!いつの間に…?」
「お前…気配読めよ」
慌てて振り返ると、笑いを堪えていたスーマが、足音も立てずにレイナの真後ろに立っていた。
スーマはレイナの頭を撫でると、カリルの後を追うように階段を降りていった。
二人を追うように階段を降りると、二人が座っているテーブルを見つけ、空いている席に着いた。
崩すのが勿体ないくらいふわふわな卵料理と、新鮮さが一目で分かるサラダ、それに焼きたての丸いパン、テーブルの上には既に三人分の食事が並んでいた。
「いただきますっ」
レイナも食事を始めた。料理は今出来たばかりのようで、湯気と匂いが朝から食欲を刺激する。
レイナはふと、隣に座っているカリルを見た。
スーマが何かを思い出しては小さく笑っているので、スーマが何か言ったのだろう。カリルの耳が赤くなっていた。
「おや、昨日の子が居ないね。あの子小さいのに旅をしているんだってさ」
奥の部屋から女性が現れ、辺りを見回した。
昨夜の出来事は口が裂けても言えなかった。三人は視線を反らす。
「あんた達も旅をしてるんだってね?そうだ、この辺りで面白い話があって、西に行くとラムサールの街を結ぶステビアっていう森があるんだけど、そこに一本だけ燃えない木があるみたいだよ」
女性がぺらぺらと喋り始め、何かを思い出したようにカウンターの抽斗から色褪せた地図を取り出した。
「ほら、ここがラムサールで、こっちがケリュールの街…」
女性は地図を指でなぞりながら説明した。
三人は相槌を打ちながら地図を覗き込んだ。ケリュールからラムサールまでは三日から四日位かかる距離だった。
「何でも、その木に触れたら天使や竜がいるお伽話のような場所に行けるっていう噂なんだよ」
女性は大笑いをしながら、スーマの肩を何度も叩いた。
どうやら、女性は噂話が好きなようだ。
スーマは女性に困りながらレイナに問いかける。
「レイナ、どうする。何か仕事の依頼は引き受けてるのか?」
「ううん、今のところ、依頼は無いし資金は余裕はあるよ」
旅をしているとお金は使う。レイナは仕事という形でどこから仕事を貰ったり、魔法が使えたり、剣術が扱えると、人に声を掛けられ依頼されてお金を作っている。
「もしケリュールに向かうなら、森を抜けなければいけませんね…時間があるなら探してみましょう」
「カリル?」
普段から自分で行動を起こさない。というより、レイナの行動に合わせているカリルが、自分から発言するのが珍しく思えた。
カリルはテーブルの上に両肘をついて考え始める。
「噂話かもしれないけど、行ってみるといいよ」
女性は空になった器を全て片付けると、奥の部屋に行ってしまう。
「面白そうだね、行ってみようよ」
レイナはテーブルの上に代金を置いて、食堂から出ていく。
カリルはレイナの後を追い、スーマはカリルの後を追った。
「(やはりカリルは…)」
スーマは気づかれないように、カリルの背中を凝視していた。