黒猫の見つめる先の…
寒さが厳しいある日。
残業で遅くなった帰り道。
踏切に差し掛かると普段にはない、人の気配に気付く。
線路の中に屯している姿が映る。
ヘルメット姿の人だ。工事かなんかだろう。
その中で一人離れて蹲っていた。
そちらを見ながら歩いていると、足を滑らした。
ちょっとビクッとして恥ずかしい。
足元を見るとなんかピンク色したものがあった。
これが足を滑らした原因だろう。
地面に靴を擦りつけてから、足早に歩き去る。
西側の工場の高い塀が風よけになっている。
塀の上には半月がまるで船のように浮かんでいた。
その隣。逆光でシルエットだが、猫がこちらを眺めていた。
緑色に瞳が怪しく光っている。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、帰宅途中。月影が薄暗い道を照らす中、近道の裏道を歩いていた。
――サッ
光が流れて驚いて足を止める。
ふと見ると道の隣にある物置小屋の中。物陰に佇む黒猫が目を緑に光らせて見つめていた。
ふっくらとした感じ、昨日見かけた猫か? と思う。
――驚かせやがって。
そう文句を猫に向けて視線で訴えて去ることにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さらに翌日。
アパートの近くまで帰りついたときだ。
近所の家の塀にまた同じシルエットが見えた。
月明りを背にまるで置物のように微動だにしない。
こちらを睨むように、瞳いっぱいに緑色の光を湛えていた。
さすがに3日も続くと気味が悪い。
さっさと通り過ぎた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
またまた翌日。
警戒しながら帰路に就く。
アパートが見えても見かけない。
ため息を吐き、馬鹿馬鹿しさに笑みが零れる。
ふと向かいの民家を見上げると、いた。
奴だ。
月光を浴び、艶やかな毛並みを見せつつ、緑の煌めきが見下ろす。
視線から逃げるように部屋へと飛び込む。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その翌日。
怯えるように家路を急ぐ。
周りを見ないように帰り着く。
功を奏し、猫を見ずに済んだ。
早々に眠りに就いた、その晩。
目が冴えて窓の外を見ると、雲間から覗く白い月が隣家の屋根にいるものを浮かび挙げる。
エメラルドのように緑に輝く瞳孔が射貫くように、こちらに望む。
いつの間に開けたか分からないカーテンを閉める。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
休日。
昔の知り合いと飲み、仕事の愚痴を零す。
そして口に出してしまう、最近のこと。
皆に笑われ、羞恥で赤くし、誤魔化すように酔い覚ましに歩いた帰途でまた目撃する。
肥え太った月を伴い、民家の2階の屋根から睥睨する。駅前のネオンのような緑。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
昨日はどうやって帰ったのか覚えていない。
外に行く気も起きず、家でだらだら。
そして、目覚めた夜中。
窓の外、ベランダの手すりの上に佇立する影。
部屋の中を覗き込む、あの緑の輝き。
しばらく動けずに金縛りのように固まっていた。
そしてタペタムという言葉を思い出す。
光を反射しているという。
月の光が世界を満たす中、部屋の中は大層暗いだろう。
逆光の中、それは何を反射している?
自分の姿が気になって、テーブルの上の鏡を見やる。
特に変わったものは映っていない。
上着が壁に掛かっている、だけ……
――サッと
振り向いた先には上着がある。
慌てて鏡を手に取ると自分の顔を見る。
普通だった。ちゃんと自分の顔があった。
窓の外に目を向けると、もう猫は幻のようにいなくなっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
満月が登り、その光の下、黒猫が道路を歩いている。
隣の建物の駅からはアナウンスが聞こえてきた。
―― 只今、人身事故が発生し、運行を取りやめております ――
その日、黒猫が見つめる先の部屋に、灯りが点くことはなかった。