NHKの「私たち」
戦後丸々年、私たちはどこへ行くのでしょうか?
子供時分からNHKドキュメンタリーのラスト数分が大嫌いだった。
感情が高ぶる壮大な音楽。
曖昧模糊としたナレーション。
漠然とくくるように「私たち」を、連呼する。
私たち、
私たち、
私たちの時代。
いいやそれは私の時代ではないのだ!
何者から何者かに放った言葉の波紋なのだ!
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文字数が足りませんでしたので、雑文を付け加えます。
私たちの時代、私たちの社会。
そう言われることが、何か重苦しい押し付けのように感じて書いた詩です。
私は確かに、ここに、今生きているはずなのに、
「私たち」とNHKに言われることの、この虚しさは何なのでしょうか?
NHKドキュメンタリーは個人的にとても気に入っている番組なのですが、
夢中になって視聴したラスト数分には虫唾が走ります。
実感がない、それなのに
実体のある常識にみちみちていく。
テクノロジーが発達して、高度化した私たちの社会は
振り上げたこぶしを、どこに振り下ろしても敗北の予感とともに、
“なかった”ことにする、
私の不存在と引き換えに成り立っているような気すらしてしまうのです。