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第7話 過ち

 「もう、終わっちゃった」

 女は無気力に呟いた。

 昼間だというのにカーテンを閉め、うす暗い部屋の中、彼女は何も考えたく無いといった様子でベッドに入った。

 「仲原くん…」

 佐藤恭子 27歳。彼女の頭の中を別れのシーンが駆け巡る。彼の冷たい蔑んだような目。置いてけぼりをくらったあの日を思い出していた。

 

 その日、恭子は彼の朝食の支度にとりかかっていた。ごはん、味噌汁、あじの開き、サラダ。恭子は味噌汁を味見しながら、時計を確認した。

 「遅いなぁ」

 時計は丁度10時を指していて、朝食にはかなり遅い時間だった。

 (当直が長引いてるのかしら?)

 恭子はそう思い、携帯をかばんの中から取り出した。メールが入ってないか確かめるが、やはりいつもの様に連絡は無しだった。

 「連絡くらいくれてもいいのに…」

 彼女はそう呟くと、椅子に腰掛けた。彼と付き合い始めたのは1年前。はじめから、彼は恭子を待たせてばかりだった。研修医である彼は忙しく、、ここ最近は、恭子の部屋に来るのはご飯を食べに来るか、寝にくる位。それでも、恭子は満足していた。

「ただいま」

 考えごとをしていると、彼が帰って来た。

 仲原孝也 27歳。彼と恭子とは高校時代からの友人で、あるきっかけで付き合うことになった。

「おかえり。遅かったね」

「うん」

「やだ、それだけ?」

 ふふっと微笑むと、食卓に料理を並べ始めた。無口な彼は、自分の席に座り料理が出揃わないうちから、モグモグとご飯を頬張っている。

「もう、仲原くん! 喉つまっちゃうよ」

「うん」

 美味しそうに食べる仲原を恭子はじーっと見つめた。黒い真っ直ぐな短い髪。綺麗な2重の目。鼻筋の通った整った顔立ちに見とれていた。

(愛想が無いのが玉に傷だけど)

「どう、美味しい?」

「うん」

「仲原くん、うん、しか言ってくれないんだね」

 恭子は少しすねた顔をして、食器を片付けはじめた。

「3時に、また病院に戻らなきゃいけないから、起こして」

 呆れる恭子をよそに、仲原はそう言った。

「ちょっと…自分勝手すぎる」

 恭子はそう言ったが、仲原は気にする様子もなく、さっさと服を着替え、ベッドにもぐりこんだ。

(私って愛されてるんだろうか)

 恭子はしばしば不安になった。置いてけぼりをくらった恭子は、部屋の中でテレビをつける事も出来ず、紅茶を片手にしばらく考え事をしていた。

 考えれば、出会った頃から彼のペースで生活していた事に恭子は気付いた。私の事などどうでもいいに違いない。そんな風に思い始めていた。

 仲原を起こすまで、時間がある。恭子は、近所にある行き付けの珈琲店に足を運んだ。

 店内は珈琲の香りでいっぱいになっていた。平日の店内は他に客も無く、店主は暇そうに腰掛けて新聞を開いていた。

「恭子ちゃんいらっしゃい」

 ひげをたくわえ、頭には赤いバンダナを巻いた店主が声をかけた。

「どうした? いつもの無口な彼は?」

「茶化さないでください」

「茶化してなんか無いよ。本気で心配してんだから」

 恭子はいつもの様に、店主に相談をはじめた。店主は珈琲を入れながら恭子の愚痴を長々と聞いていたが、お気の毒といった口ぶりでこう言った。

「でも、好きなんでしょ?」

 恭子はそれ以上何も言えなかった。彼の腕の中にいるとき、彼が自分に優しく触れる時の感触。そして、たまにしか笑わないけど、あの笑顔。

 店内に流れるJAZZが恭子の感情を、より揺さぶった。

 

 しばらく珈琲店で暇をつぶした恭子は、他に行く所もなく、部屋に戻った。そして、約束の時間まで、そっと音をたてずに待った。

 時計はようやく3時を指し、約束通り仲原を起こした。

「仲原くん!」

「んん…」

「起きて。時間だよ」

 恭子は何かを期待したが、仲原はゆっくり起きて、ベッドの恭子がいる方の反対側から降りて身支度を始めた。切なかった。付き合ってるのに片思いのような、そんな感覚にとらわれていた。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 恭子は、はぁーっと、大きくため息をついた。


 仲原が出かけたあと、恭子はさっきまで仲原が寝ていたベッドに横になった。どれ位眠っただろうか。携帯が鳴り、恭子が気付いた時には外は真っ暗になっていた。

 半分、寝ぼけていた恭子は、相手の番号も確認せずに出た。

「会いたい」

 聞き覚えのある男の声だった。

「え?」

「会いたい、今」

 恭子には、それが誰だか分かっていた。その声を聞くだけで体の震えが止まらない。

 恭子は、男の話が終わらないうちに、携帯の電源を消した。


 がちゃがちゃ


「きゃっ」

 ドアが開き、恭子の恐れていた現実が顔を出した。

「どうした? 何で出てくれない?」

 1年前に別れた彼である。彼とは5年という長い付き合いだった。学生時代の彼はリーダーシップがあり恭子は憧れていた。憧れの人と付き合い、楽しい日々を過ごしたが、就職してから、彼の態度が一変した。

 恭子が震えが止まらないのは、彼から受けた暴力のせいである。

「何で、携帯の…」

「あぁ。恭子の友達に聞いた」

 男はごく冷静に、優しく話した。

「やり直したい」

「…」

 恭子は少し、この男から離れて言った。

「付き合っている人がいます」

「わかってる」

 男は今までの事を反省している、といった内容の話をしたが、恭子にはとても信じられず

益々震えは止まらなくなった。

「ごめん」

 いきなり、その男は部屋に入り恭子を抱きしめた。

「ごめん。恭子がいないとダメなんだ」

 驚いた恭子が男の顔を見ると、彼の頬を涙が流れた。

「何で?」

 彼は恭子を抱いたまま続けた。

「愛してる」


 ベッドの中にはいつもと違う2人がいた。恭子は、なぜそうしたのか自分でもわからなかった。仲原を愛すれば愛するほど、すれ違う感情を補いたかったのだろうか。

 恭子が驚くほど、彼は優しく抱いた。今までの彼とは別人のようであり、いつの間にか震えも止まっていた。

「ごめんなさい」

「何で謝る?」

「私、やっぱり…まーくんとは付き合えない」

 つい、昔、呼んでいた名前が口からこぼれる。

「まーくんか。懐かしいな」

 そう言って彼は、恭子のおでこにキスをした。いつも、行為を終えたあと、彼は忙しそうに去って行った。今の仲原だって同じことだ。恭子はベッドの中、いつまでも自分の体を離さない彼の態度に驚いていた。

 そして、また、身を任せた。


「ただい…」

 仲原が仕事を終え戻って来た。

「や…やだ…」

 

 

 

 

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