最終話 死んでいく人たちへ
あの日も雨。白衣の列が一糸乱れぬ動きで、一台の車を見送る。
そう、小園の遺体が載せられた車。
「死ぬな。そんなことで亜美ちゃんは帰ってこないんだぞ。亜美ちゃんは、苦しみながらも必死で生きようとした。だから、君は死んだりなんかしちゃダメだ」
小園の言葉がこだまする。
10年前、亜美が死んだ日。
可愛かったピンクの頬は何色というのか。黄色に灰色を混ぜたような色で、体はというと、元気だったころの3倍も膨れて、むくんでいた。浮腫んで醜くなった妹の姿。
でも、声を聞くと、あの時の妹の姿がよみがえる。
「お兄ちゃ……亜美…」
死んでいく、ほんの数分前のことだった。今まで、喉が痛くて話すこともままならなかった妹が、珍しく声を出した。
「亜美! 無理するな。喉、痛いんだろ」
「お兄……亜美……」
「何だ? 亜美!」
「くやしい……お兄ちゃ」
全く自分では動かせない体。はぁはぁと苦しそうな息使い。
「お兄……亜美……お家に……」
「わかった。わかった。お兄ちゃんが連れて帰ってやる。大丈夫だ亜美」
「う……こわ…い…お母…ちゃ……」
段々、妹の息使いは荒くなり、少年の仲原にも異変に気がついた。
ナースコールを何回も押し、ナースがバタバタ入ってくる。
「助けてやって! 助けて! 亜美、お母さん呼んでくる」
仲原は、母に連絡をとるために病室を飛び出した。無我夢中だった。
「血圧、測れません」
「ドクター呼んで」
「モニター! 救急カート!」
病室内に、ナースの指示が行きかう。
「酸素、あげて! アンビュー! ドクターはまだ? 家の人は?」
「心電図、フラットです」
「ちょっと、高津はまだ?」
「はい。呼んでるんですが」
「じゃ、小園先生呼んで!」
「は、はい」
「死んじゃダメよ、亜美ちゃん」
ゴボッという音をたてて、大きな血の塊を吐いた。
「あぁ……」
ナース達は一瞬絶望のため息をもらした。
「吸痰! 早く!」
「亜美ーーーー!」
戻ってきた少年の目に映ったのは、妹の死。
体に触れるのもためらわれる位、醜く変わり果てた姿。血の匂い。
「亜美ーーーーー逝くなー」
少年の甲高い声が、病室に響いた。
「亜美ちゃん!」
小園が慌てて入ってきた。
「小園先生! 亜美ちゃん心停止してます。心臓マッサージ続けますか?」
「もう、いいだろう。これ以上苦しむのは可哀想だ」
「でも……高津先生が…」
「いい! やめろっ」
ツーーー
モニターの波形が1直線になった。横には0(ゼロ)の数字。
それまでバタバタしていたナースの動きが止まった。皆、涙を浮かべている。
あまりにも幼すぎる命。壮絶な死。誰もその場を動く事が出来なかった。
「亜美、亜美」
仲原は妹の傍に近寄り、むくんだ手を握った。
今ではなぜ、そんな事をしようと思ったのか。思い出せない。あまりにもむごい妹の姿に動揺したのかもしれない。とっさの事だった。
病室の窓から飛び降りようとしている自分を、引っ張り、必死に訴えかけてくる小園医師の声で我に返った。
「死ぬな。そんなことで亜美ちゃんは帰ってこないんだぞ。亜美ちゃんは、苦しみながらも必死で生きようとした。だから、君は死んだりなんかしちゃダメだ」
それから、どうしたのか記憶が無い。
今ここに立っているという事は、助かったのだ。
そこから先は、人伝えで聞いた。
「小園! 貴様! 何で救命処置をしないんだ」
後から来た高津は、小園を叱責した。
「まだ、若いんだぞ。救命して然るべき。何てことをしてくれたんだ。主治医の私が到着するまで何で待てなかったんだ」
周りのナースは怒りに震えた。
「先生が到着しないので、小園先生を呼ばせてもらいました!」
ベテランのナースが高津にそう言った。
「主治医は俺だぞ。しかも。主治医の許可なく、何てことしてくれたんだ」
そのうち、仲原の両親が慌てて、病室内に入って来たが、病室内、遺体の横で言い争う姿は、異様であった。
「お言葉を返すようですが、私も彼女の主治医だったんです。この先、救命したところで、彼女の苦しむ時間が長引くだけだと……」
「私の治療方針に逆らうのか、君は? もしかしたら、彼女には、この先の未来があったかもしれない。苦しむか苦しまないかなんて誰にもわからん」
「しかし、彼女の状態を考えたら」
「助かるか助からないかわからないが、救命処置はするべきだ」
「……」
小園は黙った。彼女にとっての、この先の未来……。
手も足も動かなくなって、寝たきりの彼女。移植が失敗だったとなると、滅多に病室にも来なかった高津の言葉とは思えない。
彼女にどんな未来があるのか。苦しむ時間が増えるだけではないのか。
高津に移植の依頼をしなければ良かった。
自分は幼い命を救えなかった。
小園は怒りと罪悪感、後悔の入り混じった感情を抑えることが出来なかった。真面目すぎる彼に、亜美の死は厳しすぎた。
「それから、しばらく経って、小園先生の死を知ったのは」
仲原は院長に言った。
「私も、小園のことは可愛がってたからな、この事はよく知っている。小園君は一生懸命で、いい医者だったのに。勿体無い。高津のようなエリートを見ると、正直へどが出る」
院長は椅子から立ち上がると、仲原の元へゆっくりと移動した。
「私の知っている病院があってね。遠いんだが」
仲原の肩に手を置くと、院長は続けた。
「医者というのは恐ろしい仕事だよ。なんせ命を扱う仕事だからね。君は、その恐ろしさも悲しさも知っている。その上で、まだ医者を続けたいか? 私なんか、そろそろ退職したいものだが……ははは」
「はい……私にはやるべき事があります。医者を続けられるなら、どこでもいく覚悟です」
「それでいい」
院長は大きく頷いた。
ザンザン降る雨は、仲原を上から責めてくるようだった。仲原はミサの元へ向かう。あえて、傘もささず。上から落ちてくる雨が、自分の業を洗い流してくれるようだ。
俺は自殺なんかしない。
亜美のように、苦しんでも生きる。
残された人間の痛みを知っている。
仲原は吹っ切れたように、走った。
ザーーーーー
ザーーーーーーー
彼の足音をかき消すように、雨は激しく降った。人はなぜ生まれてくるのか、なぜ、死ななくてはいけないのか。なぜだ。わからない事ばかりだ。
亜美はなぜ、苦しまなくてはいけなかったのか。
なぜ、恭子のように、自分で死を選ぶ人間がいるのか。
人は弱い。
ただ、それだけは言える。はっきりと。
そして、自分にとって大切な人。
タンタンタンタン。階段を駆け上り、インターホンを押す。
「はい……」
「ミサ、愛してる」
ドアが開き、頬を紅潮させたミサの顔がのぞく。
「せんせ……」
仲原はミサを抱き寄せ目を閉じた。
「一生、守る」
2人の影は永遠に、純粋に重なりあった。
ザーーーーーーー
雨の日。
これから思い出すのは、2人の始まり。止むことのない雨が2人を包みこんだ。
死んでいく人たちへ
怖がらなくていい
傍にいる
君が君らしいままで、天国へいけるように
願っている
(完)
今まで、読んでくださった方、本当にありがとうございました。そして、評価、感想を寄せてくださった方に感謝します。コメントの一言一言が、書く原動力になってました。
そして、ようやく完結することができ感無量です!
改めて、書くことが好きなんだなぁ、と思います。
今度は何書こうかな〜〜〜!




