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第3話 一杯のお茶

夜勤は、経験の少ないナースにとっては、とてもプレッシャーのかかる勤務だ。日勤帯には平均5〜6人の患者を受け持つが、満床であれば、16人の患者を1人で看なければならない。

 内科4病棟は48床あり、3チームに分かれて勤務している。夜勤の場合は各チームから1人ずつ、全員で3人となる。急変があった場合など、勤務中一度も座れなかったなんてよくある事だ。

 夜勤には準夜勤、深夜勤と2種類あって、準夜勤は16時〜翌1時まで、深夜勤は0時〜9時までである。仮眠など、とんでもない。休憩がとれるかとれないかのギリギリの勤務なのである。

「何事もありませんように」ミサは、必ずそう願い勤務に臨み「あー良かった。今日は無事だった」と胸をなでおろして、くたくたに疲れながら家に帰っていくのだった。

 老人の患者などは入院などの環境の変化で不穏ふおんな状態になることもあり、点滴を引き抜いて、床中血まみれになったり、ベッドの上に立って、転落したりだとか、思いもかけないハプニングが起こったりもする。死に病棟の夜は、さながらサスペンス劇場のようである。

 そして、ハプニングが起こるのが大抵、夜中なのがミサは不思議でならない。

 ミサは今日、準夜勤であったが、いつもより少し緊張が解けていた。

(今日は福永さんと一緒の勤務だ!一緒に夜勤するのどれだけぶりだろう。)

 福永 ふくながまことナース歴10年。ミサの教育係プリセプターである。いつもは同じBチームなので、夜勤を一緒にすることは無いが、他の勤務者の都合で、今回、福永はCチームの夜勤になった。

 風貌はというと、茶髪に細い体。スナックのママさんのように酒やけしたような、がらがらの声。元ヤンキーをナースにしたような、という感じだ。

 そんな風貌とは別に、誰にでも分け隔てなく接する福永を尊敬していた。そして、彼女にいつも助けられている。福永がいなければ、ミサのような弱気な人間は、とっととこの過酷な医療現場から消え去っていただろう。

「ミサ!今日はよろしくね」

「あ、福永さん、よろしくお願いします」

 安堵の表情を浮かべているミサに、福永は横目でにやりっと笑って釘をさした。

「何も起こらないといいねぇ〜」

「あ、そんな脅かさないでください!」

「最近、401号室の前でラップ音が聞こえるんだってぇ〜」

「だからぁ、脅かさないでくださいって」

「あははー」

 福永はミサをからかうのが楽しいといった感じでおどけた。福永がいるだけで、場がぱっと明るくなる。おしつけがましくない明るさに、救われた患者もたくさんいるだろう。ミサも、福永がいることをとても心強く思った。

 準夜勤の大まかな仕事内容といったら、まず30分程情報収集をし、仕事にとりかかる。夕食後の配薬。準夜帯で行う点滴の準備。夕食の食事介助。検温。消灯。消灯後の見回り。寝たきりの患者がいる場合は、定期的に体位変換、吸痰、オムツ交換など、正直言って、超過酷である。

「そろそろ、休憩しようか」

 福永と山中がミサに声をかけた。

「すいません。まだ、検温の記録書いてないんで、先に休んでください」

「こんなに落ち着いてんのに、まだ終わってないの?」

 もう1人の勤務者の山中が怪訝そうに言った。

「ミサは丁寧だから、仕方ないね。もうちょっと、手を抜くとこ抜かないとボロボロになっちゃうよ」

 さりげなく福永がフォローにまわった。

「手を抜くって言ったってー」

 ミサは子供がだだをこねる時みたいに口をとがらせた。唯一、福永だけには自然体でいることができるのだ。

「いい意味で。手を抜くの。早く、記録終わらせて休みな」

 ちゃららちゃららら〜♪

「乙女の祈り」もとい、ナースコールが鳴った。403号室。

 ミサのチームの患者だった。

(あ〜はじまった・・。)

 あと、もう少しで記録が終わるというところで中断を余儀なくされた。

「神田のばあちゃんかー。また始まったねー。」やれやれという顔で福永が立ち上がった。

「あ、いいです。福永さん。私のチームなんで、行ってきます。」


 403号室の神田さん。夜になると、ナースコールを鳴らしまくるので、みんな困惑していた。

「どうされました?」半ば飽きれたように部屋に入ったミサ。

「あんな。茶をとってくれ」

 消灯を過ぎたにも関わらず、大声で話す。2人部屋であったが、神田さんがいつも夜中に騒ぎ出すため、隣のベッドは空きになっている。

「どこにあるの?お茶?」

「引き出し」

と床頭台を指さした。1段目から3段目まで探したがみつからない。

「無いか?」

「はい。無いです。お茶、入れてきましょうか?」

「こっちやったかな」

 整理棚の方を指差して、自分も探そうとベッドから降りようとしていた。

「神田さん!」

 脳梗塞の既往があり、麻痺のある神田さんには立つことは無理である。ミサは必死に説得した。

「お茶なら入れてきますから、少し待ってて。絶対にベッドから降りないで!」

「あーそうか」

 ミサは神田さんが、床に落ちないように柵をきちっと固定し、部屋を出た。が、部屋を出た瞬間に、また、ナースコールが鳴った。

(もう、どうしたらいいんだろ)

「今度は何だった?」

「お茶が欲しいって」

 ミサが言うと山中がつっこんだ。

「そんでお茶取りに来たの? 消灯すぎてるからダメってはっきり言わないと!」

「でも、約束したので」

 そうこうしているうちに、また、神田のおばあちゃんからナースコールが鳴り、福永が代わりに行ってくれた。

不穏ふおん時の指示は?」

 休憩しているのを邪魔されたと言わんばかりに、不機嫌になっている山中がミサに聞いた。

「沈静剤の指示があります」

「それで、寝かすしかないよ」

「……」

「夜寝ないから、昼間寝て、また夜中に騒ぎ出す。昼夜逆転もいいとこじゃない。不穏患者には鎮静剤いくべきだと思うけど」

「はい」

 山中に言われる通り、ミサは沈静剤を用意し始めた。

 その時。福永が神田のおばあちゃんを車椅子に乗せて詰所に連れてきた。

「はい、神田さん。ここでお茶飲もうか。」

 ミサも山中もあっけにとられた。

「あんた、何してんの?」

 福永はミサに投げかけた。

「鎮静剤を…」

「少し騒いだら、鎮静剤かぁ。ベッドから落ちてもらったら困るから、それも正解だけど…」

 福永はその先は言わなかった。

 そんなことをよそに、神田のおばあちゃんは、詰所の机の真ん中を陣取り、あったかいお茶を美味しそうにすすった。

「美味しいね」

 とても嬉しそうな顔をしてつぶやいた。

「こんな食堂でお茶をよばれるなんて、久しぶり」

 詰所を食堂だという神田さん。どうして夜中に騒ぎ出すのか、福永にはわかっていた。


 美味しいね……


 ミサの心に何かが響いた。

 狭い病室の中、お茶も自由に飲めないこの人たち。寂しくて、怖くて。でも、感情に表現できなくて。彼らなりに行動すれば、騒いでいる、おかしなことをしていると疎まれ、沈静剤を打たれるのだ。

 こんなことは看護ではない!

 何も言わない福永の態度が、言葉より多くの事を伝えた。

 勤務が終わったあと、ミサは福永に話しかけた。

「ねぇ?福永さん」

「へ?」

「私も福永さんみたいな看護師になれるかな?」

「私みたいな?無理無理。もっと人生勉強しなきゃ無理無理」

 舌を出して、おどける福永は、どこか照れ隠しをしている様だった。

 夜中の駐車場。キラキラと輝く星空に手を合わせた。

(今日も無事終わりました。ありがとう。)
















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