第28話 雨
面会謝絶と札のかかったドア。
恭子の傷は浅かったらしく、酸素も心電図も、はずされていて、朝にはICU(集中治療室)から普通の病室へ移されていた。仲原はドアをそっと開けると、恭子が寝ているbedの横に立っていた。
「何で……こんなこと……」
恭子は普通に寝ているかのように、穏やかな表情で眠っている。
昨日から一睡もしていない仲原は、白衣のまま、疲れた表情だ。傍にある椅子に腰かけ、元彼女の寝顔をマジマジと眺めたが、哀れな女、それしか感じることができなかった。今となっては好きだったかどうかも思い出せない。
外は雨。シトシトシトシトと聞こえてくる雨音が静かに心の奥で響いた。古い病室は、何か湿気臭く陰気で、というか、仲原の目に映るもの皆が憂鬱だった。なぜ、彼女は自殺という手段を選んだのか。いっその事、自分を刺してくれた方が気が楽だ。仲原はそう思った。
20分程、横にいただろうか。立ち上がる気にもなれず、ずっと窓の外と恭子の顔を代わる代わる眺めていた彼は、深くため息をついて目を閉じた。
あの日も雨だった。
「先生! 先生! ダメだ。ダメだ」
遺体の横にすがる少年。
変り果てた遺体は、修繕されていたが、文字通りボロボロで目を背けたくなる程だった。遺体の両親であろう2人の男女は、顔を歪め、周りも気にせず大きな声で泣いていた。
ウォォォォォォォオ!ウォォォォォォォオ!と。何か動物が吠えるような、そんな声だった。遺体の同僚であろう、若い医者達が続々と遺体の周りに集まってくる。
「何で、自殺なんか。 バカ野郎! 小園! バカだ、お前はバカだー! うぅぅ」
1人がそう泣き崩れると、周りの者たちも、口々に、何で、何でだ? と疑問の言葉を漏らした。
外は降りしきる大雨。横殴りの雨が窓をたたきつけていた。
「お棺が到着しました」
葬儀の人間だろう。彼らは無残な遺体に驚きもせず、慣れた手つきで棺に納めた。黒いスーツは雨に濡れ、髪からも水が滴りおちていく。少年はその光景に身震いをした。
棺を先頭に、ゾロゾロと白衣の群れが続いた。裏の出入り口へと、白い線は続いた。
誰も傘をささず、横1直線に並んだ医師たちは、車が走り去るまで深々と頭をさげ、車が消え去ったあとでも、誰も頭をあげようとしなかった。
少年は、1人遺体が安置されていた部屋にいて、動けずにいた。それは、息もできない位。
バタバタと、時折激しく窓をうつ雨音に、我に返った少年は、やっと涙が滴り落ちるのを感じた。冷たい頬にあたたかい涙がつたう。
「死ぬなって言ったのは、先生の方じゃないか……」
力なく呟く少年。
それは、10年前の仲原。
彼は、今、恭子のbedの横で立ち上がれなくなっていた。
「失礼します。あっ」
検温の為、訪室したナースは仲原の姿を見ると、いったん開けたドアを閉めようとした。
「おいっ!」
「ハイ」
「検温だろ? 続けてくれ」
やっと仲原は、椅子から立ち上がると、ドアの方へと歩いて行った。
「行かないで」
細い声が仲原の耳に届いた。
「あ、あの、やっぱり、私、後で来ますので」
検温にきたナースは、慌てて病室から出て行った。
仲原はドアの方を向いたまま話しはじめた。
「何でこんな事したんだ」
「私……」
「くそっ」
仲原は自然とこぶしに力が入るのがわかった。唇はきっと固く結ばれ、目は閉じたままだ。
「私……ごめんなさい……あなたが誰かのものになる位なら……」
バンッと壁を殴る音がした。
未だ、恭子に背を向けたままの仲原の背中は怒りで震えている。
「死んだ方がまし……っていうつもりか!」
「……」
「どうなんだ。これから先も、俺が傍にいなかったら、お前は死んでしまうのか!」
「……」
いつも静かな仲原が、怒りに震えている。感情を出したことのない仲原が自分に向けて怒っている。恭子は、傷の痛みも忘れ、思わず体を起こした。
「あなたが他の誰かを好きだなんて……私、死ぬしか……」
仲原は動きを止めた。
「死ぬしかなかった……? お前のこと……理解できない」
一度だけ、このとき、一度だけ。振り返った彼の眼には涙が浮かんでいた。
「俺は、大事な人間を残して死んだりはしない!」
とり返しのつかない事をしてしまった、と恭子が思ったときには、もう手遅れだった。彼の心は完全に彼女のもとを去っていった。
仲原は、早い足取りで、医局の自分の机に向かった。
医局に入ると、外来日ではない医師が数人、新聞を読んだり、資料に目を通したりしていたが、仲原に気が付くと、一斉に視線が仲原に集中した。
「仲原! 院長がじきじきに来てたぞ。早く行ったほうがいいぞ」
こう、忠言してくれる者もいれば、「仕事覚えるうちから、女なんてな」とからかう者もいた。仲原はまるで何も聞かなかったように、医局の机に向かった。
積まれた資料の山。
今まで、誰よりも勉強をした。
人の役に立つと信じて、がんばった。
仲原は目を閉じた。
「お兄ちゃん、あのね、小園先生ったらね」
「なんだよ、また病院の話か。テスト中だから、あっち行っててくれないか」
その頃は、まだ、妹の病気が重いものだとは思っていなかった、10数年前。はじめは、貧血としか両親から聞いていなかったのだから無理もない。
「ねー、お兄ちゃん」
甘えてくる妹を少しうっとおしく思いながら高校生だった仲原は教科書を閉じた。
「何だ。少しだけなら聞いてやる」
「あのね、クリスマスにプレゼントくれるって! いいでしょー」
「もうすぐクリスマスだもんな。でも、何でだ? クリスマスに病院にでも行くのか? また、お前だまされてるんだよ」
「小園先生は、そんな人じゃないもんっ」
「で、何が欲しいんだ?」
「お兄ちゃんも買ってくれるの? うーんとね……そうだ、インラインスケートって流行ってるの。ほら、近所の圭ちゃんだって、なっちゃんだって、道すべってるでしょ。ピンクのがいいなぁ」
「わかった、わかった。買ってやるから」
「やったー!」
その時の妹。いつになく甘えてくる妹。もっと、いろんな事を伝えたかったに違いない。何も気がつかずに、適当に話をあしらっていた自分が悔やまれてならない。
長かった髪の毛を急に切った妹。部屋の中だというのに帽子をかぶっていた。もっと早く気付いてやるべきだった。
妹の入院を知ったのは、次の日。抗ガン剤の治療で白血球が下がったため、と母親から説明された。
「何だよそれ」
「亜美は、白血病なの」
「貧血じゃなかったのかよ」
「……治るわよ、きっと。あんな可愛い子を連れてったりしないでしょ、神様も」
「何だよ、それ……クリスマスには帰って来れるのか?」
「多分、無理ね。1ヶ月はかかるでしょ」
母親のため息が聞こえた。やめてくれ、何だ、何なんだ。これが現実なのか?今まで、妹なんか、わがままで、面倒くさくて。でも、何なんだ、この気持ちは。がらんどうの。
スケートを買ってやるといった時の妹の笑顔。
幼い彼女は、治ると信じていたに違いない。退院すれば元の体に戻ると信じていたんだろう。死は容赦なく、無差別に、訪れるものだ。
仲原は目を閉じた。
この先、どんな処分があろうとも、自分は負けはしない
いずれ死んでしまう人間達
その人たちが死んでいく時、自分は医者として、やるべき事がある
やらなくてはいけない事がある
みんな忘れているが、死はいずれくる
死んでいく人たちへ
怖がらなくていい
傍にいる
君が君らしいままで、天国へいけるように
願っている




