第1話 死に病棟
酒主のブログ「小説を書きたい」を作りました。
執筆にあたってのこぼれ話や余談、日々の苦悩?などを書いていきたいと思います。
小説を書いている、他の先生方とも、交流できれば幸いです。
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安田総合病院 内科4病棟。
朝は深夜のナースからの引継ぎで始まる。
「401号室の白井さんですが、一昨日から意識レベルが落ちて、呼びかけにも反応なし。3時頃から脈40代、血圧は測れません。先生に連絡はとってありますが、まだ到着してません。家族の方は、みな揃っています」
慣れた様子で申し送るのは福永真。10年目のベテランだ。ここで、日勤帯ナースの「はァ〜〜っ」というため息。
「2日前から急に悪なったもんなァ、白井さん。挿管すんの?」
「うん、NO-CPRなんで何もしないって。家族の人にも2日前に説明済みやし。あ〜〜深夜でだめかと思ったけど、もって良かった〜」
「高津先生はまだ来ないんですか?」
「来るわけないやん。NO-CPRでしょ。高津のことやでぎりぎりにしか来ないよきっと」
「言える……」
「あ〜、忙しくなりそうやなァ〜」
ざわつくミサたち日勤帯ナースを一蹴するように福永がさえぎった。
「はいはい。死に病棟なんだから、仕方ないでしょっ!」
福永は、記録を書き終え、カルテを棚にしまうと、ポンッとミサの肩を豪快にたたき、不敵な笑みを浮かべた。
「日勤さん、後よろしくね。お疲れ〜」
「え〜〜〜〜。福永さん帰っちゃうの〜?」
「当たり前やん。勤務終わったんやから。おればおるだけこき使われるやろ。ミサは、白井さんの受け持ちなんやからがんばってーな」
(白井さんの娘さん……。大丈夫かな。いつもそばにいて、お世話してたから)
3台並ぶモニターはアラームの音が頻繁に鳴り響き、忙しく働いている。白井さんの、モニター上の脈はだんだん間隔がのび、経験の少ないミサであっても、危険な状態であることは察知できた。
波形を記録し、自分のバインダーにはさむ。
「おはようございます」
足取りも重く、401号室のドアを開ける。ナースステーションの横に位置するこの部屋は、重症患者の部屋になっている。 親類一同が囲むなか、7,8人の間をかきわけ、白井さんを覗き込み、覗き込むミサをまた、覗き込むように人垣ができる。
軽くプレッシャーを感じながら、検温を続けた。意識はなく、ぐったりと横たわっているその姿は、トレードマークのニット帽をかぶっていないので、別人のようにみえる。何度も行われた、抗ガン剤投与で禿げ上がってしまった頭。その中に残った白く長い数本の髪が異様な感じを与えた。
白井 長子 68歳。血液疾患で入退院を繰り返していた。
陽気なおばあちゃんで、入院するたびに「また、死に病棟か〜、死にに来たわ」なんて冗談を言っていた。
「ミサちゃん」
声をかけたのは、白井さんの長女、和子である。介護休暇をとって、日中はずっと付き添っていた。献身的に寄り添う姿はとても印象的で、おばあちゃんが寝ているときは、そばでニット帽を編んだりして過ごしていた。
2日前から白井さんの意識が無くなり、ほとんど泊まりこみで番をしていた和子だったが、親類への連絡や対応に追われ、かなり疲れている様子がうかがえた。
親類が囲むなか、隅の方で座っていた彼女がミサに寄りボソッと発した。
「お母ちゃん、もうだめかな……」
「今回は厳しいかと」
いつもの口調とは違い、言葉を選んでそう答えた。よそいきの言葉がやけに白々しい気もした。
突然、白井さんの息子らしき人が口を開いた。
「和子! 身内がそんな弱気でどうすんのや。まだ、望みがないわけじゃないやろ。あかんあかん。そんな弱気じゃあかん」
妹と目を合わすこともせず、背中ごしに会話を続けた。
「わしらが諦めたらどうすんのや。母ちゃん、しっかりせいよ!」
そしてミサに対しては
「苦しそうやから、何とかできへんのか。先生はまだ来ないのか!」と苛立ちをぶつけた。
しきりに白井さんの手を握ったり、頭をなでたりしている息子であったが、何をされても、だらっと力の抜けた白井さんの体は、もう、魂が抜けてしまったんではないかとミサは思った。
「兄ちゃん。母ちゃんは助からへんわ。ね、看護婦さん、もうね……」
ため息まじりの小さな声。すがるような顔で、ミサに視線を放った。
毎日付き添っていた彼女には、長い間かけて母の死に対しての受容ができていたが、兄の方は違った。
(無理もないか。前回お見舞いに来たのは3ヶ月も前なんだから)
「だめなんか? 看護婦さん。もう、何も治療してくれへんのか?」
ミサは、すっかり部屋を出るタイミングを失ってしまっていた。
ガタンッ。入ってきたのは主治医の高津。病棟主任を務めるやり手の医者だ。何から何まで整った身なり。別段急ぐ様子もなくスマートに部屋に入る。そして、つかつかっと長女の和子をみつけて近寄る。
「朝早くから来てもらってすみません。先日にもお話したんですが、状況はかなり厳しいです」
あらかた、今までの経過を話すと
「結論から言って、挿管して、人口呼吸器につなぐということはしないつもりです」と綴った。 整然としたその言葉は、まるで何かの台詞のように聞こえた。
今まで遠慮がちに座っていた親類もざわざわとざわめきたつ。
「何とかならんのかなぁ。かわいそうになぁ」
「この前、お見舞いに来た時は、元気に話してたしね。まさか、こんなに悪いとは思わなかったんだけど」
ヒソヒソ話す声を振り払うように、高津は部屋を出ようとしていた。
「挿管しないってどういうことですか? 何もせずに見捨てるっちゅうことですか。わしら、何も聞いてへんで」
その声は太く震え、ざわざわしていた親類も静まりかえった。しかし、高津は驚く様子も見せず、ふと振り返り、話を続けた。
「娘さんに、全部お話して了解を得てます」
「和子。何でそんな大事なこと、わしらに相談せんのや。母ちゃんこのまま死んでもええんか!」
「ご家族で話し合っていないんですか?」間髪いれず、高津が口をはさむ。
「今、挿管して人口呼吸器につないだとしても、苦しむ時間が長くなるだけです。抗ガン剤の投与も行ってきましたが、限界だと」
「ちょっと考えさせてくれ……」
高津の話をさえぎるように、息子の言葉が響いた。
部屋はしんと静まり、機械音だけがやたら耳についた。
「どうして、こんなことになったんや。こんなに悪いんだったら、早よ来るべきやった!」
今まで献身的に付き添っていた娘は、遠慮がちに親戚の輪から離れ、うつむいて座っている。挿管しないことを同意した彼女はまるで罪人のような表情を浮かべている。
今まで、黙っていた親類の1人が口を開いた
「高広は、母ちゃんっ子やったからな。つらいのもわかるが。長子もこんなに痩せてしまって。これ以上苦しむのはかわいそうや! 和子もよう面倒みた。もうええやないか、な」
「でも、何で教えてくれんかったんや。こんなに悪いんやったら、意識のあるうちに会いたかった」
すまなさそうにうつむいている和子を見て、ミサは言わずにいられなかった。
「意識がなくなる前までは、普通に話してたんです。病状は前々から悪かったんですけど、こんなに早く意識が無くなるなんて、私達も予想もしませんでした」
「でも……」諦めきれない様子で息子はミサの顔をみた。
緊張して紅潮した頬、泣き出しそうな顔でミサは言った。
「1ヶ月前くらいの夜中に、突然、白井さんが息が苦しいって訴えたことがあるんです。家族に連絡をとりますので頑張って! と言った私に白井さんは言われました」
ミサはその時の光景を思い浮かべた。痩せて小さい体にニット帽。荒い息。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。息子は心配性だから。私に何かあるって言ったら、仕事でも何でも放って飛んでくるから性格だから。まだ、私は大丈夫! って息切れしながら言うんです」
「もう、いいです」
「もう、いいです」
下を向いた息子はうなだれ、言葉に詰まりながら「もう、いいです」と繰り返した。
ボトボトと大粒の涙がつたって、大きな肩が震えた。
結局、白井さんが亡くなったのはそれから3時間後。長い間、闘病を続けた彼女。
皆に囲まれ息を引き取った。
「いつも、ありがとな」と、しわしわの手で握手するのが白井さんの癖だった。
お見送りの時
「どうも、長いことお世話になり……」
娘の和子さんが深々とお辞儀した。乾いた冷たい廊下に涙がポタポタ落ちた。
白い布をすっぽりかぶった白井さんを乗せた車は、ゆっくりと動きだした。ミサと主治医の高津と師長は、車が走り去るまで頭を下げ見送った。
「もう行かれましたよ」
頭を下げ、礼を続けるミサに、師長が声をかけた。
顔をあげたミサの目は真っ赤になっていた。
(白井さんも逝ってしまったんだ)
後日、白井さんの娘の和子は、両手にドーナツをかかえて4病棟を訪れた。
「ちょっとミサちゃんに見せたいものがあって」
ミサは、勤務の途中であったが、師長の許しもあり、面会ルームへ案内した。座ったか座らないかのタイミングで、和子がいきなり話しを始めた。
「私ね、お母ちゃんの付き添いをしてる時、いっそのこと死んでくれたら……。って考えたことがあったんです。母は昔っから、兄ばっかり可愛がってましたから。こんなに辛い思いをして付き添っているのに、ぐちばっかり言われて」
「え〜〜、あの、白井さんがですか?」
「ええ」
そして、話を続けた。
「だから、なんで介護休暇までとって世話をしたのか自分でもわからないんです。 きっと、母に認めてもらいたい。愛されたい。そんな風に心の奥でずっと思ってたんでしょうかね。
でも現実は、介護を続けても、母の態度がかわることはなかったんです。たまにかかってくる兄の電話は、あんなに嬉しそうにとるのにって、悔しくて。母に当たられるたびに、いっそのこと、早く死んでくれって」
「とても、そんな風にはみえませんでした」
「母も私も外面がいいんですかね。ふふ」
そして、かばんの中から紙きれをとりだし、ミサの前に差し出した。
「読んでみて」
和子へ
いつもありがとう。
かんごふさん達には素直に言える言葉。
和子にはとうとう言えなかった。
私は根っからの強情っぱりやね。
和子の作った帽子、かんごふさんに人気やった。
むこうでも大事にするよ。
こんな、はげ頭じゃ格好悪いから
かんおけに入るときにはこの帽子かぶせてちょうだい。
ほんとうにありがとう。
「荷物を整理してたときに、床頭台の引き出しからでてきたんです」
ぶるぶると震えた字。筆圧がなく、読み取れるか読み取れないかくらいの
その文字は、白井さんの体調が良くないのを物語っていた。
「いつだったかな、ミサちゃんに帽子のことを褒められて、照れていた母の姿を思い出しました。それにしても、いつ、書いたんでしょうね、母は……」
お互いに言葉に詰まり、そのまま深々とお辞儀をして別れた。
(いったい、私は何を看てきたんだろう)
陽気で温厚なおばあちゃんを演じてきた白井さん。彼女の辛く、苦しい胸の内を感じることすらできなかった。きっと、娘の和子さんにしか本音を言うことが出来なかったのだろう。
「何にもしてあげられなかったな」ふと、言葉になった。
「渡辺さーん。405号室が呼んでますー!」
(死に病棟か…)
ミサは401号室の前で、一度立ち止まり会釈をし、そのまま405号室へ走って行った。
CPRとはCardio-Pulmonary Resuscitationの略語で心肺蘇生法のことです。
NO-CPRは、CPRをしないということ。




