第五話 目覚める風 パート1
あっという間に、姉さんはトンカツを料理してしまった。
「さ、まずは食べましょう。武尊のリクエストよ」
ご飯を食べなくても生きていける体になった、と説明した本人がご飯を作って俺に薦めて来た。
正直、無駄以外の何者でもない行為と理解しているのだが、俺は姉さんの勧めに従い、夕飯を食べる事にした。
腹は減らぬが食っておこう。
おっと、もう夕方の6時だ。
さーて、今日のニュースは、っと。
俺は何気なく食卓に置かれたリモコンを取ると、テレビを付けた。
『――本日、午後5時より、東京都都知事は、本条 武尊、17歳を『危険魔法使用罪』の罪により、全国に指名手配をしました』
あまりにも突っ込み所満載の文面を、女性アナウンサーは朗々とした口調で話し始めた。
カタン
思わず、持っていたリモコンが床に落ちる。
え?
ええ?
えええ?
ど、どういう事?
よーし、冗談でも言って、場を和ませるか。
「あれれ、おかしいぞ~?」
「白目を剥いても状況は好転しないわよ、武尊」
姉さんが落ち着いた声で俺にそう言った。
姉さん、状況を解ってる?
『危険魔法使用罪』って、最悪死刑になるような重罪だよ?
何故それを東京都都知事が指名手配にするのか理解不能だけど。
「慌てる必要なんてないじゃない。あなた、既に『アルカナ・ホルダー』として覚醒しているんだから、世界中の軍隊を敵に回しても勝つわよ?」
「は?」
「状況はこっちに有利よ。敵の位置が解らないから手を出しかねていたけど、これなら一気に主導権が握れるわね」
「それって、俺が戦うって事だよね」
「何を言っているの、武尊。一緒に闘ってあげるわ。お姉さんに任せなさい」
姉さんはそう言って、ドンと胸を叩いた。
その時だった。
ピンポーン
再び、チャイムが鳴った。
うわぁ、嫌な予感。
と、俺がげんなりしている間に、姉さんは自然体で応対した。
「はい、本条です。――え? はい、今、鍵を開けますね。――どうぞ?」
「って、姉さん! 何やってんの!?」
「何って、警察の方よ? 武尊を逮捕しに来たらしいわ」
あまりのぶっ飛び具合に気が遠くなりそうな事態だ。
何故、家の中に案内する!?
「失礼します」
と、リビングに上がって来た二人の刑事風の風貌の二人組が現れた。
片方は中肉中背の老け顔。もう片方はできる雰囲気を持った青年である。
「本条 武尊君だね。君を逮捕する」
「逮捕状は?」
できる雰囲気を持った男が、俺にそう言ったので、俺はそう返した。
徒手空拳なのが不思議だからだ。
「ありません」
「おい、ふざけんな!」
あまりの無法ぶりに、俺は声を上げた。
「はいはーい、質問! うちの弟はどこへ連行されるんですかー?」
怒る俺をよそに、姉さんが能天気な声で声を上げた。
そうだ、姉さんにとってはこの状況、まさしく冗談で済ましてしまう筈だ。
「東京都庁です」
「成程ね。けど、なんで国会議事堂を占拠しなかったのかしら?」
「彼女のこだわりだと思います」
「彼女、って事は女の子ね。名前は解る?」
「いいえ。我々の前では名乗っていません」
姐さんは、その刑事の言葉で合点がいったようだ。
数秒考えた後、
「解ったわ。――武尊、悪いけど『忘却』使ってくれない? この刑事さん二人に」
姉さんは俺に向けてそう言った。
『忘却』。
『愚者』のタロットカードの力により、地球上の知的生命体において唯一、俺だけが発動できる禁忌魔法。
対象の記憶を消去する魔法、というのは理解している。
問題は、
「『忘却』で『洗脳』が解けるのか?」
という事だ。
「思い出す事ができなくするんじゃなくて、記憶そのものを消去させるんだから、大丈夫よ。私が考えた通りの『洗脳』魔法なら、あなたの『忘却』魔法が唯一の対抗手段よ」
「唯一? ま、いいっか」
俺は深く考えず、姉さんの助言に従う事にした。
何の気なしに立ち上がり、自然体で刑事さん二人に人差し指を向けた。
世界共通の無礼極まりないジェスチャーだが、これは魔法や呪いを掛ける行為そのものだからだ。
あまり慣れていない呪文は、こうやって唱えるに限る。
「はい、『忘却』」
俺の指先から、不可視の波動が奔る。
それは狙い違わず、刑事さん二人の額を貫いた。
刑事さんは軽く立ち眩みに見舞われたかのように、何度か瞬きした後、部屋の中を見回した。
「あの、――ここは何処です?」
「寝惚けているのか、このウスラ刑事!」
あまりにもコントめいた反応だった為、俺は思わず老け顔の刑事の頭に拳を振り下ろした。
あっ、ヤベっ、2tパンチで殴っちゃったっ!?
が、帰って来た反応はパコンっ、というこれまたコントめいた手応えだった。
ピコピコハンマーで殴ったような感覚である。
「こら、人を本気で殴るんじゃないよ、君」
老け顔の刑事は軽く目を白黒させながら俺を叱った。
えっ? 2tパンチですよ、刑事さん?
「あら、『軽減』と『硬化』の合わせ技ね。凄いわね、刑事さん。もしかして2級魔法使い?」
姉さんが少しだけ感心したかのようにそう言った。
仮にも法の番人。悪党と最前線で戦う刑事さんも、これくらいの防御魔法を常時展開するなんてお手の物なのだろう。
「あー、それより状況を説明して欲しいのですが? 自分は何故ここに?」
要領を得ないでいる、できる雰囲気を持った方の刑事が問いかける。
うわ、本当に『忘却』されている。
ちょっと遊んでみるか。
「えい」
っと、できる雰囲気の刑事の鼻の穴に、人差し指と中指を突っ込む。
鼻フックだ。
「ふがっ!?」
「『忘却』」
「あれ? 私は何を?」
「鼻フック!」
「ふがっ!?」
「『忘却』」
「あれ? 私は何を?」
「鼻フッ――」
「いい加減にしなさい!」
姉さんがスパンと俺の後頭部に拳骨を振り下ろした。
「アイタッ! 何するんだよ、姉さん」
「弱い者イジメはやめなさい。『忘却』の使い方は解ったでしょ?」
「魔力をあんまり使わないのなら、最低24時間の記憶を消滅させるみたいだな」
「そう。だから精神系魔法や脳波をコントロールする魔法に関しては無効化できるわ」
「つまり、『忘却』が『洗脳』魔法を無効化できる切り札、って訳だ」
「そういう事。――あ、刑事さん。まずはお茶をご馳走しますので、座って下さい。状況はテレビのニュースを見ながら説明しますね?」
姉さんは朗らかに笑いながら、そう言った。
その余裕、俺に分けてくれ。