中将閣下来襲はマカロン、春の味で(中)
とりあえず客なんだ、閣下には寛いでもらいたい。ってあのさぁ、寛げるわけないだろ?! どう見てもこの部屋、死屍累々だぞ?! 足の踏み場もないほどに散らかった、何かの半液体を撒き散らした人形たち。
残骸を黙々として運び出す、壊されたのと同じ顔の人形。
無表情でぎちぎちに私との距離を詰めて座るクルト。
すっげぇ『興味津々』な閣下。
なんてカオスだ。
目ぇキラキラしてもらってても、ごめんなさい、私の手には負えません。面白おかしい展開とか、この先も待ってませんから。
「いやぁイレーネ「ぱぁん!」さんが」
「閣下、大変申し訳ないのですが、クルトへの揶揄が目的でしたらそろそろ私の名前を呼ぶのをお止め下さい」
「っえーーーー。なぁんでよぉ。面白いじゃん。コイツ、俺がアンタの名前呼ぶたびにピクってすんだぜ? まだ上層部のうちのほんの一握りしか声も聞いたことのない俺の唯一の直属部下が、だよ?! やべぇソコは突かざるを得ないと。俺の内なる声が」
私のお願いを聞いたクルトは現在、長い方のソファの右側に座ってる。私が密着してその左。
で、私たちの向かい側、執務机を背にして座ってるのが中将閣下だ。
ところで、クルトは対人関係に難がある。
これを難だって言い切る私に多大なる努力を認めろ。ああ。
「ドヤ顔で部下に精神的苦痛を与えていると宣言したところで閣下。こちらに来られた本日の目的をお教え願えればと存じます」
「は? アンタ、ただのメイドだろ。俺が教える義務も、アンタが知っていい権限もないでしょ?」
「はい。なので私はただの通訳です。クルトが……この状態ですので」
むうっと口を引き結んだクルトは銃を撃つ以外の時にはぷいっと閣下から顔を背け、私の背中に顔をうずめている。ぶっちゃけよう。
抱きつかれている。全力で。
これは、私の知ってる限り、幼児における全世界共通のボディランゲージ『誰とも会話も断固拒否』の構えだ。
「閣下で持っておられるはずの守秘義務については問題ないでしょう。私の一挙手一投足はクルトが見張っています。私が漏洩元になることは非常に難しい」
「だが、出来ないわけではない」
「正当な評価をありがとうございます。そのとおりです。しかし私には情報を漏洩したとしてのメリットが少なすぎ……あ? なんだよクルト、苦しいだろ……いや、だから、閣下に早くお引き取り願うための会話だろ。お前が拗ねてどうする」
「……」
「はぁ?! そりゃ、そりゃぁそうだろ?! 私だってお前がきちんと会話してくれれば今みたいな受け答えするよ! い、いやいや私の声が聴きたいってお前、じゃあ」
「とっとと俺と喋れよ緘黙野郎「ぱぁん!」」
ついに閣下の方すら見ずとも銃を撃つようになったクルトに頭が痛い。もう一点。
閣下にはクラッシュゼリーがかかってないって、どういう意味なんだよ馬鹿主人。なぁ。なぁ。
「……」
「うん……知ってた。……お前が私を濡らす目的でアレを壊すことは、って、ぅわっ?! なんだお前、なんでガチで閣下を狙う?! は? やらしい?! なにが!?」
「緘黙のムッツリ手遅れエロ小僧に俺からの忠告だ。速やかに俺と会話して、お前ら屋敷に引きこもってろ。はぁ、すっげぇ馬鹿を見た……。俺の人生上、五指に入る」
「……」
クルトが、ぎりっと音を立てて歯を喰い締めた。おーおー意味が分からんが追い詰められたようだな。閣下の方に軍配が上がったって感じか?
「……」
「そこで私に振るのかよ! っくそっっ、閣下、帰ってください、だそうです」
「……シンプルだな」
「はい。クルトは常に単純明快です。好悪も、素行も」
「頭の中身も?」
「それは……私ごときの判断するところではないと存じ上げます」
今だって鯖折りなんて掛けてるしな、私に。幼児がぬいぐるみ大事にしてるんだなぁって思ってた時期は、さすがに過ぎてるけど。
いやいやクルトでもこの状況から私になんやかんやを仕掛けては来ないだろ。
「ふむ。アンタは国家唯一の機械師を揺さぶる意味を知ってるのか?」
「いいえ。私が仕えているのは使えなくて困る主人です。対人関係に難があり、外出できない。思い込みもひどいようです。むしろ妄想の域。……閣下」
「ふぅん?」
「私は駒です。軍部の歯車でありたい。私が判断するのではなく、私はただ動けばいいだけのモノでありたいのです。何の因果か主人に捕まりましたが、私の忠誠は国と軍部にあります」
「天使」
ぎょっとして閣下と私は発言主であるクルトの顔を覗き込んだ。人前で声を出したのは彼にとって多大なる努力を必要とする。案の定、クルトは額にびっしりと汗をかいていた。目線が定まらない。鯖折りは、掛けてくる力を増している。ちょっとシャレにならないレベルで縋り付かれていた。
「死ね、イレーネ。それで、俺のモノになれ。家族になってくれ」
「……クルト」
「中将。これは天使。だから下界のことには関心がない。これを殺せば天人から人間になるはず。煩わしい雑事を、聞きたくない」
「へぇ、お前、そういう声してたんだなぁ」
のんびりと押し出された感想とは裏腹に閣下の目は眇められている。ぞくりと背筋を冷や汗が伝った。怖い。圧倒的に向こうの方が強いから。
格上の人間に駒が顔を上げていられるわけもない。
ふっと俯いてしまった私の顎を上げ、クルトが喉元にキスを落としてくる。ブラウスのリボンをほどき、上から二番目のボタンを外したところで気が付いたらしい。
私の素肌を見せることになるって。
水に溺れている人のように、空気が足りないともがく人のように、クルトは私の指を食む。口づけをしないのは私の顔を閣下に見せたくないから、かもしれなかった。
あぁ、鳩尾で白魚が躍る。
「恋着は危険だ。様子見よりも性質が悪い。即座にメイドの排除を命じる」
「……」
「…………構わないと、主人は申しております。私が主人の傍に控える限り、名目は、なんでも、いいから、と」
「言い方を変える。イレーネ。そう、名前なんかはどうでもいい。アンタの存在を機械師の傍から排除しろ。記憶も残すな」
ゆら、とクルトの顔がゆっくり上げられた。感情の一切を削ぎ落とした顔。子供っぽさもウザいっていう苛立たしさも消えてしまえば、クルトはひどく人形めいた生き物になる。
最初に出会った宵闇の中でのように。
ちらりと閣下に視線を当てたあと、クルトは私の方に顔を戻した。止める間もなく唇がおりてくる。
こんな時でも、クルトのキスは甘い。