中将閣下来襲はマカロン、春の味で(前)
来客が来ると聞かされ、迷うメイドも珍しい。
「いつですか、ご主人さま」
ぱぁん!
「クルトさま「ぱぁん!」。……様式美もよろしいのですが、制服をこう続けざまに洗濯に回させられると、替えがそろそろ無くなって困り「ぱぱぱぱぁん!」。……おいおい、意図的な何かを感じる破壊頻度だな?」
「クラッシュゼリーもいいが汁粉もいい。一応、頭内部の詰め物は白と半透明は避けてる。俺の精神の平穏のために」
「ヤメロ青少年の下半身事情に私を巻き込むな。じゃなくてクルト、そろそろこのやり取りも飽きてきた。解決策を述べろ」
しまった、聞きだすのならドロドロにされる制服の運命じゃなく来客の予定だった。ついうっかりな。
あずき色の何かがべっとりくっついてる現状を忌々しく思ってるとな。
「死ね」
「簡潔にして的を得ていますねクルト。あなたが死ぬべきでした」
「この間、あれだけ俺の体温を分けたのに。どうして堕天しない、イレーネ」
「やらしい言い方をするな! 舌が入るだけのキスと服越しのぎゅー抱っこでどこの天上の生き物が堕天するんだよ!? っつか、いいか、私は」
「だけ? なら、もう少し進んでもいいのか」
「よーっしクルト。来客の予定を述べろ」
べとべとの頭を振っていると人形が濡れタオルを差し出してくれた。ありがたい、と素直に受け取ろうとしたところで様式美。……ふむ。先日の真昼の逃亡以来、クルトの独占欲が天元突破してるんだがこれは。
どう対処すべきかな。
「午後から、中将が来る」
「急だな?!」
「メールは1か月前に」
「その時に言えよクソ野郎!」
メイドとしてこの屋敷に来てから1か月になる。その前はコイツの小姓っていうか傍付きだった。良く考えたら私がコイツに対して丁寧語で喋ってることのほうが歴史が浅いんだよな。
クルトとの出会いは暗殺過程の最終試験。コレに当たった私が逆宝くじって言われるほどのアンラッキーだったんだけど、何の因果かインクの詰まった銃弾を撃ち込むより先にクルトに気に入れられて。いやいやアレは無理だから。スコープ越しの視線ですら気が付くとか、コイツの能力の方が人外じみてるから。
最初は男だって思われて、かーらーのー傍付きだったのに。
女だってばれたあとはたったの2日。上層部から逆ねじ通されて国唯一の機械師付きメイドと相成った私の未来はどこを向いてる。
かなりの転落スピードだ。
っていうか、座学も優秀、実践訓練もいい成績で順当に薔薇色の未来へチップを積んでた私が、屋敷が広いとはいえただのメイドってさぁ……、あれ、しみじみ考えたらガチで、なんで、私の現状は『こう』なってる?
エリート候補生だったんじゃないか? 勿体なくねぇ? コイツに捕まってるの。
考え事をしててもメイドっていうのは働くものだ。私は人形たちに指示を出して取り急ぎの掃除を始めさせる。庭からは花を切ってもらった。茶請けは……中将か、噂じゃ甘いものが好きだったよな。
よし、マカロンに合わせて春色のテーブルクロスを、なんてリネン類を選んだ辺りで腰を取られた。当然だけど、どろっどろにされたメイド服は一番先に着替えを済ませてある。
甘ったるい匂いを振りまいてたら良くない虫が来るからな。
「…………ムカつく」
「ああ、来客がか。私は嫌じゃないぞ。この屋敷で、お前以外の誰かの顔が見られるなんて珍しいじゃないか」
おっと、痛い痛い痛い。鯖折りはアカンやつですよクルト。お前と私の体格差をもっと考慮しろ、ボケ。
「……スカート丈はもっと長い奴にしろ。あの、足首まですっぽり隠れるの。ブラウスは白じゃなくて野暮ったい深緑、タックの一本も寄せてない奴な。で、黒の厚織生地の膝丈エプロン」
「私の衣装をどれだけ把握してるんだストーカー」
「下着まで指定した方がいいか?」
「ガチで逃げたい」
逃がさないとばかりに鯖折りの力が強くなった。泣いていいだろうか。私の青春はどこに行った? いやいやそれよりも来客準備が終わってない。
あぁぁぁ、なんて面倒な。
私は下からすくいあげるようにして胸部を押さえてくる手を叩き落とす。うーん、真面目にこれは、アレだな。なにがまずいって私の方に貞操観念が、いや危機感が薄いことが原因だろうな。
れっきとした成人男性が自分の体を無遠慮に触ってくることに対して嫌がった方が自然なのに、私にはその手の感覚がペラい。
『こんなもんで良かったら』ってぇのが透けてるから、コイツも付け込んでくるんだろう。
そこまでは、うん、理解できる。
長袖のブラウスは暗器を仕込むことには向いてる。袖口から出した短いナイフでちくりと引っ掻くと、私の耳にそっと舌を這わせようとしてたクルトも引いてくれた。物理で抵抗すれば引くような距離の詰め方には物申したいんだけどなぁ。
私の言うことなすことを自分に都合よく取る、監禁性の高いリアルヤンデレに何をどう告げたら通じるものか。
「閣下がお見えになるのは午前と午後、どちらでしょうか」
「……今」
「は?」
「着いた。着替えてこいイレーネ。俺がさっき言った服装に」
玄関はおろか馬車溜まりからも音は聞こえてこない。けれど、私よりも数段上だろう気配察知能力者に二度の疑問は浮かばなかった。罵る言葉も後だ。このままだと、出迎えはおろか茶を出すことからメイド不在で行われてしまう。
「クルト。緑のシャツにロングタイプは一着しかない。重々に理解しろ」
「お前こそ、イレーネ。俺の目の前で他の存在に笑いかけたら、その場で殺す」
「へぇ?」
「中将を」
「そっちかよ!」
突っ込みながら階段を駆け上がった。クルトの言っていた制服はあいつの示した場所にあった。おおおぉ、この違和感。ガチで寒い。この屋敷にプライバシーはないのか。ない。
反語的表現。
大慌てで水を浴びて着替える。あずき臭い。っつか汁粉が食べたい。
ばたばたと階下に降り、厨房へ走る。自分でいうのもなんだが手際はいいほうだ。人形たちも私の意を汲んで動いてくれるようになってきてるし、そらみろ、お茶の用意が万端じゃないか、パーフェクト。
ワゴンを押し、厨房から客間へ移動する。……あれ、客間じゃないな。応接室? でもない。執務室か。いつもの場所に呼ぶのか。
テリトリーに入れるなんて、ふぅん、クルトのヤツは中将のことを信用してるんだな。
「お茶をお持ちしました」
「おぉ?! マジだ! ほんっとーーに女だ! 生身?!」
「……」
「失礼します」
無表情のクルトの指示に従い、中将であるだろう彼が座っているソファテーブルに茶請けと茶を並べる。その間も中将らしき中年男性はマーベラスだのなんだの叫んでいた。うるさい。
「失礼いたします」
「おっと、いや、待ってくれ、イレーネさ「ぱぁん!」…………おい?」
「……」
「……」
あ? 私かよ。何で私が説明するんだよクルト。中将はお前の客で、人形を壊したのもお前だろ? ……っあああ、わかった。わかりましたよ。
「中将閣下、ご主人さま「ぱぁん!」……クルトさま「ぱぁん!」、おいクルト、馬鹿野郎、いくら私のシャツには掛かってないっていえどもだな、靴が汚れるだろうが! は? や、いやいや客人の前でぐらいカッコつけても、あぁ? なんでダメなんだよ!」
「……」
「っああっっ?! くそっ、お前が客人の前でも銃で人形を撃つとか非常識な真似してるから私の猫が剥がれたんだろ?! お前に全責任が、や、いやいやいやいや男と話してるって、それは」
「おぉ。無言無表情との会話って成立するんだな。これは驚いた」
「……」
「止めろクルト。お前が私を引きとめたんだ。その上で私が誰かと会話するのが嫌だとか筋が通らない。あぁぁぁ?! え、やだ「ぱぱぱぁん!」…………よし。ソファにお前が座れ。で、私がその横だ。膝は却下。どれだけ閣下と距離が近くても、人前で膝はイヤ」
「何がすげぇって、人間、一方通行でもある程度の意志疎通が図れるってコトな。傍から見てても何言ってるのかわかるって、すげぇ能力だなイレーネ「ぱぁん!」……さん」
閣下。室内に立ってる人形が一体しかない状態でその感想しかない上司なら、私はアンタを一周回って尊敬しそうですよ。まったくのところ。