ザクロの味は逃亡の味
たとえ無機物が相手だとしてもだ。
ああ、ありがとう。助かるよ。なんて礼を取った瞬間に向こうの頭部が弾けた体験がある人、手を上げて―。
はーい。
「…………ご主人さま」
ぱぁん!
「クルト」
ぱぁん!
「おい、なんで今のタイミングで人形を壊した?!」
「お前が、イレーネ、呼んでるのにまだ俺の膝に来ないから」
「こんなドロドロで誰の膝にも座れるわけないだろ! 着替えさせろよ!」
ぱぁん!
「ここに」
「…………いいかクルト。百歩譲ってソレがお前の言うメイド衣装だとする。それはまだいい。だけどな、お前、どこからどうやって、その、なんだ、そんなに短い丈のメイドスカートだなんて破廉恥な発想をだな」
「男のロマンだ」
断言しながら、クルトは無造作に私の傍に立つ個体から破壊していく。びしゃりぐしゃりと赤いゼリーが頭頂部から滴って、じつに不愉快。この野郎、この間の桃ゼリーは色が気に入らなかったんだろうって斜め上の判断を下したらしい。
だからってアホか、ザクロはねぇだろうよ。
私のメイドとしての制服は白いシャツと黒い前掛け。黒いロングスカートは慎ましく、ひざ下15cm。スカートの丈は最初はくるぶしをすっぽり覆ってた。裾を踏まないように高めのヒールまで履いてたんだけどな。常に走れるように、ある程度は身動きできるようにしていった結果がな、この丈だ。
つまり、だから何が言いたいかって、この制服は布の面積が大きいってこと。洗濯と自室の掃除は自分でしたいじゃないか。下着とか肌着がここまで頻繁に無くなる現状を憂いた流れは美しい。
ちくしょう、面倒な。一日に何枚も同じ服を洗うのとかもうイヤだ。色仕掛けるか。
「クルト。お前がそんなふうにココをびしょ濡れにすると、私が困る」
「困らない。俺が抱き上げてればいい」
おっと。はいはーい、必殺奥義『1/15の確率のデレ、1/30の微エロ単語』も不成功でーす。なんですかー、今日のクルトくんは絶賛不機嫌ですけどーーー。
「イレーネ。早く死ね」
「……なぁ、何回言えば伝わるんだろうな、クルト。私は、天使でも女神でもないぞ?」
「こんなにかわいくて、華奢で、すっぽりで、慈悲深いなんて天上の生き物でしかありえない。最初から、俺と話ができたし」
迷子のような顔があまりにもクリティカルヒット。かわいそうになって近づいた私を間髪入れずにクルトは膝の上で抱きしめる。この際の寝言の数々は誤解だ。
どう考えても、お前が単語を発しさえすれば誰かとは会話ができる。
さらに言うなら、分不相応な形容詞の数々は、……っあー、なんだな、脳内回路の欠損部分が大きくなったんだろうな。もう、どうでもいいよ。
「イレーネ。イレーネ、キスがしたい」
「メイドと雇い主はそういうことを致しません」
「どうすればもっと俺の傍にいてくれる? やっぱり殺せばいいのか? 人間になれれば、もっと距離を詰めてもいいんだろ? ああ、けど、俺はお前を傷つけられない。早く死ねよ、メイドなんかじゃお前が足りないんだ、イレーネ。家族になってくれ」
「っあーーーー」
やばい、これは本格的にコイツが弱ってるパターンだわ。年に何度かあるヤツだ。うぅ、仕方ないな。
「クルト。私は、お前の家族にはなれない」
「……天使だからか?」
「ンなもんになった覚えはビタイチねぇな。……あのな。お前が人なら、私も人だ。立場は対等で同等で……だから、こうやって手を回して、お前を慰められるんだろ? 人の体温って癒されるものなんだよ。クルト?」
「冷たい。美味しい」
「あぁ? ……くそっ、てめぇ私の体に付いた」
「ザクロゼリー。舐めた」
くそっ、くそっ、くそったれ。私の同情心を返せ、腐れボケカス。
私はクルトを至近距離からぶん殴りつつ反動で立ち上がる。うぅ、いつの間になすられてたのか衣装がべとべとだ。
赤いザクロを果肉ごと豊富に使ったゼリーが。
甘くて、赤くて、ねっとりと頬を伝い落ちる。
あっはぁ、この感触ときたら、一気に戦闘に出たくなるじゃないか。
「クルト。私は少し出かけてくる。いい子だな?」
「馬鹿だろ。許すわけがない」
「死ね、クルト」
「お前が先だ、イレーネ」
ほんのちょっとだけ、同情心を逆手に取られてたことにムカついたからナイフを投げる。喉元と肩口と心臓。クルトによって綺麗に打ち落とされたそれを人形が拾う。私に渡してくれたところで様式美かってぇくらいの頭部破壊。
どろりと目尻から滴ってきた果肉にひくりと口端が反応する。野郎、ここまでしつこいと私だって反撃するぞ? あぁ?
体を半分回転させて、クルトに脇を見せた。その前に目線だけ合わせ、見せつけるようにしてクラッシュゼリーを舌先で舐めとる。思わせぶりにチロチロってな。
カッとなった。後悔はしてない。反省は30年先にする。
クルトの目線は外れない。ガン見を心地よく感じつつ、頭部だけが無くなった目の前の人形に手をかけ、倒れないようにしてからソレの胸元に口を寄せる。
凶悪な唸り声は、ピンポイントでクルトの地雷を踏み抜いたことを知らせた。
唇で、人形の心臓の位置にあったザクロの果肉を挟む。流し目でさらなる挑発をしたと同時、疑似生命さえ持たないそれは砂になった。塵になって崩れ落ちる光景に目を疑いつつ飛びのく。クルトの捌く大剣は異常に早い。これだけのスピードで振り降ろされたにもかかわらず、床に着く前にその切っ先を跳ねあげる。
「じゃ、また明日」
「許さない、イレーネ。俺以外のモノに唇を付けたこと。外に出ること」
「ご主人さま。メイドのイレーネ、所用により外出いたします」
景気よく壁に並んでいた人形たちをクルトに投げつけつつ廊下へ出た。残数が少ないから足止めにもなりゃしない。部屋を出る前からのトップスピードは最初から維持だ。
恐ろしくて、後ろを振り向く気には到底なれない。
そら、読み通り廊下に遮断壁が降りてくる。これはアレだな、すでに窓には鉄格子が降りてる展開で、玄関扉には電流が流れてると見た。怖い怖い。
そうなんだよ、ここで電源遮断に動くと確実に仕留められる。
高圧電流対策済みのゴム手袋を懐から出し、装着。エプロンのポケットって何でも入ってマジ便利。玄関扉のカギ穴に自作のピックを突き刺す。錠開けなんて悠長なことができるか。
壊す一択。
せぇの、と全体重をかけ、ピックを上下に揺する。電流によるショックには耐性を付けてある。それでも濡れた服を介して伝わってくる刺激に心臓が止まりそうで、ふふ、クルトをからかうのはやっぱり面白い。
常にアドレナリンは爆出だ。
轟音。頭のすぐ横に大穴があく。おおぉアイツ大型銃まで持ち出したか。いやいや私を狙わないのは結構だけどな。これ、火傷と破片での怪我の予測は立ててるんだろうな馬鹿野郎。
「イレーネ」
「はいはいはーい、まったっあっしったー!」
廊下のどん詰まりから私の名前を呼ぶクルトに手を振る。開けたというか半ば壊した玄関扉の向こうは太陽が明るく地面を照らしていて眩しく、吹く風は適温で爽快。
常人なら『深刻な』が付けられるレベルで、クルトは外出ができない。他人が怖いから。それを重々承知している私は、素早く屋敷の外へと体を出した。自由の味だ。空気が甘い。
さて、これからとりあえず溜まってる暗殺依頼を片付けてぇ、久しぶりの友達に渡りを付けてぇ、買い物してぇ。
指折り数えた楽しみに、私は、にんまりと笑う。
何かの見本のように華麗にヤンデレたクルトへの、翌日いっぱいかかった『ご機嫌取り』は、慣れてる私をしても多少の犠牲を伴ったと追記しておく……のがフェアだろうな。
くそったれ。
「クルト」
「名前を呼べ、イレーネ。お前の声で俺を呼ぶんだ」
「っん、ン、クルト。クルト」
何度目だろう。私はクルトの名前を呼ぶ。縋り付いてくる男の体温は溺れかけた人間のように冷たく、酒精に酔っているかのように舌は熱い。私の唾液を啜りだしては飲み、クルトは私に息をつかせない。苦しい。
っつか、ボケ、呼吸は大事だろうがよ。死ぬわ。
「さんそ、だいじ」
「イレーネがいなくなるなんて、ダメだ。お前はそうやって俺を罵るべきだ。ずっと」
「ゃ、ぁふ、クルト」
「とろりとした眼も赤くなった唇も、俺だけが見ていいもののハズだろう。どうして外に出る? どうして傍にいない、イレーネ」
正しくの酸素不足で頭が痛くなりそうなのが怖い。コイツの口癖は確かに『死ね』んだけど、おいおいコレは真面目にやばい。光を失いつつある目、だろう私の視線を、とろりとしたって変換するクルトの変態さに引いていいかな。もちろん。
「くるしい、くると」
「イレーネ」
「ほんきで、やめろ」
はふはふと息をしながらお願いした。クルトは私の掠れ声に硬直する。知ってる。何回か体験したから。
「ぎゅって、して。クルト」
呼吸を確保するために抱擁を強請る。この文章の中でおかしな点を述べろ。いくつもあるぞ?
「ん。うん。イレーネ。……俺から、離れないでくれ」
昨日の昼にこの屋敷を出た私が帰宅したのは今朝。呆れたことにクルトはその間、いっさいの食事も睡眠も休憩も、当たり前のように身だしなみも拒否した。だから無精髭が擦れて痛い。こんな綺麗なツラでも髭は生えるんだな。知らなかった。
ずりずりと頬ずりされている間に深呼吸。手をクルトの背中に回した。名前を呼びながら軽く叩いてやる。歌えと言われたので子守歌というか戯れ歌をクルトの耳に落としてやった。
うたえ、が、陰語の方で白状しろ、の意味だったとしても。そういう意味で「うたう」つもりは無い。
ぎゅうっと強く密着していたクルトの腕からゆっくりと力が抜けていく。睡眠導入剤を飲ませた記憶は遠い。あのときは事後に暴れて大変な目にあった。だから、今回は何の薬物も使用してない。ただ、きっと、ひどく疲れるような1日半を過ごしたんだろうと思う。
出ることの出来ない外へ行こうとしたか、ベランダから庭に出ようとしたか。
クルトが自身で縛りをかけているせいで、暗示は実に強力だ。この男は正しくの外出が不可能な状態にある。それを、多分だけど、破ろうとしたんだろう。
私はそっと、クルトの目の下にある隈を擦る。
頬骨にキスを落とすと、眠ってるはずのコイツの眉間のしわが浅くなった。思いついて繰り返すこと四回。
ばんざい、クルトくんは無事、寝かしつけられましたよ、と。