第八話 黒き証明
あの激戦から一夜が明けた。
疲労困憊だった私は最後の気力を振り絞り、親狼の亡骸と子狼を抱え住居のなかに戻った。親狼の亡骸をそのまま外に放置するのがやりきれなかったからだ。
丁寧に埋葬してやりたい。
親狼の亡骸を部屋の隅に安置し、子狼を胸に抱きながら泥のように眠りについたのだった。
どのぐらい時間がたったのか、抱きしめていた子狼が私の顔をペロペロと舐めてきて目が覚めた。
目覚めた私の腕のなかで子狼はもぞもぞと脱出しようともがいている。
腕の中から開放してやると、子狼はトコトコと覚束ない足取りで歩き部屋の隅の親狼の亡骸に向かう。
亡骸に歩み寄った子狼は一生懸命に舐めたり体を擦りつけたりしていたが、何の反応も示さない親狼の亡骸に戸惑ったようにこちらを向いて一声鳴いた。
「クーン……」
その子狼の鳴き声に、私も亡骸の隣に座り込み子狼を抱き上げ背中を撫でた。
こいつはこの子を守ったんだな……文字通り命を懸けて。
腕のなかで子狼がもぞもぞし出したので下ろしてやると、また親狼に近づき一生懸命に舐め始めた。
しばらくそのままにさせてやろうと思い、立ち上がり住居を出る。
すでに太陽は頂上近くへと昇っていた。
やはり昨日の今日では負傷した肩や太腿が引き攣ったような感覚が拭えない。体の節々も熱を持ったように痛みがある。
「リュージュ、体の状態はどうかな? 動くたびに激痛が走ったりはしなくなったけど」
《おはようございます、ミロク。現在のミロクの回復状況を報告します。咬傷及び裂傷は体内のナノマシンと塗布したナノマシンで埋め、目下体組織の再生を行っています。また骨折部分は、ナノマシンを欠損部に充填し固着させることで仮固定し骨細胞の再生に務めています。重症ではありますが5日程度で全快する見通しです》
「ありがとう、やはり実際に負傷するとナノマシンの力を実感してしまうな。リュージュが居なかったら大変なことになっていたよ」
《さらに子狼の健康状態ですが、網膜及び瞼の再生、ならびに全身の軽度の裂傷と打撲の治療を行っています。回復を促進するために追加でナノマシンを摂取させることを提案します》
「わかった後で飲ませようか。親狼は残念だったが、せめて子狼を救うことができて良かったよ」
だいぶ遅めの時間ではあるが朝食と昼食を兼ねて食事にしよう。
昨日の散乱した焼け跡から使えそうな炭などを集め、焚き火を起こし燻製肉を炙る。
待ち時間を利用して、散乱した死骸を一箇所にまとめようと集めていると、巨大黒狼にまだ息があることに気づいた。
巨大黒狼は弱々しくはあるが未だに息があり、どうやら這い進み逃げようとしたようで地面に進んだ痕跡がしっかりと残っている。
これは反省しないといけない。いくら満身創痍といえどしっかりと息の根を止めること。このまま逃亡されていつか復讐されたらたまったものではない。情けない話ではあるが、これだけ強い相手に奇襲でもされたら無事でいられる自信はまったくない。
いまだに脇腹に刺さったままのナイフを引き抜き、そのまま巨大黒狼の喉へ深々と突き刺して確実に息の音を止めた。これで後顧の憂いは断った。
と、次の瞬間、巨大黒狼の口から大量の血の塊がドロドロ湧き出る。
《ミロク、その液体から離れてください!!》
突然リュージュが警告してきたので、咄嗟に喉に突き刺さったナイフを引き抜き身を躱す。
血の塊はダラダラと口から流れ続けているが、地面に出来た血溜まりがまるで立ち上がるかのように重力に逆らって触手のようにこちらに向かってきている。
《ミロク、この液体の主成分は血液ですがその成分の一部として大量のナノマシンを含んできるようです。しかも機能や目的が設定されないままに活性化し無限増殖を繰り返しているようです。こちらに触手のように血液を伸ばしてきているのは、増殖のために必要な次の血液、宿主を求めているのです》
「なんだと!? 以前に発見した動植物に含まれていたナノマシンは増殖することも無く活動停止していたじゃないか?」
《はい、本来であればミロクが緊急サバイバルキットから注射したような制御用ナノマシンが無ければ活性化せずに活動停止したままで、無害なまま増殖もせず食物連鎖を自然に回るだけなのですが……》
「このナノマシンは、違う……と」
《そのようです。そもそもナノマシンが制御用ナノマシンから離れて存在し続ける場合には、特定の命令を受けて離れる場合がほとんどです。例えば今現在も子狼を治療しているようにナノマシンは治療命令を受けて対象生物の体内で活動し、その目的が達成された場合には活動停止し無害な存在になります。必ずそうなるようにナノマシンには命令期限について厳密なプロトコルがあります》
《しかしこの巨大黒狼の血液に含まれているナノマシンは違うようです……どうしてこのような事態に至ったのか……あれほど巨大であること、昨夜のあの重症から今まで生き延びたこともナノマシンの影響と考えれば腑に落ちます》
「暴走ナノマシンが生み出した怪物ってことか?」
《そう言っても過言ではありません。ミロク、この巨大黒狼のナノマシンを吸収しましょう》
「え? 暴走ナノマシンを吸収なんかして大丈夫か?」
《はい、制御用ナノマシンがあるミロクが吸収してしまえば問題ありません。むしろこのまま放置して他の生物に取り憑かれるほうがミロクにとっての危険が増加すると考えます》
「なるほど。巨大鹿や巨大鳥が現れても厄介だもんな。了解した」
《では、ナノマシンの活性化はすでに行われているのと同じですから、リングを近づけてください》
私は触手状に延び地面から立ち上がった血液に向かって、左手首のリングを近づけた。
するとフラフラと獲物を求めるように動いていたナノマシンがピタリと動きを止め、静かにリングに向け動き出した。
「大丈夫だろうな? いきなりガブリときたりしないよな」
《大丈夫ですよ、すでに通信距離に入りました。相手のナノマシンはこちらの制御下にあります》
「そうか、ならいいんだよ」
静かにリングに接触した血液からナノマシンが回収されていく。血溜まりに大量に含まれていたナノマシンが回収されるとともに、じょじょに血溜まりから張りが無くなっていく。そして最後には流れ出た血液からナノマシンが全て回収され、血液は地面に染みてしまい血溜まりは消えてしまった。
《ミロク、巨大黒狼はこれだけ巨体ですから体内にまだ血液が残りナノマシンが増殖している可能性があります。それらも回収しきってしまいましょう》
「了解、そうなるとあの普通サイズの黒狼の死骸もチェックしてみる必要があるかもな……念のために親狼の亡骸も調べてみよう」
《それが良いと思います。では最初に巨大黒狼の残りから始めましょう。巨大黒狼の体にリングを近づけてください、制御を始めてしまえばあとは簡単ですから。塊となって口から排出されるように設定します》
少しするとゲル状に固まったナノマシンが巨大黒狼の傷口から丸く盛り上がり排出されたので吸収した。
同様に他の黒狼の死骸からもナノマシンを回収したが、一番ナノマシンの量が多かったのが巨大黒狼だった。暴走ナノマシンの量が体の大きさに関係していたのかもしれない。
次に親狼を調べるために住居から亡骸を運び出す。と、一緒に子狼も外についてきた。
「リュージュどうだい? 親狼にも暴走ナノマシンは存在しているか?」
親狼の亡骸に手をかざしながら尋ねる。
《……検査終了しました。親狼には活動停止した無害なナノマシンが微量に含まれる程度です。問題ありません》
ひと安心し、ちょうど燻製肉も焼けたので食事にしよう。子狼にも燻製肉を渡すと、最初は熱がっていたが慣れたのかカリカリと小さな口で噛んでいた。まだ顎が強くないようで、噛んではいるもののどちらかというと舐めるに近いのかもしれない。
そんな子狼を眺めていたら、ふと気になったのでリュージュに訪ねる。
「なあリュージュ、あの暴走ナノマシンの血液についてだが、リュージュに警告をされたから咄嗟に躱したが、もし間違って触れていたらどうなっていたんだ?」
《はい、私も先程から気になり色々とシミュレーションしてみました。結論から申し上げれば、巨大黒狼から排出されたあの血液の塊に触れていたら、肉体表面を分解され暴走ナノマシンの増殖に使用された可能性が高いと思われます。一方で体内に侵入された場合ですが、こちらの制御下にあるナノマシンがすぐさま防衛を開始するので時間が稼げます。そのあいだに制御用ナノマシンが干渉して制御下に置くので問題は広がりません》
「つまり、肉体を喰われるがそれ以上はこちらのナノマシンの防衛が勝つということか?」
《そうご理解いただいて構いません》
「しかし巨大黒狼の血液は襲ってきたが、普通の黒狼たちの血液は襲ってこなかったよな。その違いは何なんだろうか?」
《それについてはサンプルが少ないので推測にしかすぎませんが、おそらくナノマシンが巨大黒狼の意思を記録していたのではないでしょうか?》
「意思の記録? どういうことだ? それが血液が襲ってくることと関係あるのか?」
《はい。ナノマシンは脳内でも補助的な役割として機能します。例えば昨晩のように脳内物質の伝達を妨げて痛覚抑制をおこなったり、逆に伝達を促進して反応速を上昇させることもおこないます。また脳内物質を生産し擬似的な感情変化を起こすことも可能です。昨晩も快楽物質を増加させ痛覚で活動が停滞していた精神状態を活性化しました》
《いま申し上げたような脳内物質の伝達操作などは補助的なナノマシンの使用ですが、非人道的といいましょうか、人格や感情などに不可逆的な変化をもたらすような過剰なナノマシンの使用も可能ではあります》
「つまり、人格や感情などを捨てることを覚悟するのであれば、危ない使い方がある、と?」
《その通りです。ナノマシンを脳細胞と置き換えて使うことです。生身の脳であれば、ナノマシンがいくら伝達速度を上げたとしても限界はありますし、どんなに痛覚抑制したとしても脳内物質の制御には限界があります。制御に限界があるというよりは、どれだけ抑制や伝達の制御をおこなっても、伝達された内容を受信する脳細胞に限界があるため、一定以上の効果は期待できません。昨晩も痛覚抑制は行いましたが、あくまでも抑制であって痛覚の切断はしませんでした。厳密には「できませんでした」という表現が正しいのですが》
《ところが、脳細胞すらナノマシンに置き換えてしまえばかなりの無茶が効きます。どれだけ伝達しても疲弊しない脳の出来上がりです。そうなるともはや、意思、つまり脳の電気信号の伝達すらもナノマシン自身がおこなっていることになりますから、ナノマシンが一種の意思を持っていると言っても過言ではありません》
《そのような状態に陥らないように、私のような制御用ナノマシンを用いた対話型AIが活用されている訳ですが、暴走ナノマシンは制御されておりませんのでリミッターがかかっていない状態です》
《巨大黒狼は先ほど止めを刺すまで生存していました。体や脳に大きなダメージを受けながらも生き延びていたのは大量のナノマシンが活かしていたともいえるのですが、そのナノマシン自身が巨大黒狼の生き延びるという強力な意思を記録したまま活動を続けた結果、あのように血液だけの状態になっても襲ってきた、つまり生き延びようとしたのではないでしょうか?》
「うーむ。つまり他の黒狼は死亡したから血液が襲わなかったが、巨大黒狼は生き延びたから血液が襲ってきたと?」
《はい、特殊な状況だったと思われます。死亡するほどのダメージを受けながらも、ナノマシンの力で生き延びたのが一番の原因ではないかと推測しています》
「なるほどな。もしも次に襲われたしっかりと止めを刺し、息の根を止めることを忘れないようにしないとな」
《それが宜しいかと思います》
私はこんがりと焼けた燻製肉に齧り付きながら、満足気に毛繕いをしている子狼を撫でる。
「あのさ、リュージュ。この子狼に制御用ナノマシンを分けることはできるのかな? こいつが無防備に暴走ナノマシンに接触してしまったらあの黒狼みたいに可哀想なことになってしまうよ」
《かしこまりました。譲渡した後も正常に動作するように、コアをパッケージ処理してお渡ししましょう。手順を指示しますので少しお待ちください》
《……準備が完了しました。体内でコアを生成すると制御用ナノマシンに影響が出ますので、体外で生成します。道具が不足していますので調理用の鍋を準備してください。準備が出来ましたら、まずは指先を切り血液を出してもらいます。それを鍋底に円形に塗ってください》
「こんな感じでいいのか?」
指先を切り、鍋底に丸く円を書く。
《問題ありません。続きまして円の中央に血液を垂らしていきます。こちらで合図を出しますので、それまでは垂らし続けてください》
鍋底の円の中央に血液を垂らしていくと、血液は流れずにじょじょに丸く球状になりはじめる。
小指ぐらいの大きさになったところでリュージュから合図がかかった。
《この程度のサイズで完了です。これを子狼に飲ませてください。飲ませた後に多少の設定が必要なので、左手首のリングが子狼の頭部にくるようにしてください》
血塗れのまま飲み込ませるのも可哀想だとおもい軽く水で洗ってやると、透明なゲル状の球体が現れた。よく見ると小さな白い球体が透明なゲルに包まれているのが分かる。
子狼を抱き寄せ軽くあやしながらゆっくりと口を開き、制御用ナノマシンのコアを飲み込ませる。
最初は多少抵抗したが、ゆっくりと背中を撫でているとやがて飲み込んでくれた。
そのまま背中を撫でながら左手で子狼の頭頂部をコリコリと掻いてやると、子狼も喉を鳴らして喜んだ。
《ミロク。制御用ナノマシンの設定が完了しました。これで子狼が暴走ナノマシンに接触しても対処できるようになりました》
これで少し安心できた。
子狼を目の前に持ち上げ話しかける。
「おい、よかったな。これでしっかり健康なままで居られるぞ。お前の母さんを殺した奴みたいなのが来ても大丈夫だ」
すると不思議なことが起こった。
子狼が言葉を発したわけでは無いのだが、この子の感情が伝わってきたような、そんな不思議な感覚が宿ったのだった。
「リュージュ、まるでこの子の気持ちが伝わってきたような気がしたのだが、そんなことがあるのかな?」
《現状ではデータ不足で判断できませんが、ナノマシン同士は近距離だと通信することが可能です。制御用ナノマシンは脳を中心に活動しますので、感情の信号が伝達されることもあるのかもしれません。いづれにしても人間用に調節されているナノマシンと制御AIなので、動物にどのような作用があるかは計り知れません》
「そうか。もしかしたら本当にこの子の感情なのかもしれないな。そうか、そうか」
胸の中に子狼をしっかりと抱きしめると、不思議と温かい感情に包まれた。
「バサラ」
そんな名が、ふと浮かんできた。
02/07 修正 句読点