埠頭につなぐ我らが世界の物語
0
アダムとイブが禁断の実を手にしてエデンを追放されたように。
その血を引いているらしい人間は、禁忌と言われるものに、無意識であれ有意識であれ、手を伸ばしてしまう。そこに破滅があることを、あるいは知らずに、あるいは知って。
青年がいた。
少年と青年の中間。十人に聞いたら、少し迷った末に、六人が青年であると答えるだろう童顔。背丈は標準、一七〇センチほど。
青年の装備と言えば、部屋着のパーカーと外出用のジーンズ、額にはアイマスクが押し上げられている。どことなく眠そうな双眸を揺らして、周囲を見渡した。
遺跡があった。
五角形の底辺に、錐の形。頂点と対応するように五芒星の紋様。
ジャングルがあった。
遺跡を囲むように、五〇メートルは優にありそうな木々が、ぽっかりと空いた空間。そこに、青年が右を見ても左を見ても端っこまで走るのにかなり時間がかかりそうなスケールの遺跡が収まっている。
その空間には、一切の生命の気配がなかった。
土は乾いているがひび割れず、下草の、雑草の一本も生えていない。猫の子、いや、蟻すらも見当たらない。
「どこ……ここ」
あくび混じりに呟く。
先ほどまで寝ていたせいで、寝惚けたまんま。思考がうまく回らない。おかしいな、自分は昨日飛行機に乗ろうとしてて、それで寝ようと思ったけどやっぱり寝間着じゃないとダメだったからトイレで着替えて、それから……寝て……
立ちながらの睡眠を可能にする要因は、はたしてなんなのか。体幹が異常に強いのか、はたまた睡眠欲の執念か。
とにかく彼は眠たかった。
いくら立ったまま眠れるといったところで、やっぱり横になって眠りたい。
でもここは屋外だ。雨風を防げない。
青年は、夢遊病患者のような足取りで、ふらふらと遺跡の方に歩みを進める。
絶対立ち入り禁止どころか、何人にも侵入を許さない不可侵の聖域に――――
1
遺跡の中は、だだっ広い大広間だった。
真ん中に光る球体のようなものが浮いているだけで、他には何もない。変に柔らかい石が床と壁と天井を覆っていて、光球の光が、広間すべてを眩しいくらいに照らしている。
不可思議な現象だ。
こんなジャングルの奥地に、自発的に、眩いほどの光量を発する、直径五メートルほどの巨大な球が「浮いている」のだから。
しかし、今の青年の知識欲、好奇心はともに、睡眠欲に負けていた。
入口から入ってすぐのところで横になって、アイマスクで目を覆ってしまう。
三十秒ほど動かなかったが、ついに我慢できないといった風に、上体を起こした。
「眩しい……」
そのまま横着してアイマスクを付けたまま、初期のゾンビ映画のように、両手を突き出して光源のほうに歩いていく。
「電気は……切らないと、寝ちゃダメ……」
うわごとのように口から洩れる声は、実際に寝言である。
現在の彼の精神は、半分以上が夢の中で遊んでいる。
だからこそ、この異常な場所を見つけ、異常なものに不用意に近づいて、そして。
「スイッチ、どこ……」
手探りで、頭上の光球をペタペタと触り。
「ああ、あった……」
温かくて冷たく、柔らかくて硬く押し返してくる光球の、隙間のような部分に指をひっかけて。
「スイッチ……オフ。電気代は節約しましょ……ぅ……」
そのまま、後ろに倒れた。場所的に、ちょうど光球の中心の真下。
後頭部からすごい音がしたが、床の石材が柔らかかったため、脳へのダメージはないだろう。
それでもなお、青年は眠っていた。
3
青年がスイッチと思ったものを押した。
瞬間。
光球が一際まばゆい光を放ったかと思うと、はらり、解けはじめた。
直径五メートルはあった光球は、どんどんと崩れ分解していき、そして消滅してゆく。
すべての光球が消えて、残り滓のような光の欠片が浮く遺跡の中央で。
青年は、部屋が暗くなったことに満足感を浮かべたような笑顔で、眠り続けていた。
4
この光球は、正確には光珠という。
まずは世界構造について話をしよう。
世界は、今青年が眠っている世界の一つだけではない。
最初は、絶対神が造った一つの世界しかなかった。始まりの世界、遺跡の中がそれだ。
しかし、絶対神が次に造り出した「神」が、親の真似をして世界を造ったのだ。ゆえに世界は複数存在するわけだが、絶対神以外が造った世界は不完全だった。だから、生命体が生まれた。副産物はたくさんあったが、それぞれの世界には致命的な欠陥があった。それぞれが異なる空間の同じ座標で重なるように展開したために、それぞれの世界がそれぞれの世界を押しのけようとする反発力が働いてしまったのだ。これにより重力が生まれた。
そして、それら劣化世界は、絶対神が造った世界に依存するように作られている。絶対神が造った世界――聖域を離れるにつれて、世界は崩壊していくのだ。
だから劣化神たちは、神を作り出したのちに眠りについた、親たる絶対神に楔を打ち込み、己の世界を無理矢理固定した。
それが光珠、世界をつなぎとめる埠頭こそが、眠りについた絶対神であり――――
――光珠そのものである。
5
かくして青年の手によって、世界を繋ぎとめていた光珠の欠片――絶対神という埠頭にかけていた縄が散った。
光珠は、すべての世界の中心にあり、それこそが世界に座標を縫い付けるピンである。ゆえに、光珠を一メートル右に動かすということは、世界そのものが右に一メートルついて動くということだ。世界を平面とするならば、エアホッケーのマレットに例えることができるだろう。パックを打つためにプレイヤーが持つ器具だ。マレットを上から見たとき、持ち手の部分が光珠であり、パックを打つ部分が世界だ。光珠を動かせば、当然世界もそれについて動く。
つまり世界と光珠は、そういう関係だ。
重ねてつまり。
青年が光珠の繋がりを断ちばらばらにしてしまったことで、重なり存在した世界も、反発する力に則って、基礎空間座標を、それぞれ一番遠い距離を保つように、離れ始めてしまった。
かくして青年は、世界を渡ったのだった。
すべての世界が多重展開する、光珠の間近で眠っていたために、真上方向に跳ねあがった世界に捕らえられ、移動したのだ。
世界の移動に音、そして衝撃は存在しない。そもそも、遺跡自体が光珠を通じてすべての世界につながっているために、世界の移動はほぼ遺跡を中心に行われるのだ。もしも人がそこで眠っていたととしても、気付くわけがない。無音無振動無衝撃。圧力変化なし。ましてやこの聖域の違和感に気付かないくらいに寝惚けている青年に、そんなことに気付けという方が酷であった。
崩壊の序曲が静かに、誰にも聞こえないように旋律を奏で始めた。
進む先はもちろん、青年には分からない。それこそ神のみぞ知る。
己の知らぬ場所、否、世界に、目を覚ました青年は、どういった感想を抱くのか。
無限を旅する青年は、何かを知ることができるのか。そもそも、自分の行いが世界を滅ぼさんとしていることに気付いているのだろうか。
すべての理由を見つけることは叶わない。青年は、あまりにも罪深きことをしでかした。世界の崩壊を止める術は、もはや存在しないだろう――――
6
「…………」
青年は目を覚ました。
見知らぬ天井があった。
床や壁を見ると、すべて同じ材質、石材。変に柔らかい、白けた石だ。
上体を起こすと、いつの間にか外れていたアイマスクが乾いた音を立てて落ちた。それを拾いつつ立ち上がる。
大あくびを一つ。
そのままあくびを連発しながら、光が差し込んでいる方向に向かって歩いた。高さ二メートル幅一メートルくらいの穴から差し込む光しか、遺跡内を照らすものはなかった。だからここが出口で間違いない。ここは暗い。寝るにはいいが、活動するには暗い。
とりあえず遺跡の外をのぞいてみたものの、
「どこここ。どこここ。まるで思い出せない。昨日飛行機に乗ったくらいから覚えてないぞ」
いや違うな、飛行機に乗る前にパジャマに着替えて、乗ってすぐに爆睡したのだ。うむ、そこからの記憶が無いな。よくあることだ。
独り言は、あるいは仕方がないことだった。
わからないこと、思考が必要な時、頭の中だけで考えるよりは口に出して整理した方が、より理解が易いからだ。
一旦遺跡の中に戻ろう。そう呟いて、ジーパンの尻を掻きながら、あくびを噛み殺す。ああ、そうだ、さすがに上下寝間着で外を出歩くのはどうかと思ったから、下はジーパンのままだったっけ。
――――少し話を聞け、そこな少年よ
「あ? 幻聴? 睡眠不足か。もうちょっと寝よう。考えるのは起きてからぉやすみー」
倒れこむ動作、空中でアイマスクを装着、受け身は完璧にとる。物音ひとつ立てない、完璧な睡眠の所作。
その頭上を、ずいぶん小さくなってしまった光珠が飛び回る。直径はもはや五センチもないだろう。
――――おい。おい。起きろ。世界標準時間で十三時間三四分二〇秒寝ておいて、二度寝とは何事かな、そこな少年よ
「うるさい」
光珠を、青年が無造作に伸ばした手が捕まえた。
反対の手でアイマスクを押し上げ、まじまじと観察する。目が潰れそうなくらいに眩かった光珠の輝きも、もはや最初の数十分の一程度、せいぜい豆電球くらいの光しか放っていない。
「なにこれ」
――――わたしか? わたしは神。絶対神であるぞ、そこな少年よ
「へえ、会話できるんだ。じゃあ、夢か。おやすみ」
――――待ておい待てそこな少年よ
「うん」
――――大事な話がある、そこな少年よ
「眠くなってきたから手短に、三十文字以内で」
――――少年のせいで世界が滅びかけている。責任取れ
「二一文字。お疲れ。ぐっじょぶ。おやすみ」
――――おい! おい!? 少年が光珠をばらばらに解き放ったのだから、集められるのは少年だけなのだぞ!? このままだと、少年のいた世界も、関係なかった世界も、今この遺跡内にあるもの以外は全部消えてしまうのだぞ! 聞いてるのか、そこな少年よ
「聞いてる聞いてるー」
で?
具体的になにをどうすれば良いの?
青年は、アイマスクを上げようともしないで聞いた。一度己の捕まえたものを確認するために押し上げたアイマスクも、すぐに下ろしてしまったのだ。
――――光珠とよばれる、世界を繋ぐための鎖をここに持って帰ってほしいのだ、そこな少年よ
「うんわかった。どんな感じ、どんな見た目」
――――見た目は、それがわからないのだ。もとからこの聖域に存在していたものが外の世界に放り出されたとき、それはその世界に対して異物であるな?
「うん? うん。そだね」
――――だから、最適化という現象が発生する。ゆえに、光珠はこの世界に最適化した姿で、現在つながっている世界のどこかに、ある。少年には、それを探して持ち帰る義務があるのだ。理解したか、そこな少年よ
「うんうん、わかったよぉー。じゃあ、おやすみ」
――――おい、時間が無いのがわからないのか? おい! おい! そこな少年!?
青年は、それからたっぷり九時間は目を覚まさなかった。
7
――――起きろ
――――起きろ
――――起きろ
「起きた。なんか変な夢見てた気がする。世界を救え的な――ってあれ、どこここ」
――――少年、わたしが見えるか。声が聞こえるか。それではさっそく、外に出ろ
「は? なに、え、うそ、変なのが喋ってるだとぉぉぉぉ!?」
――――何を驚いている、先ほども会話していたではないか
「え、じゃあ、なんか世界を壊したっていうあれも……?」
――――事実だ、そこな少年よ
「……マジすか」
――――事実である。さあ、さっさとこの世界の光珠を回収して来い、そこな少年よ
青年は、見えざる力に引っ張られ、立ち上がると、これまた見えざる力によって体を動かされ、――要は遺跡の外に放り出されたのであった。
――――光珠を見つけるまではこの遺跡に入ることはできないぞ、そこな少年よ
神の声が届き、同時に、目の前にあったはずの遺跡を認識できなくなった。
青年の瞳には、何が映る――
みあげるーほしー それーぞれーのれきーしがー(ry
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