閑話:優しくない嘘(side:小坂)
今にも振りあがりそうな広人の手をおれは抑える。
「やめなって」
「わかってる……」
獣が唸るような低い同意。
理性が一瞬でも怒りに負ければ、広人は子供に対し容赦なく拳を振るだろう。
(おれだって同じだ)
「覚えてろよ」と、想良は悪態を付きながら出て行った。
帰って来ると思ったから自分たちは「いってらっしゃい」と見送ったのに――。
想良はいい加減、もしくは出鱈目を人型にしたような人間だった。基本的に深く物事を考えてないのだ。
あるとすれば、その場の勢いと自己が如何に楽しく生きれるかそれだけだ。
初めて出会った時も、そうだった。
おれは知らない奴らに囲まれていた。なんで囲まれていたのか理由もわからない。
たぶん、見た目弱そうなのでカモにでもする気だったのだろう。
(殺したい……)
殺人衝動が俺にはある。
人だけではない。全てが気に食わないから気に食わないものをすべて排除したいのだ。理由はない。
きっと双子の弟の彼方は人の良い奴なのであいつにおれの中の善良という感情が流れていって、おれには邪悪な感情だけが腹の中に居るうちに振り分けられてしまったのだろう。
いつか誰かを殺すためにおれは道場に通い、ちゃくちゃくと力を付けていった。
(こいつらを殺すのもいいな)
弱いと人のことを見下すこいつらを。
舌なめずりをし、拳を握ったところで場にそぐわぬ明るい声が聞こえた。
「えーっと、確か同じクラスの……なんか、下の名前も苗字っぽい――小坂くんじゃないか! いいところで会った。俺にちょっと付き合ってくれない?」
水縁想良は二つ上の不良、前島広人と友好関係にあるということで他人から敬遠されていた。
同時に、青い目をした美しい少年は現実から隔離された場所にある別世界にいるような印象を人に与え羨まれても居た。
(ちっ、邪魔が……。大体、最初の“こ”しかあってない……)
「おい、てめぇ、俺達が見えねってのかああああああぁん?」
「誰、あんた達? 俺、あんた達には用ないから、さよならー」
不良からおれを想良は引き離す。
一人が不満そうに口を開いたがもう一人が諌めた。
「やめとけって、アイツ前島の……」
あとは聞こえなかった。
おれは引っ張られて連れられていたから。
振り払えるほど細い手だったのに、なぜかおれは振りほどけなかった。
「どこ行くんだよ」
引っ張られながらため息交じりに言う。
想良は聞かれると思ってなかったのかきょとんとしてから言った。
「あー、うちん家、うちん家! 今日ヒロが居ないから暇なんだよーね。小坂くん、一緒にゲームをしよう。内緒で強くなって、ヒロを一緒にボコボコにしようじゃないか!」
勝手だなと思った。なのに、殴りたいとは思わない。
はじめて感じる、不思議な感覚だった。
想良と言う人間は、ふとした拍子に、遠くなる。
人と一定の距離を保つことで、自分のことをいい加減な態度で守っている。嘘を要所要所で吐くのもその一環なのだろう。
彼の嘘は自分にも人にも甘くない。
寂しい嘘で塗り固められた綺麗な少年が想良だった。
きっと誰も本当の想良には触れられないし、触れてはいけないのだ。
(でも、どこかでいつか――おれ達、おれは触れれたらいいなと思ってた)
友人にされたけれど、友達というにはどこか遠い距離。
あの時、腕をとられた時、選ばれた気がして嬉しかったのだと思う。
振り払わなかったのではない、払えば逃げてしまうことがわかっていたから振り払えなかった。
自分勝手な想良は酷く優しくて、酷く冷たい。
目の前で横たわる死体に、綺麗さは微塵もない。
あの自分が触れたかった想良はここにも、どこにももういないのだ。
(「おかえり」)
それを口に出して、言うことはもう二度とない。
もう一度、優しくない嘘が聞けるならおれは目の前の子どもも、隣の友人も親も兄弟も、全部殺さないと誓えるのに……。
胸の内の獣が「全部殺せ」と唸ってる。
次回、本編!