38.裏庭
エクラの声に反応して、想良はフィオ―レの居場所を伝えようとした。
『メイドさーん』
なぜ、そんなことをするのかと理由を問われれば外が危険だからだ。
想良もフィオ―レ同様にこんな陳腐な作戦が上手くいくと思っていなかったのだ。
行けたとしても玄関まででスキアーかエクラのいずれかに連れ戻されると思っていたのだ。
(メイドさんったらちゃんと仕事しろよな、もー)
プロクスのような危険な存在が外には居るかもしれない。
そんなものと対峙したら自分は役に立てない。
声が遠のいたので、もう一度鳴くために口を開ける。
「まだ騒いでは駄目」
優しい力に想良は閉じる。
「お願い静かにして……」
耳にすとんと落ちる声。震えを帯びた声。
(もしかして、俺また自分勝手?)
フィオ―レのためを思ってエクラを呼ぼうとした。
だけど、それで泣かせたいわけじゃない。
ちゃんと相手のことを思ってそうしようとした。
猫の体は言葉が通じないし、非力だ。
(呼んだ方がいいに決まってる……)
自分よりエクラのほうがフィオ―レの役に立てることが理解できないわけじゃない。していたからこそエクラを呼ぼうとしたのだ。
エクラよりフィオ―レを優先すること選んだ。自分で。
『俺が何かするとろくなことない。普通に、素直に呼べば良かったっていう、ね』
泣かせたくないとか、そういうのは自分が考えることじゃないと想良はつくづく思った。
裏庭に入って少しして感じたことのない気配がしたので、フィオ―レの前に立って唸る。黒い闇の中から男が現れた。
「フィオ―レ」
低音の声が優しくフィオ―レの名前を呼ぶ。一歩、彼女は後ろへ下がり固まる。
「へい、か……」
苺に良く似た果実が地面に転がる。
俯いたフィオ―レの顔は想良にしか見えない。白い顔は益々青白くなり、唇がガタガタと震えている。
(……コイツ、敵だ)
プロクスの様に驚異的な恐怖は感じないので、その場で唸り続ける。
「これがお前の元に現れた猫か……フィオ―レ、そんな物に頼るほど私が嫌か?」
答えはない。フィオ―レは何も答えない。
一歩ずつ男が近寄るので、想良は激しく鳴く。全身の毛が逆立つ。
(頼むからメイドさん、気付いて!)
大きな声で鳴けばこんなに静かな場所だ、遠くても聞こえるかもしれない。まだかすかに想良の耳にはエクラがフィオ―レのことを呼ぶ声が聞こえていた。
どれくらいの距離かは判断しかねるが、聞こえていた。
「煩い猫だ」
男は腰にかけていた剣を抜き、想良に刃を向ける。
「や、やめ……て……!」
上にフィオ―レが覆いかぶさる。震えはまだ止まらない。
「それがそんなに、大事か?」
頷き、今度は答える。
「ならば、宮へ帰れ」
「もぅ、……放っ、ておいて……ください」
毛が濡れた。フィオ―レは泣いている。男が泣かしたのだ。
女を泣かせる男は赦せない。
子供を泣かせる女は赦せない。
男はフィオ―レを無理やり立たせようと手を掴んだので、思いっきり歯を立てる。
「っ!!」
『げぇ、マズっ』
腕の中から抜け出して、ペッぺと血を吐きだす。
体に痛みが走った数秒後に、悲鳴が聞こえた。
(ま、たかよ……)
男の持っていた剣が赤く濡れている。想良の血だった。
猫の白い体の真ん中には不自然な赤が溢れている。
今はまだ死ねない。
凛の時と違ってフィオ―レは安全じゃない。
死にたくない。
痛みにある体で立ちあがろうとするが上手くいかない。
『えく、ら、さんっ』
メイドさんでもいい、誰でもいいから、フィオ―レさんを誰か守って……。
≪その願い、聞き届けましょう≫
懐かしい声が、涼やかな声がそう言った。
想良に追悼。次回はエクラ視点か閑話。