30.何も考えない猫2(side:フィオ―レ)
庭園を見せながら、乳母車の中の想良を見る。
濁った眼。昨日は確かに、光が戻ったのを見たのに。
(本当に誰かにいじめられているのかしら……、それともここが嫌になったのかしら?)
ふいに猫は青い空を見つめて、鼻をひくひくとさせる。
懐かしげな眼差しが人を思わせた。
「これはねワイド。こっちはね……」
その様子がなんだか居心地悪くて、花の説明を始める。
(人のわけないのに……、いいえ、人であって欲しくもないのだわ)
想良は猫なのに、猫らしくない。
返事の仕方から言っても、こちらの会話を理解している節がある。それは安堵を与えると同時に、怖い。
人の言葉を理解しているということは、人の善し悪しも知ると言うことだ。
(私も含め、人間なんてロクでもないもの)
アーグアが水に世界を沈めてくれていたらよかったなんて思うのは罰あたりなのだろうが、あの日以来思ってしまう。
それまでは確かに幸せに生きていたはずなのに、もうその頃の感覚が思い出せない。
「にゃー、なうーん」
「ふふふ、楽しい?」
「にゃー」
短い鳴き声に目を細める。
屈んで、頭を撫でる。
想良は戸惑ったように一瞬体を強張らせたが、ぺろりと手を舐めてきた。
「花は素敵ね。ずっとソラさんとここでこうして居たいわ……」
「にゃー」
今朝から頭の片隅で考えていた。この幽閉生活も終わるかもしれないと。
(猫を返しても何をしても、もう遅いのに……馬鹿な人たち)
何一つ赦されなかったこの身を按じ、屋敷を父が与えてくれはしたがフリンデッルと同じくグローム王の元へ本来ならば嫁いで貰いたいはずだ。
意思を尊重して召し上げられることはなかったが、こうなった今は強引に召し上げられてしまうかもしれない。
(人の良心に驕った罰かしら? 皆が傷のことを気にしていることを利用したせいだというなら、いっそのこと、傷が顔ならよかったわ)
顔なら、世を儚むフリして死ねただろう。彼らも執着することなかっただろう。
死を匂わせると必ずスキアーに邪魔される。
気がかりなのは、その彼女がなぜ猫を飼おうとした時に止めなかったかだ。
(彼女のことは五年いても何もわからなかったわ)
「にゃー」
「中に戻ってお茶にしましょうか。今日、新しく朝お菓子が届いたらしいのよ」
にっこりと笑う。
「にゃーにゃー」
嬉しそうに猫は鳴く。
だけど、昨日の様にお菓子を喜んでいる時とは声の質が違う気がする。
(どうしたら来た日みたいに戻れるのかしら?)
利用する代わりに愛すると、幸せにすると決めたのに。
「そうだわ、裏庭に行きましょう! 裏庭はね、野生の花も綺麗なのだけれど、実のなる果実が沢山あるの。こっちと違って、人の手があまり入っていなくて自然を感じられるのよ? たぶん、今の時期ならエーアトベーレがまだなっているはず……」
乳母車の方向を裏庭に続く道へと向ける。
「なーう、なう」
「あら、ソラさんはお菓子の方がいいの?」
想良は乳母車の中で唸っている。
裏庭に行きたくないということなのだろうかとも思うが、返事はない。
「もしかして、私の心配をしてくれているの?」
「にゃー」
日差しが眩しいのを気にしてくれているのだろうか。
それとも、長時間外を出歩くことが不向きなことを気にして――?
(やっぱり、人よりもずっといいわ)
「優しいのね。裏庭はお茶をしてからならいい?」
「にゃー」
鳴いた声に顔を弛める。
濁っていても、温かみのある態度に微笑んだ。
ワイドは薔薇。エーアトベーレは苺。次回のプロクスがそろそろやって来る?