19.疑問詞すら浮かばない(side:フィオ―レ)
なんで?
どうして?
昔ならすぐに浮かんだ疑問詞すら浮かばないことに、気付く。
外の騒がしさにダイニングを出てフィオ―レが見たのは十二違いの異母兄、フリンデッルだった。
(……五年って長い、のね)
心の代わりように、少しだけ、ほんの少し泣きたくなった。
早すぎる来訪と裏切りの発覚に、無邪気な顔で笑う。
「お兄様、お早いおつきね。もっと遅くてもよかったのに」
フリンデッルの見下すような瞳にも怯まない。
綺麗に笑うだけの心ない、愚かな人形が彼らの望みだと知っているから決して怯まない。
怯むことは屈することを意味していた。
「エクラ、ごめんなさいね」
正直言えば、エクラの存在をフィオ―レは気に入っていた。
彼女のおかげで自分と言う存在がどれほど虚しいか気づけたのだ。
エクラは、手放すことを好しとしないあの人に一つだけ願った存在。
(信頼と好意が同意でないのが、悲しいわ)
青は悲しみ。アーグアの色。
メイド服に身を包んだ女騎士は何も言わない。言わせない。中途半端に助けた彼女がいけないのだ、あのまま死ぬことこそが最善だった。
「お前はいつまで経っても子供だね、陛下は背中の傷を気にしないと言ってくださっているのだ。それなのに、首をなぜ縦に振らないのか理解できないよ」
「傷物などあの方には不要でしょうに。第一、私ごときの代わりならいくらでも居りますわ」
見た目の良い娘など腐るほど居るのだ。
「フィオお姉様! 我儘を言ってはいけないのよ!」
「我儘ではなく、事実を言っているの」
死ぬことも赦されず。
出奔することも赦されず。
何も赦されないのはあの人の執着のせい。
「何も知らない子供はお黙りなさいな」
いずれ、クークラも大人になれば知る。女など政治の道具でしかない。
「お、お姉様、ひどいっ!」
すぐに泣くのは子供の証拠。大人は泣くことを赦されない。
この身は何も赦されない。
泣き落としでもさせるつもりでクークラを連れて来たのだろうけれど、フィオ―レの心は痛まない。
些細なことで痛めていては人は生きていけないのだ。
「もう書類は出してしまいましたもの誰にも手出しはできませんわ、例えあの人でも」
スキアーがこの会話を聞いていて、あの人に伝えたとしても。
「時既に遅しって、いい言葉ね、ふふふ」
きつくフリンデッルが睨む。
「恥知らずな……」
「恥知らずで結構。お父様にでも何にでも縋るといいわ、お兄様。私は好き好んでこんなところに居るわけではないのですから、出してくれたらそれこそ幸いというものです」
死んでもいい。
出奔してもいい。
生きることを望まれないのならそれでいい。
「フィオ―レ……」
「お帰りになるといいですわ」
綺麗なだけを望まれたフィオ―レ・ブルームは五年前に死んだのに、誰も気付かない。
笑いながら場を離れる。
必要とされたフィオ―レ・ブルームは居ない。
ここにいるのは壊れたフィオ―レ・ブルームだけ。
(壊れたものに執着するなんて、皆馬鹿ね)
自分の部屋に向かう途中で、鳴き声が聞こえた。
「ソラさん?」
高い棚の上で猫は鳴いている。
「どうかしたの? 高くて降りられないの?」
手を伸ばす。
猫はにゃーにゃーと、鳴くばかりでフィオ―レに近づかない。
「誰かにいじめられたの?」
泣かないで。
泣かないで。
泣かないで。
想良の声がフィオ―レの耳には泣いているように聞こえた。
「大丈夫、私が居るわ」
私も悲しいの。
私も悲しいの。
私も悲しいの。
「おいで」
白の塊はゆったりとフィオ―レの腕の中に降りる。
「私も悲しいわ」
鼻先にちょんとキスをする。
疑問視など浮かばない。
いつだって目の前の現実が答えなのだと知ったから。