退職願を叩きつけて、俺たちはスローライフへ逃げ切る
満身創痍のジョーカーは、それでもまだ再起動を試みていた。
『まだだ……。私は管理しなければならない……。世界を……仕様通りに……』
彼の目には、狂気じみた使命感――いや、強迫観念が宿っていた。 それはかつての俺だ。 「自分がやらなきゃ世界が終わる」「休んだら迷惑がかかる」。そんな呪いに縛られていた、哀れな労働者の末路。
「もういい。休め、俺」
俺はジョーカーの目の前に立った。 リリスとエリアが、左右で俺を支えてくれる。
「リリス、エリア。道を開けてくれ」 「はい! 主様の退職ロード、私が切り拓きます!」 「神よ、彼の門出に祝福を!」
リリスが大鎌を一閃させ、ジョーカーの周囲に漂う防御障壁(未練)を斬り裂く。 エリアが浄化の光を放ち、ジョーカーの身体を蝕む「過労のノイズ」を洗い流す。
俺は無防備になったジョーカーの胸元へ、一歩踏み込んだ。
「これが俺の、最後の業務だ!」
手にした**【退職願】**。 それを、ジョーカーの胸――システムの中枢核へと、全力で叩きつけた。
Target: Admin_Joker Action: Submit_Resignation (Force_Quit)
バシィィィッ!!
乾いた音が響き渡る。 封筒が光の粒子となって、ジョーカーの胸に吸い込まれていく。
『あ……』
ジョーカーの動きが完全に止まった。 彼の瞳から、強迫観念の赤色が消え、澄んだ青色が戻ってくる。
『……受理、されたのか?』
「ああ。有給消化も認めてやる。……これからは、好きに寝て、好きに遊べ」
俺が告げると、ジョーカーは憑き物が落ちたように、ふっと笑った。 それは、俺が鏡で見たことのない、心からの笑顔だった。
『そうか。……なら、私は少し、眠らせてもらうよ』
ジョーカーの巨体が、サラサラと崩れていく。 死ではない。 彼は「システム管理者」という役割から解放され、この世界の「ただの魔力」へと還っていくのだ。
世界樹の中心に、静寂が戻った。
◇
「終わりましたね……」 エリアがへたり込む。 「主様。勝ちましたわ」 リリスが俺に抱きつく。
俺はPCを閉じた。 もう、この世界を管理する存在はいない。 これからは、バグが起きれば現地へ行き、手動で直し、また新しいバグが生まれる。 そんな非効率で、面倒くさい世界だ。
「……ああ。帰ろうぜ、俺たちの家に」
俺たちが洞窟の出口へ向かおうとした時、背後で小さな電子音がした。 振り返ると、ジョーカーが消えた場所に、一枚の「書き置き(テキストファイル)」が浮いていた。
> To Ren.
>
> Thanks for the debug.
> I left a "Admin Key" under the doormat.
> Use it wisely.
>
> P.S. The hot spring temperature is set to 42 degrees. Enjoy.
「……最後まで、気の利く野郎だ」
俺は苦笑して、空中に浮かぶ「管理者キー(のデータ)」を受け取った。
◇
数日後。 俺の領地――タワマン風洞窟のリビングにて。
「主様ー! 大変です! 畑のトウモロコシが足を速くして逃げ出しました!」 「レン様ー! 教会に飾った聖像が、なぜか踊りだして止まりません!」
朝からリリスとエリアが騒いでいる。 管理者がいなくなった世界は、相変わらずバグだらけだ。
「はいはい、今行く。……ったく、退職したはずなのに、なんで前より忙しいんだ?」
俺は文句を言いながらも、コーヒーを飲み干し、コンソールを展開した。 その顔には、前世のような疲労の色はない。
「ま、これくらい賑やかな方が、退屈しなくていいか」
世界観がバグった世界で、元デバッガーの俺が修正(物理)して回る日々は、まだまだ続きそうだ。




