世界の中心(カーネル)には、俺の『退職願』が祀られていました
世界樹の最深部。 そこは、まるで宇宙空間のような場所だった。 足元には星々が輝き、頭上には巨大な光の輪がゆっくりと回転している。 その光の輪こそが、この世界を構成する全データ――物理法則、魔法、生命、運命――を管理する**【根源記述】**だ。
そして、その中心に、一人の男が立っていた。 ピエロの仮面をつけ、燕尾服を着た男。
「ようこそ、相馬レン君。待っていたよ」 ジョーカーだ。 彼は大げさに手を広げ、俺たちを歓迎した。
「……お前がジョーカーか。随分と手の込んだ嫌がらせをしてくれたな」 俺はPCを構え、いつでも攻撃できるように警戒する。リリスも殺気を隠さない。
「嫌がらせ? とんでもない。これは『採用試験』だよ」 「採用試験……?」
ジョーカーは仮面の下で笑う気配を見せ、背後の光の輪を指差した。 そこには、異質な物体が浮いていた。 光り輝くデータストリームの中心に、不釣り合いな「白い封筒」が祀られているのだ。
俺は目を凝らした。 封筒の表書きには、俺の筆跡でこう書かれていた。
【退職願】
「……は?」
俺の思考が停止する。 あれは、俺が過労死する前日、社長の机に叩きつけようとして……結局、勇気がなくて鞄の奥にしまい込んだ、あの退職願だ。 なぜ、あれが世界の中心にある?
「君がこの世界に転生した時、君の『未練』もまた、強力な概念として具現化したんだよ」
ジョーカーが語り始める。
「君は願ったはずだ。『こんなクソみたいな労働環境から抜け出したい』『もっと自由に、自分のスキルを活かせる世界に行きたい』と」 「……ああ、願ったさ」 「その願いが、このバグだらけの世界(未完成のベータ版)を呼び寄せた。……いいや、正確には、君の願いがこの世界を『未完成』にしたんだ」
ジョーカーの言葉に、俺は息を呑んだ。 俺が……バグの原因? 俺がデバッグを楽しんでいるこの状況こそが、俺の望んだ「仕事」だったというのか?
「私は君の『影』だ。君が捨てた『仕事への執着』と『完璧主義』から生まれた管理AI。それが私、ジョーカー」
ジョーカーが仮面を外す。 その下にあった顔は――俺と同じ顔だった。 ただし、目の下には酷い隈があり、肌は死人のように青白い。まさに「過労死寸前の俺」の顔だ。
「相馬レン。私はこの世界を『完全な世界(製品版)』にアップデートしたい。バグも、不確定要素も、自由意志さえも排除した、完璧な管理社会へ」 「……それがお前の目的か」 「そうだ。だが、私には『創造』の権限がない。あるのは『管理』の権限だけ。だから君が必要なんだ。君の【編集(Edit)】能力があれば、世界を修正し、完成させることができる!」
ジョーカー(影の俺)が手を差し伸べてくる。
「さあ、私と融合しろ。そして永遠のデバッグ(労働)を始めよう。納期のない、終わりのない、完璧な世界構築を!」
リリスが吠えた。 「ふざけるな! 主様は私のものよ! そんな過労死確定の未来なんて、私が消去してやる!」
俺はリリスを手で制し、静かにジョーカーを見据えた。 そして、ため息を一つ吐いた。
「……断る」 「何?」 「俺はな、デバッグは好きだが、デスマーチはもう御免なんだよ。それに……」
俺は隣のリリスとエリア、そしてこれまで出会ったバグだらけの住人たちの顔を思い浮かべた。
「バグがあるから面白いんだよ、この世界は。完璧で退屈な『製品版』なんて、誰も遊びたくねえんだよ」
俺はPCのエンターキーを叩き、戦闘モードへ移行した。
「交渉決裂だ、ジョーカー(元社畜の俺)。……俺の『退職願』はここでも有効だ。お前というブラック上司を倒して、俺は本当のスローライフを勝ち取る!」
「……残念だ。ならば、強制的に取り込むまで!」
ジョーカーの体が黒いノイズに包まれ、世界樹のデータストリームを吸収して巨大化していく。 世界の管理者権限を巡る、最後の戦い(ラスト・デバッグ)が始まった。




