その世界、未実装につき
「……ん、あ?」
目を開けると、そこは森だった。 オフィスの蛍光灯ではなく、木漏れ日が眩しい。土の匂い。鳥のさえずり。 なるほど、これが噂の異世界転生か。
俺、相馬レン(28歳・社畜)は、状況を冷静に受け入れた。 昨晩、72時間連続稼働の末に意識が飛んだ記憶がある。過労死だ。間違いない。
「やっと眠れると思ったのになぁ……」
重い体を起こし、周囲を見渡す。 感動的な大自然――と言いたいところだが、俺の職業病(プログラマー視点)が、違和感を検知した。
「……あの木、浮いてないか?」
目の前の巨木が、地面から数センチほど浮遊していた。 それだけではない。空を見上げれば、雲の形がコピペしたように同じパターンを繰り返している。遠くの山のテクスチャが剥がれて、裏側のポリゴンが見えている。
「うわぁ……作り込みが甘い。納期前のベータ版かよ」
その時だ。 背後の茂みがガサリと揺れ、巨大な影が飛び出した。
「グルルルゥ……!」
全長3メートルはある狼だ。赤い瞳が俺を捉えている。 ファンタジー定番のモンスター。普通なら絶叫する場面だが、俺の目には奇妙なものが映り込んでいた。
狼の頭上に、半透明の【ウィンドウ】が浮かんでいるのだ。
<Enemy_Data>
ID: Wolf_001
HP: 500/500
ATK: 80
State: Aggressive
</Enemy_Data>
「なんだこれ。ステータス画面……いや、ソースコード?」
狼が飛びかかってくる。 鋭い牙が喉元に迫る刹那、俺の世界がスローモーションになった。 いや、違う。俺の意識がウィンドウに接続したのだ。
目の前に仮想キーボードが展開される。 指が勝手に動いた。長年の社畜生活で染みついた、条件反射だ。
「とりあえず、危ないから……」
俺は狼のデータにある [State: Aggressive(攻撃的)] の項目をタップし、書き換えた。
Delete. Input: [State: Sleep(睡眠)] Enter.
『ポーン』
気の抜けた電子音と共に、空中にいた狼が「ストン」と真下に落ちた。 そして即座に、「グークー」とイビキをかいて爆睡し始める。
「……マジか。通っちゃったよ」
俺は自分の手を見る。 剣も魔法も使えない。だが、どうやら俺はこの世界の「管理者権限」を持っているらしい。
「デバッグ作業の続きってことかよ。……ま、残業代が出ないなら、好きにさせてもらうけどな」
俺は眠る狼を枕代わりに腰を下ろし、再びウィンドウを開いた。 とりあえず、自分の空腹度(Hunger)パラメータを削除(Delete)しておくことにした。




