若葉入隊 五
チィチチチチチ。という小鳥のさえずりが起床の合図だった。目が覚めると、そこは見慣れた俺の家…ではなかった。出来れば夢であってほしかった昨日の出来事は、どうやら現実のようだ。
思い起こせば、昨日という日はとことん心臓に悪かった。おそらくは、俺の人生の中でも歴史的な日になっただろう。悪い意味で。
唯一救いだったのは、一二三さんの配慮であった。
半分魂が抜けた状態で俺が屯所に帰還したころ、世界はどっぷりと夜に浸かっていた。時刻で表すと、亥の刻である。
その時刻からか、俺の様子からか、一二三さんは、
「詳しい説明とか、正式なあいさつは明日にしようか?今からやってちゃ、夜も更けちゃうしね。」
と、苦笑しながら言ってくれた。地獄に仏である。それ以上情報が入ってきたら、俺の思考回路は破裂して、溶解崩壊していただろう。
贅沢をいえば、ついでに「これが楽しい夢であったら」と思ったのだが、仏様はそれは許さなかったようで…
(…いや、受け入れよう)
そこで、母譲りの、強かな前向き精神が、思考の行き先をまとめあげる。
(理不尽な現実などいくら通ってきたことか…)
そう。そのたびに俺は、自分の力で道をこじ開けてきたのだ。
(今考えるのは、「どうやって現実から逃げるか」ではない。「どうやって現実を乗り越えるか」だ。)
では、今、俺は何をする?
「…うっし!とりあえず、素振り千本!」
そう言って、俺は道場へと向かった。
道場に向かっていると、目的地あたりから吐息のような掛け声が聞こえてきた。
まだ薄暗い寅の刻である。いったい誰が鍛錬してるというのだろうか?
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…」
目にはいったのは、ハリネズミのような跳ねた、紅い髪。長めの後ろ髪は束ねられ、花火のように、尻尾のように見える。
「おっ?早いねぇ、若葉くん♪」
研ぎ澄まされた刃のような雰囲気を醸し出していた一二三さんは、俺の存在に気付くと、途端におどけた笑顔を見せる。
「おはようございます!…あの、一二三さん、いつから…?」
「ん?…半刻ほど前かなぁ…?」
と、言うと…え!?
「二刻半しか寝てないんですか!?あんな激闘の後に!?」
「ん。もう慣れてるからね。」
「体壊しますよ!!」
「大丈夫だよ♪それに、俺はもともと霊力低いからさ。人一倍練習しないと、ね?」
「霊力」というのは、昨日の妖術っぽいあれ関連だろう。
自虐的な言葉だが、陰はない。むしろ、「どうぞなんなりとお聞きください」というような響きさえある。それを知りながら、俺はただ「そうですか」とだけ答えた。一二三さんは、一瞬だけ呆けた顔を見せた。すぐに笑顔に変わったが。
「そういえば、若葉くん、相当な実力者って勇さんに聞いたんだけど?」
「い、いえ、自分はまだまだですよ!」
「謙遜しなくてもいいよ♪ちょっと拝見させてもらえないかな?」
「あ、…はい!」
ほい。と渡された木刀を握る。…さして重要な話ではないが、俺はこの瞬間が好きだ。雑念が消え、感情も魂も静まりかえる。集中。相手と自分と刀だけの世界。
「…シッ」
上段の構えから、左下。切り返し、右に振るう。右足を軸に回転しながら上に一閃し、勢いや構えを崩さず、片手で突く。
以上、一秒の内に、想像上の相手は二、三回死んでいる。
(準備運動なしにしてはまあまあかな…)
そう反省し振りかえると、一二三さんがポカンとした表情をしている。
「…スゴイ…」
「…一二三さん?」
俺の声に、ハッ、と息を吐く。
「す、すごいよ!若葉くん!初めてだ…見惚れたのは…」
一二三さんの絶賛に、つい、顔が火照ってしまうのが分かる。
「後は…」
言いかけて、
「…あっ!勇さんに報告しないと!」
と、道場を後にする…かと思いきや、再び顔を出す。
「…見つけられれば、いいね。」
この言葉が、後の俺の悩みを示唆していることに、残念ながら、その時俺は気づかなかった。