主従の契約
あまりにも唐突な申し出に、フローレンスは目をぱちくりとさせたまま、固まってしまった。
「わ、私が……あなたと?」
「嫌かな?」
「い、いえ……そんなことはないけど」
思わず口ごもりながらも、フローレンスは首を横に振った。
彼女にとっては、願ってもないことのはずだった。
現在の彼女は王都を脱出した逃亡者であり、しかも魔力の低い魔法使い。今後、生き延びていくには――目の前にいる黒竜・ニグレスの助けは、まさに天からの贈り物のような存在だった。
「ありがとう。実は……私も、あなたがそばにいてくれたら、とても心強いと思ってたの。
だけど……本当に、私なんかでいいのかしら?」
フローレンスは不安を隠せずに尋ねた。
「言っただろう。君は今の姿でいるときが、いちばん完璧なんだ」
ニグレスは真っ直ぐに言い切った。
「失った魔宝石の力以上のものを、俺が君に送るよ。……任せておいて」
そう言いながら、彼は情熱的な視線を向けてくる。そのまっすぐな眼差しに、フローレンスは思わず顔を赤らめた。
「――では、契約を行おう」
ニグレスの声が一転して真剣な響きを帯びる。
「フローレンス。魔宝石が付いている方の手を出して」
言われるままに、彼女は右手を差し出した。その掌に、ニグレスの細くしなやかな手が、そっと重なる。
「契約は魂の深奥を結ぶもの……汝が我を識り、我が名を刻むならば、魔の理に従い、この力を委ねん。」
低く呟かれた契約の呪文が空気を震わせるように響く。
手が離れると同時に、フローレンスの掌に埋め込まれていた魔宝石が、鮮やかに変化していた。
それはもともと、小指の先ほどしかなかった淡い紫の石だった。
けれど今や、コインほどの大きさを持ち、深く透き通る濃い紫色へとその姿を変えていた。
「……っ、これ……!」
フローレンスは息を呑み、目を見開いた。
歴代の大魔導士たちでさえ、これほど大きな魔宝石を誇った者がいたかどうか……
その輝きは、目に映るだけで魔力の奔流を肌で感じるほどだった。
彼女が呆然としたままその石をしげしげと眺めていると、隣でニグレスがにこやかに笑った。
「これで、君の魔力もだいぶ取り戻せたみたいだね」
「だいぶ、どころじゃないわ……。こんな力、私に扱えるかしら……?
私、闇魔法なんて、まだ何も知らないのに……」
不安げに告げるフローレンスに、ニグレスは自信満々の笑みを浮かべた。
「君ならきっと大丈夫さ。僕がついている。
それにさっき、この屋敷を歩いていたときに古い書庫をみつけたんだ。
この屋敷は今は空き家みたいだけれど、以前は魔法使いが住んでいたみたいだよ。難しそうな本がたくさんあった。」
「書庫……!」
「闇魔術の知識が記された書物も残ってるかもしれない。
それに……君の元の姿に戻るための“手がかり”も、あるかもしれないね」
その言葉に、フローレンスの瞳がぱっと輝いた。
「助かるわ……! あとで一緒に探してみましょう。
闇魔術の書に、きっとあの入れ替わりの魔法を解く術が――残ってるかもしれないもの!」
静かに、けれど確かに、フローレンスの中に力が灯る。
そして彼女の傍らには、黒き竜が静かに寄り添っていた。




