竜の青年
「あなたは……一体、何者なの? さっきのドラゴンは、あなた?」
「そうだよ、僕の名はニグレス。」
「あなたが……あのドラゴン?」
フローレンスは思わず一歩後ずさった。人に変身できるドラゴンなど、本の中の物語でしか知らない。
「信じられない……けど、たしかにあなたは……」
困惑したフローレンスは、改めてニグレスの顔を覗き込んだ。
彼は瞳を細めて、不敵な笑みを浮かべる。
その髪は、あの黒きドラゴンと同じく漆黒。
瞳は、燃えるような緋色に輝いていた。
――そういえば。
国内に生息する伝説の魔獣について、書物で読んだ記憶がある。
ドラゴン。
この国でも唯一無二と言われる、甚大な魔力を秘めた魔物。
巨大な体、大砲でも貫けない鋼の鱗、そして大地をも焼き尽くす息吹――
人の前に姿を現すことは滅多にない、伝説の存在。
「フィフィ、俺のことを覚えていないの?」
突然、彼は思い出したように問いかけた。
フローレンスはドラゴンなんて生まれてこの方あったことなどないはずであった。
「ごめんなさい。どこで会ったのか教えてくれたら、思い出せるかもしれないのだけれど……私に、ドラゴンの友人なんていたかしら……?」
「そうか、でもずっと昔のことだから、君が覚えていないのも無理はないさ」
ニグレスは、それ以上を語ろうとはせずどこか寂しげに言った。
フローレンスもまた視線を落とす。けれども、あることに気づいて、はっと顔を上げた。
「ちょっと待って……あなた、どうして私がヴィオレッタではなく、本当はフローレンスだって知っているの?」
"フィフィ"という呼び名を聞いた瞬間、フローレンスの記憶が揺れた。
それは、幼い頃に孤児院で呼ばれていた、彼女のあだなであった。
確かに彼は、姿はヴィオレッタであるはずの自分を、最初から「フローレンス」と呼んでいた――。
「もちろん。君がどんな姿をしていても、俺には君がわかるさ」
ニグレスは微笑みながら、当たり前のようにそう言った。
「さっきは突然君を攫ったりして、ごめん。でも、すごく危ない状況に思えたんだ。
だから君を連れて、当てもなく飛んで……でも風が強くて、君には負担が大きすぎたみたいだ。すまなかった」
申し訳なさそうに呟くニグレスに、フローレンスは首を振った。
「そうだったのね……ありがとう。あなたのおかげで、本当に助かったわ」
「どうってことないさ。
それよりようやく学園から出られたんだ。これからは、たくさん一緒にいられる。僕のこともきっと、じきに思い出すさ」
そう言って、ニグレスは妖艶に微笑む。
その言葉に、フローレンスは一気に現実へと引き戻された。
「……そうだったわ。私たち、これからどうしたらいいのかしら」
「俺にできることがあれば、なんでも言って。
君の力になりたいんだ」
「どうして私なんかにそこまでしてくれるの?」
「君は覚えてないみたいだけれど、君は僕の命の恩人だからね。」
ニグレスはそう言ってまたもはぐらかした。
フローレンスに対するニグレスのまなざしは、まるで愛しい恋人を見るかのように優しく、うっとりとしていた。
「そうね、まずは自分の本当の姿を取り戻さなければ。そのためには、もう一度ヴィオレッタに会って、元に戻す方法を聞き出さなければいけないわ。」
「ヴィオレッタって……君の体を奪っていった、この女のこと?」
ニグレスはフローレンスの顔のあたりを指しながら尋ねた。
「そう。彼女は私の同級生の学友だったの。なんとかして、もう一度会って説得しないと……」
しかし、フローレンスは今やお尋ね者。いきなり王都に戻るのはあまりにも危険に思えた。
「でもさ、俺はその姿のままでいいと思うんだけどね」
「……どうして、そう思うの?」
「君は、まだ気づいていないんだろうけど。
その姿になったことで、君はずっと強い力を引き出せるようになってるんだ。俺をここに呼び出せたのも、元の君じゃできなかったことだ」
「えっ……?」
「俺は闇属性の魔物。君が光の魔法使いだった頃は、俺の力は呼び出せなかった。
でも、今の君は闇魔法使い――だからこそ、こうして会えたんだよ」
フローレンスは、唇をかみしめる。
「でも、ヴィオレッタは大罪を犯し、その罪を私に擦りつけた。このままだと、私はまた捕まってしまうわ……!」
「……仕方ないな。だったら」
ニグレスはひとつ息を吐き、まっすぐフローレンスを見つめた。
「君が本当の姿を取り戻すまで、俺が力になるよ。
――フィフィ。俺を、魔獣として使役してごらん。
黒竜ニグレスとして、君と“主従の契約”を結びたい」




