幼い頃の絵
孤児院の廊下には、これまで巣立っていった卒院生たちの思い出の品々が飾られていた。
その中でもひときわ目を引くのは、毎年の卒業生が残していった「自分の似顔絵」だった。子どもたちの成長の記録とも言えるその絵は、今もこの場所に飾られ続けている。
フローレンスもかつてこの似顔絵を描いたはずだった。けれど、どんな絵を描いたのかは思い出せず、自分の絵を探して廊下を歩き回っていた。
そんなときだった。
「あなたはヴィオレッタね。フィフィのお友達の生徒さんよね?」
懐かしい声が背後から届いた。振り返ると、寮母たちが数人こちらを見て微笑んでいた。フローレンスが幼い頃、世話になった女性たちだった。
「これよ。フィフィの似顔絵はこれだったわ」
「懐かしいわねぇ。あの子も、今じゃあなたと同じ高等部生なんて」
一人の寮母が、壁の一枚を指さして教えてくれた。そこに描かれていたのは、まだ幼さの残る金髪の少女。その腕には、黒くて小さな生き物が描かれていた。
「あれ、この腕に抱えている黒い生き物は、何でしたっけ。」
寮母のもう一人が呟いた。
「ああ、それはね確か、フィフィがほんとに幼い頃に拾ってきたコモドオオトカゲの赤ちゃんだよ。」
「コモドオオトカゲ?」
怪訝そうに眉を顰める寮母をよそに、フローレンスの脳裏に、失われていた幼い頃の記憶が蘇ってきた。
「そう、マリア修道士はそう言っていたの。
でも、あれはそんじょそこらのトカゲなんかじゃなかったと、私は思うけどね。」
「ああ、なんか思い出したかもしれない。なんかすごい大きなトカゲみたいな魔物を拾ってきたことがありましたよね。それで、そのままフィフィに懐いちゃって。」
「たしか、名前とかつけていませんでしたっけ?ネロだったかな?」
(!)
ネロという名前を書いて、フローレンスは心臓が跳ね上がった。どうしてこんな大事なことを忘れてしまっていたのだろう。
「そうそう、あの子が甲斐甲斐しく世話を焼いていたら懐いちゃったんだけど。
すごかったのよあのトカゲ。最初は確か手のひらサイズだったはずなのに、みるみるうちに育って。
1週間毎に背丈が倍ぐらいになってて、最後の方は怖かったわ。」
「マリア修道士が心配して野に返そうとしても、可愛そうだからって離さなくて。最終的には、ほぼ背丈が同じくらいまだ成長しましたよね。同じベッドで一緒に寝たりして、私はそのまま丸呑みにされるんじゃないかってヒヤヒヤしていましたよ。」
「そうなの、でも結局手に負えなくなってしまって。一度、そのトカゲがフィフィのことを引っ掻いたかなんかして大騒ぎになったのだけど、トカゲはそのまま逃げていなくなっちゃのよ。」
「野放しにしては危ないからって、村の男衆が捜索にでましたが、結局見つからなかったんでしたっけ。」
「そう。フィフィもしばらくは落ち込んでいたけれど。でも、そのあとだったのよ。フィフィが治癒の魔力に目覚めて学園から声がかかったのは。」
「一体何だったんでしょうね。あのトカゲ。」
思い出話に花を咲かせる寮母たちの声を聞きながら、フローレンスは小さく呟いた。
「それは……きっと、トカゲなんかじゃなかったんだと思います。」
「え?」
「ネロは、ドラゴンだったんです。私は今、王立アストリア学園で闇魔法を専攻しています。そこで学んだんです。コモドオオトカゲには一部ドラゴンに参加する個体がいるんです。」
「そんな……本当に?」
「はい。姿は普通のトカゲと変わらないけれど、一定の条件を満たした個体は、ドラゴンに進化する可能性があるのです」
寮母たちは不安げに顔を見合わせた。
「でも、あんなに懐いてたネロが……まさか。」
フローレンスは強く頷いた。
ネロ……今は“ニグレス”と名乗る彼は、私がまだ幼かった頃に拾ったあの黒いトカゲだった。足を怪我していたネロを見つけて、フローレンスが看病していた。あの子は、私にとても懐いてくれて……ずっと一緒にいた——それなのに。
フローレンスは唇を噛んだ。
「私は、そんな大切なことを、忘れてしまっていたなんて……」
周囲にいた寮母さんたちが、フローレンスの独り言に首をかしげる。
「私、行かなきゃ。色々お話聞かせてくださりありがとうございました。」
決意を胸に、フローレンスは寮母たちに別れを告げると、孤児院の門をくぐって飛び出した。




