偽のフローレンス
ドラゴンの登場は5話からとなります。
しばしお付き合いください。
「こんばんは、ヴィオレッタ。
なんともまあ、惨めな姿ね」
牢の前に現れたのは――なんと、自分自身の姿だった。
緩やかなブロンドの巻き毛に、小柄な体つき。まぎれもなくフローレンスそのもの。
けれど、その表情は決定的に違っていた。
それは、フローレンス自身なら絶対に浮かべないような、勝気で、悪辣な笑みだった。
まるで人を見下すかのように、偽の“自分”は牢の中を覗き込む。
「ど、どうして私が、そこに……?」
戸惑いの声を上げたフローレンスに、偽フローレンスは微笑みながら言った。
「あら、違うわよ。私はフローレンス。
そして、あなたはもう――ヴィオレッタなの」
「な、なにを言ってるの……!?
これは一体どういうことなの? あなた、私に何をしたの!?」
「ふふっ、覚えてないの?」
その言葉に、フローレンスは記憶を辿る。
昨日の、ある出来事を思い出した――。
* * *
その日、フローレンスは午前の授業を終えたあと、一人で中庭のベンチに座っていた。
学期末の試験が近づき、光魔法の実技や呪文の筆記テストの勉強に追われ、すっかり疲れ切っていた。
「……はあ」
誰にも聞かれないように、そっとため息をついた、その時だった。
「フローレンス、ごきげんよう。
良い天気ね」
不意に現れたのは、同じ魔法学園の生徒――ヴィオレッタ・ド・ヴィスコンティ。
いつも闇属性の取り巻きに囲まれ、堂々とした雰囲気を纏う人気者だ。
「ヴィオレッタ!? こんにちは。
一体どうしたの?」
普段はほとんど言葉を交わすことすらない彼女に声をかけられ、フローレンスは飛び上がりそうになった。
「たまたま通りかかっただけよ。
あなたがため息をついていたのが目に入ったから」
「心配かけてしまって、ごめんなさい。
でも、大したことではないの」
「女の子がこんなところで一人で悩んでるなんて……
考えられるとしたら、恋のお悩みかしら?」
「……どうして分かったの?」
ヴィオレッタはまるで読心術でも使ったかのように、フローレンスの悩みをぴたりと言い当てた。
「女の子の心情を察するのは得意なのよ」
そう言って、ヴィオレッタは自信たっぷりに胸を張った。
「でも……私なんかじゃ、相手にならないわ。
あの人は完璧なお方なんですもの」
フローレンスは目を伏せた。
ただのしがない魔導士見習いの自分には、到底釣り合わない――。
「そうかしら?」
「ヴィオレッタ、私はあなたが羨ましいわ。
あなたは美人だし、みんなに人気があるし、それに魔術の才能にも恵まれているもの」
「そうでもないわよ。私には私の大変さがあるの」
比べるものではないのよ――そう言って、ヴィオレッタは意味深に微笑んだ。
「でも、そうね。
実は私も、フローレンスが羨ましいと思うことがあるのよ」
「え……どうして?」
「ちょっとね、今込み入った事情があるの。
いっそ、あなたと変わってしまいたいくらい」
「ヴィオレッタ……。
あなたの言う“事情”がどれほどかは分からないけれど……
そうね、もし本当に変われたら、きっと楽になれるかも」
「本当に? 私と代わってくれるの?」
なぜかヴィオレッタは、その言葉に強く反応した。
まるで、その瞬間を待っていたかのように。
「ええ……あなたみたいに、美しくて強い魔導士見習いになれたら、どんなにいいかしら」
それは軽い冗談のつもりだった。
でも、ヴィオレッタは深くうなずいて、こう言った。
「そう言ってもらえて嬉しいわ、フローレンス。
じゃあ――今度、何かあったら、きっと私を助けてね」
妖艶な笑みを残し、ヴィオレッタはその場を去っていった。