毒蜘蛛の巣窟
フローレンスたちは蜘蛛たちの後を追い、やがて彼らが逃げ込んだ大きな洞穴にたどり着いた。
二人は恐る恐るその洞窟の中へと足を踏み入れる。
中は暗く、細く曲がりくねった通路が続いていたが、しばらく進むと視界がぱっと開け、広大な空間が現れた。
そこは湿った空気が立ち込め、どこか粘つくような気配が漂う。奥には、先ほどの子蜘蛛たちとは比べ物にならないほど巨大な魔物が鎮座していた。
人の背丈の三倍はあろうかというその大蜘蛛は、石の台座にどっしりと腰を下ろし、無数の脚をゆらゆらと揺らしている。
フローレンスは息を呑み、勇気を振り絞って一歩前に出た。
「蜘蛛の親玉よ。村人たちを苦しめるのは、もうやめてください!
ここは、もともと彼らの土地。今すぐここを出て、別の住みよい場所を探すのです!」
その声に、大蜘蛛は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「また小癪な魔導士がやってきたな……何度言われようと、我はここを離れぬぞ」
ぬらりとした声で大蜘蛛が応じる。
「ここは程よく湿っていて、日当たりも悪い。我らにとっては最高の棲み処なのだ。往生際の悪い村人どもが作物を植えに戻ってくるたび、食糧が手に入ってありがたいくらいだ。わかったら、とっとと失せろ!」
その高圧的な物言いに、ニグレスが一歩前に出る。
「我が主人の言うことを聞いたほうが、身のためだぞ」
その声音は低く、静かだが、背後に圧倒的な力を感じさせた。
「さもなくば、今ここでお前を丸焼きにしてやる」
「なんだ貴様。この魔導士の使い魔か?」
大蜘蛛が嘲るように返す。
「我に逆らうとは、いい度胸だな」
だが、ニグレスは怯まない。
「大蜘蛛よ、忘れたのか?」
紅の瞳を細め、静かに言い放った。
「俺は以前にもお前に会っただろう。そのときも、こうして人々の土地を荒らしていたな。あのとき言ったはずだ、“二度と悪事を働くな”と」
その言葉に、大蜘蛛がわずかに動揺する。
「お前……何者だ……?」
ニグレスは鼻で笑い、片手を天に掲げた。
すると――
洞窟の中に突風が巻き起こり、ニグレスの身体が黒い光に包まれる。
次の瞬間、彼は洞窟の天井に届かんばかりの巨大な黒竜へと姿を変えた。
「き、貴様は……あのときの……!」
大蜘蛛が叫び、後ずさろうとする。
だが、すでに遅かった。
ニグレスは大蜘蛛の退路を塞ぎ、振り向いてフローレンスに合図を送る。
「――我が僕である黒竜ニグレスへ命じる!」
フローレンスが、凛とした声で叫んだ。
「《紅蓮の炎》よ、魔物を焼き払え!」
ニグレスが大きく口を開け、咆哮とともに紅蓮の炎を吐き出す。
それはまるで炎の渦――洞窟中に燃え広がり、逃げ惑う子蜘蛛たちを一瞬で焼き尽くした。
フローレンスにも爆風が迫るが、彼女はニグレスの主。自身が発した魔法の一撃によって傷を負うことはない。
「ぐあああああっ!」
大蜘蛛が怒り狂って地団駄を踏む。
だが――
虫系の魔物である大蜘蛛にとって、火は天敵だ。まともに立ち向かえるはずがない。
追い詰められ、逃げ惑うばかりだった大蜘蛛は、勝ち目のないニグレスに対し、あろうことか足元に隠れていたフローレンスに狙いを定めた。
「いたっ!」
突然襲いかかって来た大蜘蛛に、フローレンスの叫びが響く。
大蜘蛛の鋭い牙が、彼女の腕をかすめたのだ。
彼女はそのまま地面に倒れ込む。
「フローレンス!」
ニグレスが咆哮し、すかさず次の炎撃を浴びせる。
大蜘蛛は炎をまともに受け、丸焦げになって消滅した。
手下の子蜘蛛たちも悲鳴を上げながら、文字通り蜘蛛の子を散らすように、洞窟の外へ退散していった。
大蜘蛛を退治したニグレスは人の姿に戻ると、フローレンスのもとへと駆け寄った――。
大蜘蛛に襲われて、フローレンスの右腕に激痛が走った。それは単なる外傷の痛みだけではなかった。
「腕を見せて」
ニグレスはすぐさま人型へと姿を戻し、彼女の元へ駆け寄って、腕の状態を確かめた。
フローレンスの右腕からは血が流れ、牙に掠められた傷口は赤黒く腫れ始めていた。毒蜘蛛の牙には猛毒があり、かすり傷でさえ命取りとなる。
激痛はすでに腕から肩の方へと這い上がっていた。
「まずいな……毒蜘蛛の毒に侵されている。
――僕に任せて。じっとしていて」
そう言ったニグレスは、迷いなくフローレンスの腕に顔を寄せた。
彼はそのまま傷口に唇を当て、毒を吸い出し始めた。
「っ……!」
鋭い痛みが走り、フローレンスは一瞬、声をあげそうになったが、唇を噛んで堪えた。
二グレスは腕の傷を舐め取るように、傷ぐちの毒を吸い出していく。
しばらくしてニグレスは顔を上げると、自らの衣服の端を裂き、それを包帯のようにして丁寧にフローレンスの傷口に巻いた。
「――これでいいはずだ」
「ありがとう……助かったわ」
包帯にくるまれた腕をそっと抱えながら、フローレンスは痛みが和らいだのを感じていた。
まだ少し熱はあるものの、あの鋭い痛みはもうない。
フローレンスは安堵したように、じっと腕を見つめた。




