第3話
訓練場にただよう土の香りが鼻をつき、身体が悲鳴をあげる。
「どうした! リア! 死にたいのか!」
私は魔法専門だったはずなのに、いったいどれだけ走らされるんだ。
息があがり、意識が途切れそうになる。
そもそも、みんな私より年上なのに、おなじ距離を走れなんて無理だろう。
「戦場でまて、と言えばまってくれるのか!? 走れ! 走れ! 走れ!!!」
いつの間にか隣にやってきていた、ガタイの良い教官が怒鳴る。
言ってることは正しい。
でも限界はある。
胃の中のものを、吐きだしそうになる。
それでも走りきって、地面に身体を投げうった。
脈うつ心臓の音がおおきい。
汗が噴きだし、目をあけられない。
「なんとかゴールしたようだな! しかし! 遅すぎる! あしたは10周追加だ!」
昨日もおなじことを言っていた。
忘れたのか?
今日よりも10周おおく走ったら、身体がもたない。
この教官は体力ばかりで、すこし頭が悪いのかもしれない。
10周もおおく走っていたせいで、訓練場にいるのは私と教官だけ。
ほかの人たちは今ごろ、汗を流しているはずだ。
「いいか! あのサリア少将に教わっていたからと言って、奢るんじゃないぞ! 軍は一人じゃない! 規律をあわせる必要がある! そのためには体力! わかったか!」
規律をあわせないといけないのに、私だけ10周おおい。
頭まで筋肉なのか?
そんなことを思いつつ、身体を起こす。
はやく次に移動しなければ。
身体にムチを打って立ち上がると、建物に向かって歩きはじめた。
次は魔法専門の訓練だった。
訓練といっても、体系的に理解するための座学もおこなう。
今日は魔法を実際につかうための、詠唱を学ぶらしい。
詠唱をおこないながら、魔力を練ることで魔法が使えるようになるのだとか。
「——というわけだ。さて、火炎の矢の詠唱だが……」
男性にしてはやや高めの声。
壇上の教官——グレゴリー・メイスが部屋を見わたす。
この場にいるのは20人。
魔法に適性のある人たちばかりが集められていた。
適性がある、といっても私のように独学で魔法が使えていた人はいないらしい。
どうやら私はかなり特殊なようだった。
グレゴリーの冷淡な目と、目があった。
直感がつげた。
火炎の矢の詠唱について、聞かれる。
私が魔法をつかえるのは、養成所でも有名だった。
それもそのはず。
養成所は軍の一部。
そしてサリアさんは軍の英雄。
軍の英雄がきたえた子を、養成所に入れたらどうなるか?
名が知れるのは必然だった。
「リア、答えられるか?」
「……いえ、わかりません」
わかるわけがない。
私は無詠唱の魔法しか使ったことがないのだ。
なんなら詠唱がなんのためにあるのか、理解できない。
「なにを言っている。そんなはずはあるまい。サリア少将から聞いているぞ。答えられるだろう」
バカなことを、と目が訴えていた。
サリアさんが言っていたのは私が詠唱なしで魔法を使える、ということじゃないか?
知らないものは知らない。
覚える必要がなかったので、教わってすらない。
シンと静まりかえった室内が重苦しい。
「……わかりません」
「ふむ……どうやら聞いていた話と違うようだな」
もともと冷淡な印象を与える目が、さらに冷えた。
「仕方ない。良いだろう。教えてやる。よく聞け」
グレゴリーが息をつく。
「――燃え盛る炎の意志よ、天へと舞い上がり、鋭き矢となり貫け――これが、火炎の矢の詠唱だ」
いいか、と早口でつづく。
「万物の精霊より賜わりし神秘の力をイメージしろ。それこそが魔力。いいか、その魔力を火に変換するように考えろ。そうすれば火炎の矢が出るだろう」
勝ちほこった表情のグレゴリーが、私をみた。
どうして教官が張り合おうとするんだ。
サリアさんが私を鍛えていたのが気に入らないのか?
それにグレゴリーが言っていることもよくわからない。
転生者の私からすると、理解不能。
万物の精霊、といわれても前世の知識が邪魔してくる。
「さて、火炎の矢についての座学は終わりだ。頭で覚えているのと、実際にやってみるのはまた別。外に出て実際に使ってみる。そこまで出来て一人前だ。移動するぞ」
ピシャリと言い放つ。
汚れやシワのない完璧な後ろ姿をみせつけ、グレゴリーは訓練場へ向かう。
生徒たちもグレゴリーに続いて、移動をはじめた。
私は注目をあびたい訳じゃないので、集団の最後尾にひっそりとついていく。
しかしそれが、仇となった。
いきなり手首をつかまれ、壁に押しつけられたのだ。
相手は14,5歳ほどの少年が3人。
魔法専門に所属する中でも、3人は威圧的だった。
よく覚えている。
1人目は、剣が得意というルード。
2人目は、インテリ魔法使いを体現した、眼鏡のロイド。
3人目は、私を壁に押しつけるガイル。
入所式で隣にいた人だ。
燃えるような真っ赤な髪が印象的だった。
「おまえがサリア少将から直々に教わってたっていうリア・フェルナンドだな?」
「そうですね。なにか用でしょうか?」
英雄であるサリアさんの名声はすさまじい。
走り込みをさせてくる教官も、私に思うところがあるのかもしれない。
「なんで英雄であるサリア少将から教わってて、あんな詠唱を知らねぇんだ? ナメてんのか?」
「俺たちのほうが上手くやれる。サリア少将の時間を盗んでこの程度とはな」
「ふん、まったくだな。この分だと弱みに付け込んだ……というのもあながち嘘じゃないんだろう」
サリアさんの名声を舐めていた。
座学で分からないと言ったのは、かなり良くなかったらしい。
でも私は無詠唱で魔法を使える。
詠唱は不要だ。
無意味なものを覚えておく、なんて面倒で仕方がない。
「はぁ……なにを言おうと私とサリアさんの関係は変わらないんですけどね……」
考えていたことが、こぼれ落ちる。
3人がピクリと反応した。
「あん? なんだと! 痛めつけられてぇのか!?」
「おい、やめろ、ガイル。それしか言えないんだ。この状況に怖がってるのさ」
「ふん、やはり凡人は安い挑発しかできないな」
ガイルが吠え、ルードがおさえ、ロイドが嫌味をいった。
抑えられていたガイルだったが、怒りは静まらないらしい。
うなり声をあげる。
迫力のある真っ赤な目が、私をつらぬいた。
咄嗟に目をそらす。
よけいな揉め事を起こすつもりはなかったのに、失敗した。
ここは謝ろう。
前世の経験がつげた。
今の状況は、たしかに腑におちない。
でも養成所は始まったばかりだ。
サリアさんは英雄。あこがれだ。
その英雄から私は鍛えられた。
この先も、嫌なことはたくさんあるだろう。
いちいち立ち止まっていられない。
私の目的は、セリナを助けること。
そこがぶれてはいけない。
「先ほどの言葉は訂正させて下さい。すみませんでした」
「……ッチ」
「ほらな、言ったとおりだろ?」
「ふん、理解だけは早いようだな」
「はい、申し訳ありませんでした。あと訓練に遅れてしまうかもしれません。そろそろ離していただけませんか?」
さすがのガイルも、訓練に遅れるのはまずいと思ったらしい。
顔を強張らせて、手をはなす。
私はさっと壁際から抜けだした。
3人とも私の身軽さに目を丸くしている。
でも時間はそんなにない。
私は、もう一度、謝罪の意味をこめて頭を下げると、逃げるように訓練場へと走った。