第23話
——それから一週間がたった。
セリナを眺め、手をとって考えていた。精霊化の元凶はネビュロスなのだ。サリアさんの言う通りネビュロスは死んでいない。数年後に必ず復活する。
眠り続けるセリナを見て悲しみと同時に、自分の力不足に苛立ちを覚えた。
養成所で私はなにを学んだのだ?
無詠唱という自分の特殊性に胡坐をかいていたのではないか?
グレゴリーの訓練は私にあっていないことを知って、なぜすぐに自分で訓練をしなかった?
後悔だけが頭をよぎる。
自分の無力さに打ちひしがれたくない。だから1年前のあの日、私は誓った。
世界の頂点たる魔物——ネビュロスを倒すのだ。セリナを救うのだ、と。
それなのに。
優しい朝日が窓から私たちを照らす。外から活気のあふれる声が私の耳に届いた。
そのとき小さく声をかけられた。いつの間にかサリアさんが私の横に来ていたらしい。
サリアさんは普段どおり、キッチリした軍服を着ていたが、少しだけ化粧をしていた。普段はそんなことをしないが、今日ばかりは特別、と言うことだろう。首には可愛らしいネックレスも下げられていた。
一方の私も、半ば強制的にサリアさんに化粧をさせられていた。前世も含め、生まれてから化粧なんてものとは無縁だったはずなのに。
なんなら前世の私はリップクリームすら嫌だった。口紅を塗られた瞬間などは、リップが嫌いだった前世の記憶がふっと蘇って落ち着かなかった。本当に人生はどう転ぶか分からないものだ。
……まあ二度目の人生だが。
「式典をされても嬉しくない、という顔だね」
「……そう、ですね。倒してもいないのに式典をされても嬉しくはありません。それに……自分の無詠唱という力におぼれていたというのがよく分かりました」
「力におぼれていた、か。でもそれを自覚したんだ。もう後悔しないように頑張るんだろう?」
力強く頷いた。サリアさんが他の人には見せないであろう優しい笑みを向けて、
「なら今日は式典を楽しもう。これも後悔をしないように、ね。ほら、可愛い顔が台無しだよ」
「…………可愛い、ですか。あまり嬉しくないですね」
前世が男である私としては、やはりかっこいいに憧れる。天を割ったラグナルの斬撃。私にもあんなことができないだろうか。
サリアさんが残念なものを見る目になる。私は変なことを言ったつもりはないんだけど。
「……はぁ……可愛いのに……どうして自覚がないんだ。これではリアの将来が不安だよ。嫁に貰ってくれる人が現れると良いんだけど……」
……サリアさんは人のことを言えないと思うんだけどな。喉から出そうになった言葉を飲みこんで、
「私のことは良いんです。行きましょう、サリアさん」
「良くはないと思うんだけど……」
そうして私とサリアさんは家を出て式典場まで歩く。道はごった返し、みんな一様に喜びを体現していた。
たかだか数年。それでもネビュロスに怯えずに済む時間があるのは、とても貴重な時間なのかもしれない。街全体が浮かれていて、喜びを肌で感じるようだった。
人ごみの中を抜けてようやく式典場へたどり着く。会場はどうやら養成所の入所式に使われた四方を建物で囲まれた広間で行うらしい。
既にかなりの席が埋まっていて、待ちわびている様子が見て取れた。
私とサリアさんは会場の裏方でテントが張ってある場所についた。式典が始まったら、ネビュロス討伐の功労者としてここから壇上へ上がるのだろう。
テントの中を見ていると、徐々に足音が近づいてきた。振り返るといたのはヴィオラだった。
「リアちゃん! 久しぶりだね……! 養成所にも全然顔を出さないから……心配だったよ!」
「ごめんね、ヴィオラ。いろいろ考え事をしていてね」
「ううん、大丈夫だよ。あ、サリアさんもお久しぶりです」
「久しぶりだね、ヴィオラ。一週間ぶり、かな?」
「はい、そうです! ところでサリアさん……あの……リアちゃんが少し化粧しているように見えるのですが……」
サリアさんに化粧をさせられたからね。いつもより唇は赤いし、チークを入れているので頬も少しだけ血色がよく見える。
自分で言うのもなんだが、いつもよりは可愛いと思う。別に私は可愛くなりたいわけではないんだけどね。
「ふふ、気づいてくれたね、ヴィオラ。ずいぶん頑張ったんだよ。1年間頑なに拒否されていたけど、今日は式典だからね。化粧をしなければ礼儀にかける、と言って無理やりやったんだ」
「……サリアさん……? 礼儀にかける、というのは噓だったんですか……?」
「いや、本当だよ。これだけ可愛い子が化粧をせずに式典の中心にいるなんて失礼だからね」
「そうだよ、リアちゃん! リアちゃんは可愛いんだから、こういう場ではおめかしは絶対だからね!」
サリアさんとヴィオラが食い気味に顔を覗きこんできた。なんだか二人とも目が怖い。私の容姿にこだわる理由なんてあるまい。
そもそも可愛さで言えば私よりもヴィオラのほうが可愛いだろう。
式典ではヴィオラもネビュロスを倒した功労者として並ぶことになる。そのせいか分からないが、今日はいつものローブ風の軍服ではなく、少しだけフリルのついた淡いはちみつ色のドレスを着ている。
化粧もして、普段よりも目が大きく見える。
とはいえ目の座った二人を相手にするわけにもいかない。私が「わかったよ」と言うと二人とも納得したのか話題は、視界の端にいたガイルへと移っていく。
「ガイルくん……あれから、初めて見たけどずいぶん変わったね」
ヴィオラが聞こえないようにひそひそ、と声を上げた。
たしかにガイルは少しやつれているように見えた。しかし目は前とは違う獰猛な光が宿っているようにも見える。仲の良かった二人とグレゴリー教官を亡くして、変わってしまったのがよく分かった。
「なに見てやがるんだ」
私たちが見ていることに気付いたのか、ガイルが威嚇するようにガラガラと唸った。
「……変わったな、と思ってね」
「……ッチ、変わった? そりゃそうだろうが……!!」
ギリギリと歯ぎしりをしながらガイルが吠える。真っ赤な短髪が激しく揺れていた。
「俺は、俺は親友二人と親身にしてくれた教官を亡くしたんだ……必ず……必ず復讐してやる。ネビュロスは俺が倒す。てめぇには負けねえぞ、リア! 見ててくれよ、グレゴリー教官、ロイド、ルード……!」
いつもと変わらない軍服を身にまとったガイルは、拳を強く握りしめて顔を怒りに歪ませた。
でもその怒りは私に向いているわけではない。金が欲しいと言っていたガイルはもういなかった。