第22話
サリアさんとラグナルが去ると、すぐに騎兵が私たちを保護した。
ネビュロスの死骸のそばで、レヴィは静かな寝息を立てている。
その周りでは、訓練兵たちが満身創痍でいる。
応急処置を終えるも、疲労の色が消えないガイル。
魔力を使い果たしてぐったりしているヴィオラ。
そんな様子だったからか、兵士たちが質問してくることはなかった。
翌日。
昼になろうかという頃に、ようやくサリアさんが帰ってきた。
サリアさんもラグナルも無事だったが、かなり疲れていたらしい。
2人は光の粒を追ったが、切り立った崖が現れて引き返したらしい。
普段のサリアさんなら、進めていただろう。
しかし、あのときはネビュロスを倒した後で、タイミングが悪かった。
2人を安全に対岸に運べないと判断して、戻ってきたらしい。
私とサリアさんの話が終わると、軍の高官があらわれ、質問攻めがはじまった。
「どうやって倒したのか」
「あの天が割れるような斬撃はなんだ」
「天から降りそそぐ光る剣はなんだ」
「なぜすぐに戻ってこなかったのだ」
同じような質問にサリアさんは呆れていた。
近くにいたラグナルは肩が震え、かなり苛立っているように見えた。
質問攻めから解放されたのは、日が沈みかけてからだった。
「付き合わせてごめんね」
「いえ、大丈夫です。私も回答ができればよかったですが……」
「良いんだよ、リア。ああいう場は慣れているからね。気持ちだけ受けとっておくよ」
帰り道。
サリアさんは、すこし乱れた淡い金の髪をゆらしながら、優しく答えた。
「それよりも私としては、一週間後のほうが気が重いよ」
「一週間後、ですか……?」
「そうだね。ネビュロスを倒すのは偉業なんだ。過去500年で3回しかない。今回で4度目。だから祝賀と追悼を兼ねた大規模な式典が行われる予定なんだよ」
疲れているサリアさんの青い瞳が、深海のような濃い青に揺れた気がした。
要するに記念パレードのようなものが行われるんだろう。
訓練兵である私はわき役で、主役はきっとサリアさんだ。
なのにどうして、疲れたような目をしているんだろうか。
「良いことのように思えますけど……なにか問題でもあるんですか?」
「あー……まあそう、だね。リアにはあまり言っていなかったけど、私の家はレイフォード家というかなり格式のたかい家系なんだ」
「そうだったんですか? でもサリアさんの家系と、なにが関係するんでしょうか?」
サリアさんがげんなりした様子で長いため息をついた。
こんな顔をみるのは初めてかもしれない。
そんなに嫌なことがあるんだろうか。
レイフォード家……実家と仲がわるいとか……?
「大ありだよ。2年前——《《私たち》》が初めてネビュロスを倒したときからだよ。ほとんど絶縁状態だったレイフォード家から、いきなり連絡が来るようになったんだ。気持ちはわかるよ。なにしろネビュロスを倒せば英雄だからね」
たしかに500年の間に3回しか倒されていないなら、英雄扱いされるのも納得できる。
納得はできるが、絶縁状態だった家族が手のひらを返し、いきなり連絡をしてきたら。
……たしかに嫌かもしれない。
「まあ連絡をしてくるだけならまだよかったんだけどね……弟のエリアスが家督を継ぐことになったときから、家に私の居場所がなくなったことは……今はあまり気にしていないから……」
「どういうことですか? サリアさんの居場所がない?」
サリアさんが妙に寂しそうに話すので、気になった。
日がしずみ暗くなった石畳の道を、仄かな月明かりが照らす。
「……いやごめん、リア。忘れて」
「忘れられません。サリアさんに感謝しきれないほどの恩を感じているんです。だから、その……今はまだ力不足かもしれないですけど……それでも私はサリアさんの力になりたいんです」
思いが通じたらしい。
サリアさんの頬が、少しだけあがった。
「……ありがとう。そうだね……なら、ちょっと聞いてもらおうかな……私はね、生まれたころから、レイフォード家の家督を継ぐように育てられたんだよ。ところが10歳のときに弟のエリアスが生まれたんだ」
すこし冷え始めた風が建物の間を通りぬけ、私たちを撫でた。
「そこからだよ。両親の興味は弟のエリアスに向いていった。家督を継ぐのは男である弟だからね。使用人たちも両親が『サリアお嬢様は捨てられた』と言うほどだったんだ。だから私は軍の養成所に入った」
コツコツ、という石畳を歩く音が、相槌のように聞こえる。
「用済みであるはずの私なのに、両親は軍に入るのだけは許してくれなかった。でも私は家に居たくなかった。だから喧嘩別れをしたんだ」
「……それなのにいまさら連絡を……許せません」
「……まあ、そうだね……でも連絡をくれるのは良いんだ。あんなのでも私の肉親だから。問題なのは……はぁー……」
サリアさんは一段と肩を落とし、深いため息をついた。
本当に面倒なこと、という気持ちが込められているようだった。
「……私も今年で22だからね。結婚もしていない、男の影もない……まあ縁談が届くんだよ……それも毎月のように……」
「…………縁談…………」
自分の口が開いているのがわかった。
たしかにサリアさんに男の気配を感じたことはない。
一緒に住んでいた1年で嫌と言うほど感じていた。
二重で目が大きく、海のように美しい瞳。
手入れの行き届いた絹のような淡い金髪。
整った顔だち。
美人の要素しかない。
ただ、普段は感情を見せない話し方をするので、そこはマイナスかもしれない。
その雰囲気がサリアさんを高嶺の花にしているのかも。
前世が男の私が言うのだから、可能性はたかいと思う。
「そうなんだよ。私は興味がないと言っても、しつこくてね……またネビュロスを倒したとなれば、もっと激しくなるのではと思うと……ね……」
「そう……でしたか……」
私の立場からすると何とも言えない悩みだった。
力になりたい、とは言ったものの、どうやって力になれば良いのか。
というか、サリアさんに男が出来たら……結婚したら……私たちは追い出されてしまう可能性も高いのでは……?
「……あの、サリアさん。私たちと一緒に住んでいるから、という理由で断ってはどうでしょうか……」
「……いや、それは、もう言っているんだよ。孤児院なら運営してやる、とまで言っていてね……はぁ……どうしたものかな……リアが男の子だったらよかったのに」
女であることが悔やまれる。
前世は男だったが、既に10年以上も女をやっているのだ。
女同士で風呂に入ったときの視線に困ることはあるが……それでも女であることに違和感も少なくなってきた。
しかしまさか、ここにきて女であることが悔やまれる日が来るとは。
もし私が男だったら、サリアさんも縁談を断れた可能性もあったはずだ。
「……その……すみませんでした……私ではあまり力になれそうにないですね……」
「いや、謝ることじゃないよ……」
そんなことを話しているうちに、サリアさんの家についていた。
「……静かだね」
「……はい。でも、もしかしたら状況が分かっていなくて、身を潜めているだけかもしれないので……」
「そうだね。たしかにそうかもしれない」
セリナがそんなことをするような子ではないのはわかっていた。
嫌な予感が背筋を伝っていく。
ドアを開けて家に入る。急いでセリナのベッドへ向かった。
そこにいたのは変わらず眠りについたままのセリナだった。
触れた手には仄かに温かいセリナの体温が伝わってくる。
優しく光る身体も変わっていなかった。
ネビュロスを倒してもセリナの精霊化は一切止まっていなかった。
セリナは今も、精霊になろうとしてる。
涙が頬を伝うのを感じた。
あれだけ頑張ったのに、何も変わっていなかった。
そんな私を、サリアさんは優しく抱きしめてくれた。