第16話
どこまでもつづく草原の先。
灰色のクジラに手足がはえたような、ネビュロスの巨体がみえる。
かなりはなれた位置から見ていた。
それなのに、ネビュロスの存在感だけが異様だった。
まわりの魔物たちは粒ほどの大きさで、人は見えない。
戦いが激しいのか、魔法がうっすらと見える。
きっとあの中にサリアさんもいるんだろう。
サリアさんはとても強い。
きっと死なないはず。
そう思っていてもネビュロスの巨体を前にすると不安にかられた。
同時に、私がネビュロスの前にでれないことにも苛だちをおぼえる。
「ハハ、ガキのクセにずいぶん怖ぇ目ぇすんだな」
先ほどまで私のことを覚えない、と言っていたラグナルがぶっきらぼうな声をかけてきた。
ヴィオラとレヴィは、私たちからすこし離れた位置をまかされている。
たぶん私たちの会話はきこえていないだろう。
「あなたに関係はないと思うのですが」
「そうだな、関係ねぇよ。どうせアレは倒せねぇんだ。だれがやってもな。すべて無駄、ムダ死にするだけだ。レオンとアイリーンの死が無駄だったようにな……」
ラグナルの冷めた目がネビュロスを追いつづける。
遠くでネビュロスに爆炎魔法があたったのだろう。
前世でいう花火のような、身体にひびく音がとどいた。
「ま、てめぇのようなガキは死ぬ。必ずな、しかも最初だ」
「……なぜ、そう思うのでしょうか」
「てめぇ、あのバケモンに恨みもってんだろ。見りゃわかるぜ。アレをたおせると思ってやがる。ムカつくぜ。だれも成しえなかった偉業を自分だけはできると思ってる目だ」
光のきえた漆黒の瞳が、ネビュロスからはなれ私をとらえた。
「だれに仕込まれた? サリアのクソ女か?」
背筋がひえた。
なぜ私が初対面の、しかも一度きりのチームでこき下ろされなければならないんだろう。
たしかにネビュロスは倒したとしても数年で復活するというのが、この世界の常識だ。
でも私にはたおす以外に道はない。
倒さなければセリナは精霊となりきえてしまう。
私にのこされた、ただ一人の肉親。
倒さなければ二度と、セリナの笑顔をみることができないのだ。
「仕込まれてはいません。私の意思です。私が、私のために、妹の……セリナを精霊化からすくうためにやっていることです」
ラグナルの覇気のない瞳をにらみつける。
無造作にきられた髪が風にゆれた。
「それとサリアさんは私の恩人であり、師です。悪くいうことは許しません」
「精霊化……ねぇ。ペテンだな、あのクソ女も」
「二度目ですよ。三度目はありません」
この場において、ラグナルは私の上官にあたる。
しかしそれでも譲れるものと、譲れないものがある。
サリアさんは私に生きる希望を与えてくれた。
起きることのないセリナと私に、安心できる住居を与えてくれた。
私に力《魔法》の使いかたを教えてくれた。
それをペテンと呼び、クソ女と呼ぶのあれば私も我慢できなかった。
にぎる拳に力がはいる。いつでも魔法をぶつけてやる準備もできていた。
「おいおい、マジでやる気か? 俺ぁ上官だぜ? ガキがふざけてんのか? 軍じゃ上官の命令にしたがうんだよ。わかるか?」
まっ黒な瞳が私を見据える。
余裕からか、ラグナルの手は剣の柄すらにぎろうとしていない。
「たとえそうであっても譲れないものもあります」
「ここでも死んでもか?」
「私は死にません」
そのときだった。
轟音と共にまっ赤な狼煙があがった。
緊急事態をあらわす色だ。
にらみ合っていた私たちはすぐさま、狼煙の方をみる。
どうやらネビュロスを思ったように誘導できなかったらしい。
訓練兵のところにまで突っ込んでしまったようにすら見える。
ラグナルの冷めた瞳が、するどく光った気がした。
「ハハハ、やべぇようだなぁ」
口角をあげてわらうラグナルを睨みつけるが、すぐに別の考えが頭をよぎった。
あの方角はガイルたちがいた方角じゃないだろうか。
ヴィオラもそれに気づいたようで、急いで近づいてきた。
「ねぇ、リアちゃん。あそこってガイルくんたちがいたよね……」
「……たぶん」
「大丈夫かな」
わからなかった。
しかしあの赤い狼煙が上がったということは、かなり危険な状況ということだ。
「さぁて、俺らも加勢しにいくかなぁ」
「やっと暴れられる。退屈で死ぬところだったぜ。ラグナル、アタシが生き残ったら今日こそみとめろよな!?」
「あぁ!? んなもん認めるわけねぇだろ。ふざけんな。なんで、てめぇみてぇなガキがこんなに生き残ってんだ。意味わかんねぇぜ」
死地にむかうはずなのに、妙に楽しそうにするラグナルとレヴィ。
死ぬのが怖くないんだろうか。
恐怖を感じない人形のようにみえて、すこし恐ろしかった。
この狂った世界のせいで、死への恐怖感が薄れてしまっているのかもしれない。
ヴィオラは「本当にいくの?」と言いたそうに、顔をあおくして私をみていた。
「……持ち場をはなれるのですか?」
「あぁ!? 当然だろうがよぉ! 良いか? 赤い狼煙があがったってことは、緊急事態だろうが。一刻もはや救援をもとめられているってことなんだよ。ちぃと遠いが、俺らが一番はえぇ。だからいく。なんか文句あんのか!?」
先ほどまでの覇気のない目とはちがう。
獰猛な目をしたラグナルが、私を見つめた。
「さっきも言ったけどなぁ、俺ぁ上官だ。逆らうことは許さねぇ!」
その言葉にヴィオラの顔がもっと青くなり、いまにも倒れそうになる。
しかしラグナルの言う通り、もし私たちが一番早くつくなら……ガイルたちの状況も良くなるかもしれない。
いまは緊急事態。
サリアさんを馬鹿にした、という私情は考えないようにするべきだ。
「ヴィオラ、頑張れる?」
「う……ん、が、頑張ってみる……」
「無理そうだったら防御魔法だけでも良いから」
「う、うん……」
ぎゅっとヴィオラの震える手を握った。
するとヴィオラもすこし安心したらしい。
青ざめた顔に、ちょっとだけ赤みがさした。
「おら、てめぇら! 行くぞ!」
ラグナルの号令で私たちは有無をいわさず、死地へと飛び込むことになった。
目指すは赤い狼煙。
方角は南西。
小さな丘をこえた――その先だ。