第13話
いつの間にか近づいていたヴィオラが、私の裾をそっと掴んだ。
不安そうにしている。
気持ちはわかかる。
先ほどのサリアさんの表情は、私でも見たことがなかった。
「リアちゃん……大丈夫、かな? ガイルくんも、サリアさんも」
「サリアさんは、たぶん大丈夫だよ。ガイルは……どうだろう」
ガイルは唇をかんで、俯いたままだった。
と、サリアさんがやってくる。
ヴィオラはサリアさんを完全に怖がってしまって、私の後ろに隠れようとしていた。
私のほうが小さいから隠れられないんだけどね。
「ごめん、怖がらせてしまったようだね」
「まあ……そのようですね。ヴィオラ、ほら、サリアさんは怒ってないよ?」
「う、そ、そうですよね」
サリアさんが、いつもの優しそうな顔を向ける。
ヴィオラも少し安心したようで、私の後ろからは出てきてくれた。
「さてガイルも終わった。次はヴィオラ、君と模擬戦でもするかい?」
サリアさんの綺麗で透きとおる声が響くと、ヴィオラはぶんぶんと顔を振った。
そんなに嫌なんだろうか。
「い、良いんです……その、私が得意なのは防御魔法とか……回復魔法なので……戦いには向いていないと言いますか……それに私なんて……」
消えるような小さい声。
サリアさんの海のように青い瞳が、ヴィオラを見透かすかのように見つめていた。
「自信がない、か。なぜそんなに自信がないのかな?」
「……その、私は役立たずでお荷物なので……あのときも……本当に必要とされてるときに役に立たなくて……」
「あのとき?」
「あ、いえ……なんでもない……です……」
いつも以上に、自信がないように見えた。
「私も気になるよ」
あまりにも自信がなさそうなので、とても気になった。
ヴィオラが私の力になりたい、と思うのと同じ。
私もヴィオラの力になりたいのだ。
「で、でも私の話なんて……」
「一番大事な友達の話をつまらない、なんて思わないよ」
びっくりしたように目を丸くしている。
淡い緑の目に涙がたまり、うっすらと揺れていた。
「あ、ありがとう……じゃあ少しだけ話すね……私の家はね、いちおう辺境の貴族なの……いくつかの村も領地として持っていたりしてね……魔法が使えるって言うこともあって、領民には頼りにされてたんだよ」
すこし湿った風が訓練場をぬける。
砂が小さく舞いあがった。
「あるときネビュロスが通ったせいで魔物さわぎがあったの。私は12歳だったんだけど怖くて前に出れなくて、隠れてたの。魔物自体はママとパパとお姉ちゃんが倒してくれたんだけど……それを見ていた村の人が……」
声が震えていた。
私はヴィオラの手をぎゅっと握ると、すこし安心したらしい。
涙の浮かぶヴィオラの瞳に力がこもった。
「ブラックウッド家の落ちこぼれって……私は大事な時に役に立てなかったの……だから私は役立たず……どんなに頑張ってもお姉ちゃんには追いつけないし……でも、自分を変えたくて、落ち目になってるブラックウッド家のためにも功績をあげたくて……だから勇気を出して養成所にきたの……」
背伸びをしてヴィオラの頭をなでる。
「ヴィオラも辛かったんだね」
いつの間にか立ち上がっていたガイルも、何も言わずに聞いていた。
貴族であるヴィオラは、ガイルから見れば敵にすら見えるだろう。
それでもガイルは拳が真っ赤になるほど握りしめたまま、一言も発しなかった。
貴族には貴族の辛さがあると思ったのかもしれない。
「辛い話をさせてしまったね。悪かったよ、ヴィオラ」
「い、いえ……いいんです……私も、前に進まないといけないですから……」
サリアさんの言葉にヴィオラは涙をぬぐった。
「回復と防御魔法が得意なんだったね」
「あ、はい、そうです」
「君は人のことを考えて、人の気持ちに寄りそえる優しい子だ。そういう人こそ回復や防御魔法には向いている。良い使い手になれる。私が保証しよう」
サリアさんがそう言うとヴィオラのエメラルドのような瞳が、再び涙にぬれた。
「ありがとう……ございます……」
「一緒に頑張ろうね」
今度は私が涙を拭ってあげた。
すこし前、私が泣いていた時にヴィオラがしてくれたときのように抱きしめる。
ヴィオラは私を支えようとしてくれた。だから私も支えるのだ。
この世界は悲劇ばかりだ。ネビュロスという根源がいるせいで、悲しみが悲しみを生んでいる。
誰かがその根源を断ちきる必要がある。
私はそれを成し遂げる。
ヴィオラも被害者だった。みんながネビュロスを中心に悲しみを背負っていた。
今は見ることの出来ない、セリナの笑顔が思い浮かんだ。私は木刀を強く握る。
「サリアさん、始めましょう」
「いい顔だね。いつでもいいよ」
サリアさんと対峙する。
思考から靄が消え、クリアになる。
普通の魔法だけでは絶対に届かない。
かといって接近戦はもっとダメだ。
ガイルが接近戦で赤子のようにひねられていたのだ。近づくのは無謀だ。
「来ないのかな? では私からいこう」
直感がつげた。
動かれるとまずい。
水と土の魔法を複合させ、沼を出現させた。
サリアさんの足が沼にとらわれる。
「ふぅん、複合魔法もずいぶんうまくなったね」
サリアさんの抑揚の少ない声が、少しだけ跳ねる。
しかしサリアさんの足をとめれたのは、ほんの数秒だった。
「精霊よ、翼となれ!」
詠唱が終わるやいなや、風の加護を受けたサリアさんが接近してくる。
向こうのペースで近づかれてはダメだ。
近づくなら私のペースで近づかないと、何もできずに終わってしまう。
風魔法で自分の身体を浮かす。
あせって魔力を使いすぎたらしい。
訓練場の砂だけではなく、私がつくった沼の泥も混じった。
距離をとるのと同時に、小さな竜巻を発生させた。
もちろん、ただの竜巻ではない。竜巻のなかに水流を仕込み、鋭利な刃として隠してある。
あのまま突っ込めばサリアさんとはいえ、ただでは済まない。
「地の精よ、盾となれ! 地の精よ、導け!」
竜巻の反対側から、みじかい詠唱が聞こえた。
その瞬間だった。
サリアさんは土の波に乗っているかのような魔法で、竜巻を突破してきた。
周りには、ところどころ土壁ができている。
おそらく水の刃を、土壁で受けたんだろう。
無茶苦茶だ。
私の魔法は弱くなかったはずだ。
サリアさんの魔法は私以上に魔力が練られているとでも言うのだろうか。
でも私の魔力はサリアさんをはるかに超えるはず。それなのになんで――
気づいたときにはサリアさんが目の前に来ていた。
剣が顔にせまる。
ダメだと分かっていた。それでも思わず目をつむってしまった。
戦場で目をつむったら、それは死を意味するのだ。
こつん、と頭に木が当たる。
「目をつむっちゃダメじゃないか。リアの負けだよ」
「……す、すみません……」
「キミには心強い前衛が必要そうだね。その方が魔力もしっかり練れそうだし、ね」
その通りだ。
動き回りながら魔力を練った魔法は、たとえ無詠唱であっても少し弱い。
じっくりと魔力が練れた方が良いのは間違いなかった。
たしかにサリアさんの言う通り前衛がいてくれれば助かる。
でもそれは諸刃の剣。
私が一人になったら――何もできない。死ぬのと一緒だ。
悔しかった。まだまだ訓練が足りない。実感させられた。
動きながらでも、サリアさんの魔力を超える魔法が練れるようにならなければ。
「とはいえ、だよ。リア、ずいぶんと力強い魔法が使えるようになったね。それに身体も作られてきているようだしね」
「いえ、まだまだです……もっと動きながらでも魔力が練れるようにならないと」
「うーん、もしリアが動きながら魔力を練れるようになると……いよいよ私が勝てるのは剣くらいになりそうだよ。私も頑張らないとね」
楽しそうに淡い金色の髪をゆらしながら、私を見る。
これ以上、強くなるつもりか。
でも当たり前か。
この世界にはネビュロスがいる。
あれの脅威に常にさらされている。
強ければ強いほどいい。強くて困る、なんていうことはないのだ。
「前も言いましたが、私が追いつくまで待ってる気はないんですか?」
憧れと、追いつきたいという思いがこみ上げてくる。
セリナが私に対して抱いてた感情。
サリアさんには強い憧れがある。
だからこそふとした拍子に思い出してしまうのだ。
セリナの目覚めることのない無表情な寝顔を思い出して、唇をかむ。
「ふふ、それこそ私も前に言っただろう? 弟子に抜かされるなんてかっこ悪いじゃないか」
優しい笑顔が、私を見つめていた。